24時間テレビ内ドラマ
決して原作にケチをつける訳では微塵もありません
ドラマを見て一個人が感じたことです
不快に思われる方がいましたら…それもお許しを…
どうしても吐き出さないと…という気持ちになってしまいました
父の時を思い出し、途中で辛くなって観るのを止めました
(臨終の所までは観ましたケド…
不治の病発病+家族の愛+絆+最後の日まで一生懸命生きる
←これって感動の押しur…
さぁ~どうぞ泣いてくださいの演出…
絆のおしつけ
正直言って24時間テレビ自体が嫌いなのでいつもは観ないのですが
山ちゃん目当てで観ました
山ちゃんが難しかったという役柄…信夫
(原作には登場するのでしょうか?)
私もこの信夫の心情が全く理解できなかった
いや、理解というより同じ心理かもしれないけど
←あれ?意味不ですね<m(__)m>
でも霊安室が心のよりどころって精神を病んでいる人みたいだった
義足を見せて(晒して)募金集めも
偽善だ!募金する人も偽善者だっ!って言われているようで…
こんな自分でも誰かの役にたっているとは…思えなかった
出演者は当然のことながら皆、演技も上手で、お母さん役の岸本さんの涙の演技には何度も涙した
年齢に関係なく身内が余命宣告されたときは(何でうちなの?代われるものなら代わってあげたい)と誰でも思うだろう
事実、それまで何度も手術をしてきた父に対して娘の私が代わってあげたかったくらいだし
亡くなった時からしばらくの間、一緒に逝きたいとも思っていた
信夫じゃないけど人はいつか死ぬんだし、
健康診断や風邪引いて病院に行くことは無意味だと思っていた
いくら気を付けていても不治の病になるのは想像もできないことだと思ってる
もし、出先で事故に遭ってしまったらそれが仕方のないことだったとも思う
ただ、これはあくまでも自分に関してのこと
子供たちがそういうことになったら…私は、生きていられないと思う
ドラマは死を覚悟した人間の苦しまない最期だったようだけど
父は違う!まさか、自分が死ぬとは思っていなかったと思う
主治医に今日明日には…と言われた時でも私は父は死なないと思っていた
看取り医師(光石さん)が「本人は痛くない(苦しく?)ですから」と言っていたが
父の臨終のときは息使いも荒くて傍についていてその様子に苦しそう、辛そう、可哀想との想いでいっぱいだった
「お父さんがんばれ!」と言えば持ち直したのか?との後悔もある
苦しみに顔を歪ませてる父を見て「お父さんもういいよ」と言うのが精一杯だったから…
7月に3回忌を行ったが寿命・天命だったとはいまだに思えない
闘病中に「もう死んじゃいたい」と言った父
「神様から与えられた命だからそう簡単には死ねないのよ」と私
認知症が発症した頃、嫁に「お金ちょうだい」と言った母
嫁が何に使うのかと聞くと「電車に乗って死に行くから」
そのことを聴いて母に父と同じこと言ったら
天井に向かって「神様早く迎えにきてください」と叫んでいた母
死に対して、前向きになんてなれる訳もない時間だけがただ過ぎている
やりたいこと・やり残したこと…特に何もなく
あと何年生きなきゃいけないの?
こう言うと(生きたくても生きられない人の気持ちを考えろ!)と言われるね
かと言って、全然虚しい日々を過ごしているわけでもなく…
娘と外食行ったり、旅行に行くのは間違いなく楽しい時間なんだけどね
ドラマを観ちゃったもんは仕方ないけど、やっぱり観なきゃよかったと思った
決して原作にケチをつける訳では微塵もありません
ドラマを見て一個人が感じたことです
不快に思われる方がいましたら…それもお許しを…
どうしても吐き出さないと…という気持ちになってしまいました
父の時を思い出し、途中で辛くなって観るのを止めました
(臨終の所までは観ましたケド…
不治の病発病+家族の愛+絆+最後の日まで一生懸命生きる
←これって感動の押しur…
さぁ~どうぞ泣いてくださいの演出…
絆のおしつけ
正直言って24時間テレビ自体が嫌いなのでいつもは観ないのですが
山ちゃん目当てで観ました
山ちゃんが難しかったという役柄…信夫
(原作には登場するのでしょうか?)
私もこの信夫の心情が全く理解できなかった
いや、理解というより同じ心理かもしれないけど
←あれ?意味不ですね<m(__)m>
でも霊安室が心のよりどころって精神を病んでいる人みたいだった
義足を見せて(晒して)募金集めも
偽善だ!募金する人も偽善者だっ!って言われているようで…
こんな自分でも誰かの役にたっているとは…思えなかった
出演者は当然のことながら皆、演技も上手で、お母さん役の岸本さんの涙の演技には何度も涙した
年齢に関係なく身内が余命宣告されたときは(何でうちなの?代われるものなら代わってあげたい)と誰でも思うだろう
事実、それまで何度も手術をしてきた父に対して娘の私が代わってあげたかったくらいだし
亡くなった時からしばらくの間、一緒に逝きたいとも思っていた
信夫じゃないけど人はいつか死ぬんだし、
健康診断や風邪引いて病院に行くことは無意味だと思っていた
いくら気を付けていても不治の病になるのは想像もできないことだと思ってる
もし、出先で事故に遭ってしまったらそれが仕方のないことだったとも思う
ただ、これはあくまでも自分に関してのこと
子供たちがそういうことになったら…私は、生きていられないと思う
ドラマは死を覚悟した人間の苦しまない最期だったようだけど
父は違う!まさか、自分が死ぬとは思っていなかったと思う
主治医に今日明日には…と言われた時でも私は父は死なないと思っていた
看取り医師(光石さん)が「本人は痛くない(苦しく?)ですから」と言っていたが
父の臨終のときは息使いも荒くて傍についていてその様子に苦しそう、辛そう、可哀想との想いでいっぱいだった
「お父さんがんばれ!」と言えば持ち直したのか?との後悔もある
苦しみに顔を歪ませてる父を見て「お父さんもういいよ」と言うのが精一杯だったから…
7月に3回忌を行ったが寿命・天命だったとはいまだに思えない
闘病中に「もう死んじゃいたい」と言った父
「神様から与えられた命だからそう簡単には死ねないのよ」と私
認知症が発症した頃、嫁に「お金ちょうだい」と言った母
嫁が何に使うのかと聞くと「電車に乗って死に行くから」
そのことを聴いて母に父と同じこと言ったら
天井に向かって「神様早く迎えにきてください」と叫んでいた母
死に対して、前向きになんてなれる訳もない時間だけがただ過ぎている
やりたいこと・やり残したこと…特に何もなく
あと何年生きなきゃいけないの?
こう言うと(生きたくても生きられない人の気持ちを考えろ!)と言われるね
かと言って、全然虚しい日々を過ごしているわけでもなく…
娘と外食行ったり、旅行に行くのは間違いなく楽しい時間なんだけどね
ドラマを観ちゃったもんは仕方ないけど、やっぱり観なきゃよかったと思った