伯父は母(故人)の姉(故人)の連れ合いだから
私とは血の繋がりは無い
私が幼稚園児の時、父が胃潰瘍の手術をする時
退院まで約1か月(夏休みだったのかな?)
伯父の家でお世話になっていた
伯父夫婦には子供はいなかったから、すごく可愛がってもらった
ペットのぴーこ(猫)と一緒に寝たりして一人っ子生活を満喫したというか
とにかく楽しかった記憶がある
父が回復してからも毎夏、今度は兄も一緒に旅行に連れて行ってもらった
側から見たら普通の家族旅行に見えてだろうな
(多分)小学校4年くらいまで毎夏恒例行事だった
実際父が全快してからはその恒例行事も無くなり
伯父の家に泊まることもなくなった
母が近くにある菩提寺にお墓まいりに行く時に
立ち寄るというパターンになった
その後私も学生や就職した頃は全く疎遠になっていた
そして結婚となった時、写真が趣味の伯父にカメラマンをお願いした
今は式場で決められたカメラマンなりじゃないと
撮影許可されないと思うけど昔は大丈夫だった
(打掛やドレスの持ち込み料もかからなかった)
次に会ったのは長女が産まれた時
次は七五三…と間隔は長いけど普通の親戚づきあいという感じ
長女がたぶん小学3年くらいの頃か
伯母はかなり前に手術した際の輸血で肝炎を発症し
これが元で亡くなってしまった
伯母が危篤という時に慌てて見舞いに行ったが
呼吸器に繋がれた伯母と会話は勿論、私が来たこともわからなかったと思う
あんなにお世話になったのに不義理をしてしまったと後悔した
伯母の入院先の病院が実家のすぐ近くだったこともあり
母がしょっちゅうお見舞いという名の介助に行っていたのは知っていた
母は姉のことが大好きで頼りない姉をほっておけなかったようだ
伯母が亡くなって3回忌過ぎた頃なのか?実際の日時はわからないが
伯父の家に行ったら知らない女性がいたとショックを隠し切れで狼狽していた母
後から話を聞くと伯父と同郷の幼馴染
(現在の伯母にあたる人)
亡くなった伯母とも顔見知りで仲が良かったと
そしてこの人も旦那さんに先立たれ、たまたま近くの団地に引っ越していた
亡くなった伯母が引き合わせたとこの人は言っていたが、
母的には後添いとしては認めていなかったと思う
(母が認めようが、認めなくても関係無いことだけど)
内心は面白く無かったんだろうと思う
この現在の伯母と私が会ったのは7年前の父の葬儀の時
母はこの時既に施設に入所していたから
初対面で(この方誰?)自己紹介も無く伯父の横に居る人に戸惑った
次に会ったのは2年後の母の葬儀
この時、伯父は膵炎の手術で入院中だったので実際の葬儀の時は参列できず
49日忌の時の納骨式に参列してもらった
それから毎年父母のお墓まいりの度に寄るようになった
(亡くなった伯母のお墓も隣同士だし)
2年前の3月のお彼岸にいつものように立ち寄ると
「この家、売れたから来月引越しすることになったから」
寝耳に水!って感じだったけど、出来る範囲でお手伝いしますと言った
引越しの際は色々あったけど、無事に引越しも終わり
念願だったという高層住宅の11階に住んで快適に過ごしていた
引越しの時からもう80歳を過ぎたのだから、車の運転は辞めたらどうか?
車も処分したら?
それと何より徒歩圏に大病院があるのだから、今の病院に転院の手続きを取ったどうか?
と助言していた
が、都度、まだ大丈夫。が伯父の返答だった
が!今回の件で退院してきたら真剣に考えてもらうつもりだ
入院の時の伯父の生年月日もわからない、保険証は?薬は?
と普段一緒に暮らしいない私はまごついちゃいます
確か、携帯電話の解約も車の処分って名義人本人じゃないと簡単にできないらしいし
こんなこと言ってはアレだけど
亡くなった時の残務整理は1つでも少ない方がいいのは実体験済み
伯母とは籍は入ってなく、同居人、いわゆる内縁ってやつだから
姪の私に後は頼むと言われても正直困る
伯父にはお世話になったからという恩義はある
だけど伯母とは全くの他人だし、付き合いは浅い
だから、なんで私が?って気持ちが少なからずある
特に今風邪ひいて身体も弱っていているからか
実父母の介護を7年以上してやっと終わった!と思ったら再びですか?
なんで私ばっかり…
でもほっておけないのが現実だ
長々と書いたが、最終的には愚痴だったな
私とは血の繋がりは無い
私が幼稚園児の時、父が胃潰瘍の手術をする時
退院まで約1か月(夏休みだったのかな?)
伯父の家でお世話になっていた
伯父夫婦には子供はいなかったから、すごく可愛がってもらった
ペットのぴーこ(猫)と一緒に寝たりして一人っ子生活を満喫したというか
とにかく楽しかった記憶がある
父が回復してからも毎夏、今度は兄も一緒に旅行に連れて行ってもらった
側から見たら普通の家族旅行に見えてだろうな
(多分)小学校4年くらいまで毎夏恒例行事だった
実際父が全快してからはその恒例行事も無くなり
伯父の家に泊まることもなくなった
母が近くにある菩提寺にお墓まいりに行く時に
立ち寄るというパターンになった
その後私も学生や就職した頃は全く疎遠になっていた
そして結婚となった時、写真が趣味の伯父にカメラマンをお願いした
今は式場で決められたカメラマンなりじゃないと
撮影許可されないと思うけど昔は大丈夫だった
(打掛やドレスの持ち込み料もかからなかった)
次に会ったのは長女が産まれた時
次は七五三…と間隔は長いけど普通の親戚づきあいという感じ
長女がたぶん小学3年くらいの頃か
伯母はかなり前に手術した際の輸血で肝炎を発症し
これが元で亡くなってしまった
伯母が危篤という時に慌てて見舞いに行ったが
呼吸器に繋がれた伯母と会話は勿論、私が来たこともわからなかったと思う
あんなにお世話になったのに不義理をしてしまったと後悔した
伯母の入院先の病院が実家のすぐ近くだったこともあり
母がしょっちゅうお見舞いという名の介助に行っていたのは知っていた
母は姉のことが大好きで頼りない姉をほっておけなかったようだ
伯母が亡くなって3回忌過ぎた頃なのか?実際の日時はわからないが
伯父の家に行ったら知らない女性がいたとショックを隠し切れで狼狽していた母
後から話を聞くと伯父と同郷の幼馴染
(現在の伯母にあたる人)
亡くなった伯母とも顔見知りで仲が良かったと
そしてこの人も旦那さんに先立たれ、たまたま近くの団地に引っ越していた
亡くなった伯母が引き合わせたとこの人は言っていたが、
母的には後添いとしては認めていなかったと思う
(母が認めようが、認めなくても関係無いことだけど)
内心は面白く無かったんだろうと思う
この現在の伯母と私が会ったのは7年前の父の葬儀の時
母はこの時既に施設に入所していたから
初対面で(この方誰?)自己紹介も無く伯父の横に居る人に戸惑った
次に会ったのは2年後の母の葬儀
この時、伯父は膵炎の手術で入院中だったので実際の葬儀の時は参列できず
49日忌の時の納骨式に参列してもらった
それから毎年父母のお墓まいりの度に寄るようになった
(亡くなった伯母のお墓も隣同士だし)
2年前の3月のお彼岸にいつものように立ち寄ると
「この家、売れたから来月引越しすることになったから」
寝耳に水!って感じだったけど、出来る範囲でお手伝いしますと言った
引越しの際は色々あったけど、無事に引越しも終わり
念願だったという高層住宅の11階に住んで快適に過ごしていた
引越しの時からもう80歳を過ぎたのだから、車の運転は辞めたらどうか?
車も処分したら?
それと何より徒歩圏に大病院があるのだから、今の病院に転院の手続きを取ったどうか?
と助言していた
が、都度、まだ大丈夫。が伯父の返答だった
が!今回の件で退院してきたら真剣に考えてもらうつもりだ
入院の時の伯父の生年月日もわからない、保険証は?薬は?
と普段一緒に暮らしいない私はまごついちゃいます
確か、携帯電話の解約も車の処分って名義人本人じゃないと簡単にできないらしいし
こんなこと言ってはアレだけど
亡くなった時の残務整理は1つでも少ない方がいいのは実体験済み
伯母とは籍は入ってなく、同居人、いわゆる内縁ってやつだから
姪の私に後は頼むと言われても正直困る
伯父にはお世話になったからという恩義はある
だけど伯母とは全くの他人だし、付き合いは浅い
だから、なんで私が?って気持ちが少なからずある
特に今風邪ひいて身体も弱っていているからか
実父母の介護を7年以上してやっと終わった!と思ったら再びですか?
なんで私ばっかり…
でもほっておけないのが現実だ
長々と書いたが、最終的には愚痴だったな