歩き旅1日目は、JR藪原駅 → 宮ノ越宿 → 木曽福島宿方面を目指して歩いた。京から江戸を目指すコースとは逆コースだった。中山道歩きに関しては、きちんと一定の方向で歩いていない。基本的には、京から江戸を目指すコースが多い。時々逆コースを歩いている。泊まるホテルも適当なところがないこともあり、「今回はどこから歩こうかな?」と思案しながら計画を立てている。(今回は一日目は逆コースで、2日目は(江戸を目指す)基本のコース)
今回、歩き旅2日目は、木曽福島駅からJR中央本線に乗り、奈良井駅に到着。奈良井宿は5年前に訪れていたので、奈良井宿散策はパス。12月12日午前9時25分、奈良井駅 → 贄川(にえかわ)宿 → 本山宿 → 洗馬(せば)宿 への行程で、2日目の歩き旅を始めた。約20kmの行程。
奈良井駅から贄川宿へ歩き始めて、約2kmほどのところに「木曽平沢」という地名があった。奈良井宿は家並が素晴らしく、保存もされていて、観光客も多い。木曽路で有名や宿としては、「馬籠宿」「妻籠宿」「奈良井宿」が人気トップレベルの宿場だといえるだろう。家並みの保存状態がよく、観光地として訪れる人が多い。私もそういう評価に同意できる。
しかし、奈良井宿の近くにあって、木曽平沢の町並みには「うーん、ここはすごい!」と声を上げてしまった。奈良井宿はもちろんすごいのですが、観光客が多すぎるし、なんとなく商売っ気のある街並みに思えるのです。それに対して、木曽平沢は漆器店が連なり、街並みの規模も大きいのに、静かで商売っ気がない。その静けさが、よかったですね。非常に街並みが落ち着いていて、しっとりとした感動を味わいつつ歩けました。「一人歩き旅」をする者にとって、ここの街並みに心惹かれました。
奈良井宿同様に、この木曽平井の町並みも「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されていました。
国道19号線(木曽川に沿った交通量の多い幹線)そのものが中山道の一部であったり、近くの古い道が中山道であることが多かった。この地域の中山道はわかりやすく、平坦な道が多かった。歩くのに、それほどの苦労もしなかった。
贄川(にえかわ)宿に到着した時刻は、ちょうど正午であった。本陣や脇本陣はなく、「跡」の表示もなかった。ただ「深澤家住宅三棟」の建物は残っていた。深澤家は贄川宿屈指の商人で、その建物は、江戸時代末期の木曽地方における宿場の町屋建築の到達点を示すもの、と評価されていた(国重要文化財)。
また、贄川宿には関所が置かれていた。福島関所の副関所の役割をしていたようで、番所(贄川関所)の建物が復元されていた。月曜日は休館のため、内部を見学できなかった。外観のみカメラに収めた。屋根の上に石が乗せられていた。質素な関所だったらしい。「入り鉄砲に出女」と「木曽五木」の搬出を取り締まったとのことである。
国道19号線から離れて、旧中山道(桜沢旧道)をしばらく歩いて行った。この道は道幅が狭く、急坂があり、下を見れば崖の道だとわかった。(この道は江戸時代の道のままだろう、と推測した)
旧中山道・崖路コース歩きの後、国道19号線の広い国道歩きになった。しばらくすると、JR中央本線・日出塩駅の近くを通り、本山宿に到着。ここも本陣、脇本陣ともに「跡」の碑があるだけであった。(国登録有形文化財)の建物が一軒残っていただけで、江戸時代の雰囲気は感じられなかった。本山は「そば切り」発祥の地で、そば切りはこの地から全国に広まっていったとのことであった。そばを食べる方法として、「そばがき」が一般的であったらしいが、「そば切り」を大名など食べるようになって、そのうまさが江戸などにも伝わり、全国に広まっていったらしい。本山でそばを食べようとしたのだが、月曜日は休みで、残念ながら食べることはできなかった。(月曜日は休みが多い。「歩き旅」は月曜を避けようと思いましたね。)
本山宿から洗馬宿へは、3kmぐらいだったので、午後3時20分ごろに洗馬駅に到着できた。洗馬宿も5年前に来ていたので、宿散策はパス。洗馬駅で普通列車に乗るつもりで、時刻表を見たら、約1時間待ちだった。(2時間待たなくて、よかった!) ちなみに、地方路線では、2時間以上待つこともままありますよ。
JR塩尻駅近くのホテルに着いたのは午後5時前だった。予定よりも早く到着できました。本日歩いた行程は約20kmでした。朝から歩いたので、ゆっくり歩けました。歩数は34712歩でした。楽な歩き旅になりました。
3日目はJR塩尻駅から中津川駅へ、そして(快速で)名古屋駅へ。名古屋駅から3回乗り換えて、堺市駅に帰ってきました。青春18切符利用だったので、安価な交通費になりました。帰宅は午後5時前で、夕飯は自宅で食べることができました。
以上、中山道歩き旅の報告です。中山道69宿のうち、残すは(信濃路9宿と武州路7宿)合計16宿になりました。長野県や埼玉県など、大阪からは遠い地点の宿が残っています。来年(2023年)は、「中山道なんとか完歩」を達成したいです。
食べることは生きること。歩くことは生きること。書くことは生きること。がんばります!
木曽平沢 (重要伝統建造物群保存地区)町並みに入ったところ
漆器店が並んでいる町並み たぶん大火に見舞われなかった地域なのだろう
静かで落ち着いた町並みでした。建物群に江戸時代の雰囲気が残っていましたね。街道に車がありましたが、人に出会うことはなったですね。静かな町でした。観光客は奈良井宿ばかりに集中しているのでしょう。中山道歩きをする人は奈良井宿より遠方~塩尻宿間は少ないようでした。私も、後回ししていました。
贄川関所(月曜日は休館 建物の中には入れず、残念。)
屋根の上がよく見える角度から撮ったもの
写真に写っている線路は、JR中央本線です。列車の窓から「贄川関所」が見えるはず。
旧中山道 江戸時代の街道のようです。崖路でした。左下のかすかに見えているガーレールが車道です。あまりの崖路だったので、緊張しましたね。(雪が積もってなくて、ほっとしました。雪道の一人歩きは怖いですから。)
本山宿 脇本陣跡 (江戸時代の雰囲気はなかった)
洗馬(せば)宿も江戸時代を思わせる建物はなかった。