流星のきずな☆彡

2009.8月からの〜雑記~最近はボャッキー気味

2014-01-20 12:54:19 | 父 母
母の最期の時まで記録として残します

内容的に問題があるかもしれません
閲覧注意です



死亡診断書には脳梗塞と書かれてる
そうか…心不全じゃなかったんだ

昨年26日に息子も公休だったから一緒に面会した
自室だったせいか(いつも蛍光灯が暗い)とても顔色が悪くみえた
息子「おばあちゃん、痩せちゃったね」

それもそのはず4年前の記録には43kg
いまは28kgにまで落ちているから…

このとき左足の甲の部分がぽつぽつと赤くなっていた

翌27日、紫色に…
翌28日、茶黒になっていた…
28日の医師の説明では左足の甲に血栓ができてしまい
当然のことながら血流が止まっているため
既に壊死が始まっているとのこと

私には1日単位、いや、数分単位で壊死していったようにもみえた

幸いにもこの部分に限っては本人には痛み等の感覚は無いらしい

少し見えてる爪が既に真っ黒だった

・足を切断するという選択肢
(もちろん手術に耐えられる体力は無い)

・血栓予防の薬の服用
脳出血のリスク(危険)が伴う

足は感染症を起こさない為にも
毎日に消毒はするがそのままの状態で見守ることにした

当初、看護婦さんが消毒する様子、要は患部をみせてくれたが
29日には壊死した皮膚が所々裂けてきた
30日には家族の者にみせるにはあまりにも残酷とのことで
消毒中は部屋の外へ出された

今後どのようになるのかも聴いてみたら
裂けた皮膚から水(体液?)が出て、出切ったら乾燥して茶褐色になっていくだろうと
消毒等のケアをしてるので腐敗臭は出ない、骨は腐らないので足が落ちるとかそういうことは無い

30日にはすっかり包帯で覆った
それまで辛うじて見えていた親指の爪の所だけが真っ白く見えていた
だが、くるぶし付近に血栓ができたためかそこより上まで(すねとか)は壊死しなかった

いくら足の感覚が無いとはいえ、擦るとか撫でるとかしてあげたかったが
状態が悪くなったり万が一感染症でも引き起こしたらと思うと
私にできることは声かけしかできなかった

28日のムンテラ後、静養室に移動
29日には家族用にソファーを入れてくれた

29日から絶飲食・投薬も中止
もちろん本人の様子次第で高カロリーゼリーや水分の補給は今まで通りにする

やっと、ほんとにやっと兄夫婦が面会にきてくれた

父の時にも見舞いに来て欲しいと何度も言ったが
「お前が、親父もうすぐ死ぬかもしれないって言ってるけど、ちっとも死なないじゃないか」と言われた
いくら父と合わないからと言ってもこの発言に私は兄に失望を通り越し絶望した

母を施設に入れたときも私は姥捨てした気分だったので
せめて面会は頻繁にしようと実行していた

4年前はまだ自分が誰か理解していたが、私の事は亡くなった自分の姉と思っていたようで
「姉ちゃん」と呼びだった
それがもの凄く嫌で認知症の人への対応は否定してはいけないが鉄則なのに
私は「違うよ、姉ちゃんは死んだじゃない、○子だよ」と何度も言ってしまっていた

そのことを兄に言ったせいか
「俺が行ってもどうせ解らないだろう」と言って
終末期に入るまで一度も面会に来なかった兄

昨年7月に脳梗塞の疑いで検査した時(このときは脱水症状からくる失神だった)
施設から看取り期について話をしたいので、強引に兄に施設にくるように言ったので
それが4年目にしてやっと実現した初めての面会…

このとき看護婦さんに「久しぶりに会ったお母様はどう見えました?」と聴かれ
兄「痩せてはいるけど、そう変わっていないような…」と返答してた

画像は静養室(もちろん生前中の写真です)

特養なのに明るく楽しく過ごさせてくれたこのホーム まさにアットホームでした








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