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ちょっくら調べてみました 

2021-04-13 21:21:25 | 聖書

聖地旅行もしたことないので、ユダヤ教については詳しくないのですが、興味があったので、

ユダヤ人が二人のメシアを信じていることについて、ザックリ調べてみました。

・ダビデの系統のメシアMessiah ben David

・ヨセフの系統のメシアMessiah ben Joseph(ヨセフとは旧約聖書に登場するエジプトの高官になったヨセフの事です)

 

ページの最終部分の、古代ユダヤ教のラビたちの見解という項目から、以下、抜粋してみました。

>>この箇所は、メシア預言である、としています。

しかし、聖書のメシア預言には、二通りのパターンがあります。ひとつは、メシアが苦難を受けるというパターン。もうひとつは、敵を打ち破り、支配し、そしてエルサレムを王都として統治するというパターンです。この矛盾をどう説明したらよいのでしょうか? もちろん、現代の私たちは、メシアは二回来る、一回目は受難のしもべとして、二回目は王として、というようにです。しかし、古代ユダヤ教のラビたちは、二人のメシアがいる、という想定をしました。

第一のメシアは、「ヨセフの子」のメシア。ヨセフは、エジプトで苦難を経験した人物です。ヨセフと同様に、第一のメシアは、来て苦難を受けて、しもべ預言を成就して死ぬ。その預言は53章にあるとおりです。

第二のメシアは、「ダビデの子」のメシア。このメシアは来て、第一のメシアをよみがえらせます。それから、メシアの王国を建て、支配し、統治します。

このように、古代ユダヤ教のラビたちは、メシアが二回来るという正しい理解をすることはできませんでしたが、メシア預言の中にメシアが死んで復活するという教えが含まれていることは正確に把握していたと言えます。

 

ユダヤ教では2人のメシアですが、キリスト教では、イエスが2人分を網羅しています。2人ではなく、2回、来られるということです(初誕2000年前と再臨)

(長すぎるので訳しませんが、英語ではコチラの記事を見つけました。興味があれば参考にして下さい。)

 

ユダヤ教の指導者たちを困惑させるメシア預言【イザヤ書53章】

「イザヤ53章の解説」 + 「それを知った、あるユダヤ人の反応(証)」について紹介! キリスト教嫌いのユダヤ人青年が、はじめてイザヤ53章の...

眠れる羊たち

 

 

そして、どうして、ユダヤ人が、イエス様がメシアだと信じれないその理由は、このようなことです。

また、イエス様が起こした数々の奇跡は、神からのものでなく、魔術の可能性だってあるという疑いからも来ています。確かに、古代から魔術師や占星術師が存在しており、不思議な現象をかもし出せる力を持つ人々が、旧約聖書にも登場しています。

 

また、ユダヤ教徒は、イザヤ書53章が、イエス様についての描写されている預言だということを信じていません。

どうしてなのかは、このイザヤ書の読み方、理解の仕方が、キリスト教とは違うようです。

では、彼らは どう理解しているのか、あるユダヤ人の記事の一部を抜粋しました。

>>This is a prepositional prefix meaning ‘from’ and not ‘for.’ A more accurate translation would be, ‘But he was wounded FROM our transgressions, he was bruised FROM our iniquities.’ This means that Isaiah 53 is not talking about a man who died ‘for our sins,’ but rather it is about a man who died ‘BECAUSE of our sins,’ or ‘AS A RESULT of our sins.’ In other words, they died because we sinned against them by murdering them. This, indeed, is the Jewish understanding of Isaiah 53: the nations of the earth will finally understand that the Jews have been right all along, and the sins committed against the Jews by the nations of the earth resulted in the death of countless innocent Jews.

彼は私たちの咎のために打たれた、という理解ではなく、彼は私たちの咎によって打たれた、という理解のようです。私たちの罪のために死んだ、という理解ではなく、私たちの罪の故に死んだ、という理解のようです。確かに、ちょっとしたニュアンスの違いで、大きく違ってきます。“世界の国々の民は、ユダヤ人に対して罪を犯したため、無垢な大勢のユダヤ人を死に追いやったことに、気付く日が来るでしょう。”というのがイザヤ書53章の理解のようです。ユダヤ人の理解は、イザヤ53章がイエス様のことではなく、迫害を受け続けたユダヤ民族の事だという見解です。

 

他の理由も、紹介します。

>>IN SHORT… Most Christians identify the messiah with Jesus, define him as Gd incarnate, and believe he died for the sins of humanity as a blood sacrifice. This requires that one accept the concept of vicarious atonement. However, as was illustrated and explained in the essay “One person cannot die for the sins of another,” this idea is the opposite from what is written in Deuteronomy 24:16, ‘Every man shall be put to death for his own sin’ — also expressed in Exodus 32:30-35 and Ezekiel 18. The mainstream Christian idea of the messiah also assumes that Gd wants and will accept a human sacrifice. After all, it was either Jesus-the-human or Jesus-the-Gd who died on the cross. Jews, and presumably, Christians as well, believe that Gd cannot die, and so all that Christians are left with, in the death of Jesus on the cross, is a human sacrifice. However, in Deuteronomy 12:30-31, Gd calls human sacrifice an abomination, and something He hates: ‘for every abomination to the Etrnl, which he hateth, have they done unto their gods; for even their sons and their daughters they have burnt in the fire to their gods.’ All human beings are sons or daughters, and any sacrifice to Gd of any human being would be something that Gd would hate. Therefore, the Christian conception of the messiah consists of ideas that are unbiblical.

“キリストが人類の罪の身代わりとなって死に、罪を贖って下さった”とクリスチャンは信じますが、ユダヤ教では、“ある者が他人の罪の身代わりとなることは無効である”という考えのようです。キリスト教のこういう教えは、神が人間(イエス)を生贄とする人身御供を容赦する存在だということです。イエスが十字架の死に至ったのは、人身御供を神が許したことになる。ですので、人間の生贄を禁じる聖書の神が、イエスの人身御供を用いることは、ありえない。

 

いやぁ、調べてみて、初めて私自身も知った理由です。なるほど、そういう見解だったんですね… と納得しました。

確かに、キリスト教と、“罪の贖い”の捉え方の根本から違っています。

神さま自らが低くなり、イエスとなって人間界に降りて来られ、人々の中に住まわれ、人類の罪のために自ら犠牲になって下さったという愛の証なのですが、これは、ユダヤ人だけでなく、どの国籍の人にとっても、神の自らの犠牲の愛にピンと来ないと思います。

“俺は、十字架で身代わりになって死んでくれ… なんてイエスに頼んでないぞ!イエスと俺は無関係だ!”というような日本人は多いかと思います。

かつての私もそうでした。罪びと・・・ピンと来ませんでした。殺人や犯罪を犯してないし、自分よりモラル的に悪い人は大勢いるし、“自分自身が罪びとである”と完全に自覚するのは難しかったです。それも、その時、まだ16歳。

そして、自分の罪のために神様が死んでくださった・・・ということを理解するのは、ポジティブな勢い(=信仰)が必要です。

出会ったことないイエスを信じてみる。これが出来れば、既に信者と同様。まいった! (-_-;)V 

出会ったこともない2000年前に生きたイエスを信じること自体が、神からの奇跡のワザです。聖霊が働かない限り、頭で理解することでは無理です。

そう信じてみたい!と前向きであるなら、聖霊が働かれている証拠です。👏(^^)💐

心を頑なにせず、“このことがホントであるなら示して下さい”と、あなたが 神様に尋ね始めた日、神様は想いを聞いておられます。そして、応えて下さいます。

 

 

 

 

 


どうしてイエスにしか救いがないのか?

2021-03-15 07:40:12 | 聖書

昨日、見つけたこの方のブログを少しずつ読み始めましたが、この方、目の付け所が違います。

いやぁ、凄い洞察力です。もともとの知識がないと、ここまで説明出来ません。

この方は、discenring 以上に、他にも、同等の量、若しくは、それ以上の別の賜物を持っていらっしゃいます。

私は、神道の神が聖書の神だ と信じています。

“神道五部書”のルーツは”モーセ五書”だと、キリスト教に改宗した元神官さんが言ってたよ!と、元神官と同じアパートの棟に

住んでいた友人から聞きました。

神道だけでなく、シルクロードでの交易が盛んな時代に、仏教の一部にも聖書の神の教えが紛れ込んだとも私は信じています。

仏典の教えの中に、新約聖書の教えと全く同じ教えがいくつも存在します。毒ヘビの毒についての新約の箇所の聖句と、全く同じ教えが仏典にも存在している、と書かれた書籍を10代の頃に図書館で読み、とても驚いた記憶があります。

しかし、コチラのブログオーナーの方がおっしゃるように、神道・仏教が、イエスに出会う事の妨げになっているという指摘は、よく理解出来ます。

残念なことは、イエスの罪の贖いの教えが存在しない神道・仏教 には、”永遠の命”という救いが約束されていないのです。過去ブログに日月神事について言及した時に、その事を書きました

同じ神を信じていても、イエスを受け入れず、儀式中心という神道だけならば、律法主義的なユ教と変わらないと、神道の足りない点に触れました。

聖書の神(=神社の神) 御自身が 、イエスのことを、”私の愛する子、御子(イエス)に聞き従いなさい。”と人類に指示されました。

 

ソフトで例えて、わかりやすい説明をしてみます(^_-)

 

2,000年前、神御自身が、究極の必殺技ソフトを創られました。

永久保存版であり、最新かつ最後のアップデート版ソフトです。

これ以上アップデートをする必要がない、“イエス・キリスト”と呼ばれるスーパー完結版ソフトです。

イエスは最高にアップデートされた神の必殺技なのです。

人類の罪をあがなうための究極の必殺技ソフトです。それなのに、ゼロ円、無料ソフトです!‼ 

神の愛が、巨大でデカ過ぎる故に、出血大サービスにして下さいました!! 無料です!!1円も1銭もかかりません💝

そして、アップデートされたという事は、古いバージョンのソフト(ユ教、神道) には、神様の救いの計画において、互換性を失ってしまいました。

互換性がないので働きません。もう作動しないのです。ごめんなさい!!!🙇🙇🙇 

 

生贄、お供え、儀式、供養、行事などの律法を守るシキタリだけでは、”永遠のいのち”に至りません。

神様は、イエスを救い主として受け入れ、罪の悔い改めをすることだけ を人間に求めています。

お線香とお供え物ではなく、人間と個人的な心のスキンシップを求めておられます。

神様は宇宙を支配されており宇宙一富んだ方です。線香やお供え物や賽銭が欲しければ、自分自身で用意されます(^^)/

神様は物やおカネや行事を人間に求めていません。親と子のような、親友のような心の交わりです。

 

もちろん、神道や仏教を止めなさい”などと、言ってるわけではありません。私は無理な事は言いません。

でも、神様が "私の愛する子、彼に聞き従いなさい" と示されている方を 無視するのは、神に大反抗してるということです (;'∀')💦

神の代わりに来られた方というのは、神の代弁者です。(三位一体については、過去に説明しました。)

"江戸の者よ 聞け!この もんどころ"が目に入らぬか!!"というレベルではないスゴイおかたです V

シンプルにお伝えします。

ただ、イエスを知ってみたいというスペースを心のどこかの隙間に作ってみて下さい。そうすると、神様が徐々に出会って下さいます。

神様は、強制されない柔和な方です。

 

宗教が違うので神どうしで相性が合わないから…という心配はまったく不要です!

もし、神どうしで相性が合わないことが起きるのなら、真の神のほうが、偽物の神を淘汰して下さいます。

真の神こそ最強で、真の神だけが残ります。神でない神は、本当の神が来ると恐れを抱き、逃げていきます。

人間的に先入観を持ってアレコレ心配するのではなく、創造主に委ね  任せましょう。

まず、文化・儀式・シキタリなどという、人間の作りだした”しがらみ”から抜け出すのが大事です。

心をリセットしない限り、神に出会えません。自分の想いを少しでも入れると、神の語りや導きを見逃します。

 

そして、イエスが神から来たことが信じれることが出来ないならば、直接、創造主に「神様、あなたは誰ですか?あなたはイエスを送られましたか?彼はあなたから来た本物ですか、偽物ですか?」と祈り始めてみて下さい。

先入観も贔屓心も持たず、純粋に真剣な想いで創造主に問い続けるなら、神様が御自身の正体を知らせて下さいます。

創造主から答えを得るために必要なのは、祈りの中での集中力+想いのリセット+罪から離れる事です。

わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。詩編32:8

 

月間いのちのことば より

>>現代社会に生きる私たちは、どうもすぐに答えが欲しいと最短距離を行きたがる傾向があります。信仰においても「どうしたら」を考えすぎているように感じています。

「変わりたい、もっと成長したい」と思うとき、私たちはすぐに「どうしたら」いいのかを考え始めてしまいます。そうすると「私」に焦点が集まり、「神」が見えにくくなります。私たちの信仰の出発点を「神」にするためには、神が私に何をしなさいと言っているかを聞く必要があります。そのためには、「どうしたら」という思いを脇に置き、主の十字架の前に謙遜に進み出なければなりません。私たちが信頼して、神を見上げるとき、神は私たちを見捨てず、ご自分の道を歩むことを教えてくださいます。
神を見失いそうになったとき、私たちが“つらい”と感じるのは、自分のしてきたことや、自分の思いだけを握ってしまっていて、神ではなく、自分のことしか見ていない状態だからです。
今日はちょっとした新しい道を紹介します。それは、「自分のできることをするのではなく、できないことをする」という道です。自分のできることを探しているときは、神のほうを見ているようで、実は自分を見ています。だから神のほうを向くためにあえて、“できないこと”、または、“やりたくないこと”をするのです。
人はやりたくないことに直面すると、なぜやらなければいけないのかを考えます。なぜやらなければいけないのか理解できないので、やりたくないのです。「なぜ」と問い続ければ、本質に向かうチャンスがあり、自分の思いから脱却できる可能性があります。
教会の一人の青年の話をします。私が日曜日のメッセージで「(自分にとって)嫌なことを一日一回しよう」と言いました。数週間後、素直な青年は、それを実行していると教えてくれました。
彼の家では、兄弟で家の手伝いを分担しているそうです。あるとき、兄が疲れた顔をしていたので、自分は本を読みたかったけれど、代わりに兄の分の家の手伝いをしたと教えてくれました。「それは、すごいね」と伝えました。しばらくすると、「面白いことがあったんです」と教えてくれました。「嫌なことをしていると、自分がしたいと思っていた思いが薄れていった」というのです。
私は心の中で祈りつつ、大切なことを伝えました。

「実は、嫌なことをしようと言ったけれど、それ自体に意味はないんだ。本当に伝えたかったのは、今あなたが経験しているように、自分の思いを握っているその手が解かれ、心に隙間ができ、そこに神を見いだす体験をしてほしかったんだ。自分の思いを脇に置いたからこそ、神が私に『しなさい』と言っていることが何か、神の思いに向き合うことができるんだよ」と伝えました。

その隙間は、たとえ自分にできることがなくても、神が私に力を与えてくださる場所です。神の思いから「私」を始めるときに、神は「私」を超えた力を与え、「私」の理解を超える思いを与えてくださいます。自分にできないことを始めるとき、一瞬不安になります。でも、神から「私」が始まるとき、私たちは神のご計画と御力を信じて歩むことができます。
神は能力のゆえにあなたを必要としているのではなく、今のありのままのあなたを選んで、その存在を必要としてくださっている、という愛を受け取ることができるのです。

 

 

 


イエスはダビデの子孫なのか?という質問

2021-03-15 07:24:18 | 聖書

以前、スレに書き込んだことを紹介致します。(名前は AさんBさんC (私)牧師さん に設定します)

昨日、Bさんから“へその緒”の質問が来ていました。

イエスがこの世に来られた理由について、私なりに、わかりやすい蟻の例えで返答してみました ( ´艸`) 

アリッ そうだったんだ ! と何となくでも理解してもらえたらと…😅😎  

"イエスは ダビデの子孫ですか?"と聞かれた場合、あなたなら どう回答しますか?  (^^)/ 

~~~~~~~~~~~~

Aさん:イエスはマリアのみの子供として産まれているのだから ダビデの子孫ではない と思います。

      牧師さん:ルカ3章の系図によると、マリアもダビデの子孫です。

      C (私):おもしろい所に気付いたね。 ただ、ダビデの家系に生まれたのと、ダビデの子孫であるのは意味が違ってきます。聖霊によって身ごもったからマリアの子でもないんです。マリアの血も引き継いでないんです。要するにイエスは神だから神聖なんです。人間の姿を取って来られた神で、実は人間ではないんです。だからイエスには、数多くの奇跡、復活、再臨などが起きるのです。

      Bさん:Ⅽさんのコメントから新しい聖書理解がえられました。実は人間じゃない。神なんです。 少し衝撃的でした。へその緒 もなかった?て事ですかね。

     C (私):へその緒…おもしろい着眼点ですね👏(^^) 例えば、こんな風に考えてみて下さい。

Bさんが自分の庭を開放して育てた沢山の蟻たちがいます。餌も十分に与え、日々愛情をかけ、蟻日記もつけてて育てました。

しかし、自由を満喫している蟻たちが次第に悪ぶれて行きました。 隣の巣から食べ物を盗んだり、仲間の巣に水責めをしたり、他人の嫁さんを奪ったり、同性愛に浸り家庭を放り出し たり、麻薬の密売に関与したり、学校ではイジメやリンチを楽しんだり、売春ポルノ事業をはじめたり、そしてテリトリーの派閥が起きて戦争まで始めました。蟻の社会で、伝染病のようにドンドン悪が蔓延しはじめました。

Bさんは、自分の育てた蟻たちに、「止めなさい、まじめに生活し、お互い平和に暮らしなさい!」と蟻たちに一生懸命伝えたのですが、蟻たちは人間のコトバが理解出来ず、Bさんの叫びはスルーされました(^^;) 

そこで、Bさんは、蟻のコトバを話すために自らが蟻の姿となり、蟻の世界に"平和のメッセージ”を伝えるため降りて行きました。

そして、多くの蟻が、Bさんのメッセージを聞いて、この人は自分たちの味方だと理解し、行いを悔い改めました。

やがて Bさんのカラータイマーが鳴り始め、蟻の世界から去る日がやってきました。蟻たちとお別れの日が到来し、自分の世界に戻って行きました。

しかし、その後も、引き続き自分の庭に住む蟻の世界を見守り続け、蟻がピンチに遭遇した時、枝や葉っぱを使って助けたりしました。

この話と同じく、神であるイエスは、地上の人間界に来られ、十字架刑3日後に墓から蘇え復活し、自分の国である天に戻られました。そして、引き続き、人間たちを見守って下さってます。私たちは、人類の救世主であるイエスが再臨されるという約束を待ち望んでいます。

結論に至るまで長くなりごめんなさい😅💧 マリアが出産したので、へその緒はありました。性交をする前に身ごもったので男性の種からではなく、聖霊によってお腹に身ごもり始めました(神の霊がお腹の中にワープするようなカンジです)そこから、妊娠9カ月という身重になる過程は普通の母親と同じように経験しています。

イエスは神です。そして、この神の呼び名(ニックネーム)は沢山あります。 Holy Holy God (聖なる聖なるお方)です。一点のシミもない、雪よりも白いほど聖いお方です(人間の想像を超えた聖さです。)

 

※神が、イエスを、人間の種ではなく、聖霊によって宿らせたのは、イエスが神聖な方だという事です。

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Holy, Holy, Holy! Lord God Almighty (with lyrics)

Performed by: Neil Rondina Words: Reginald Heber, 1826 Music: John B. ...

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「聖なる聖なる」"Holy Holy Holy"*seseragi worship

 

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【讃美歌】66番「聖なる、聖なる」

 

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Holy Holy Holy Lord God Almighty .. [Agnus Dei]

such an anointed worship.... feel like falling down in th Spirit..!!ye...

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忙しい人は1.25倍速で聴いてみて下さい。

イエスのもたらした変革シリーズ(77) 神を認識する方法

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神の御子はなぜ来たのか?

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聖書の神と沖縄

2021-03-12 22:50:17 | 聖書

昨日、沖縄について、こういうメッセージを頂きました。とても興味深いです(^^♪

>>

沖縄の祭祀とキリスト教との類似点について
照屋寛範の「おきなわの宗教・土俗」
知念金徳「沖縄の風習とキリスト教」、両牧師の著書があります
宇野正美師や中島尚彦師のような研究書ではなく一般向け著書です

沖縄には多くの開闢神話伝承が伝わっています
何種類かの天地創造物語、人類誕生伝説も伝承されています
その一つが古宇利島に伝わる人類誕生物語です

私のグロブの2019年

8月1日に琉球開闢説話【4】

【5】は8月5日のグロブに投稿しています

それから古宇利島の名で検索できます

 

私が沖縄に数年住んでいた時は、このような情報を教えてくれる人が周りにいませんでした(^^;) 

沖縄で私が出会ったクリスチャンたちは、沖縄人の信仰対象が聖書の神とは別物だと思っている人たちでした。

もちろん、本土のクリスチャンにも、神社や仏教(聖徳太子、弘法大師系)をキリスト教と無縁だと思っている人たちが沢山います。

こういう話に、興味を示す人と、嫌がる人の2種類に別れます。

中○先生は、日本に古代10部族が渡って来たのを頭から否定してます。単なるモンゴロイドだと思ってます😓

 

ただ、12部族は日本だけでなく、世界中に散らばっています。

一番多いのがアラブ・アフリカ諸国。そしてアジア。インディアンや南米にもそうです。

どことは言えませんが、もちろん白人諸国にもいると思います。

セム人は民族(12部族)であって、人種と見るのは無理な気がします。ですので、肌の色が一種類だとは思いません。

 

他にもブログ内で気付いたのは、「33」という数字

この数字は、イエスキリストが33歳で十字架刑になったのを理由に、悪魔勢力が33を悪魔の数字であるかのようにしてしまいました。

(悪魔ルシファーは神になりたいので、神の模倣が趣味です。)

しかし、もともと、33という数字は、神様の数字であり力強い数字です。

神道も33という数字と関係があります。

 

聖書にある33という数字の関連:

イエスの母マリアが、父ヨセフと結婚したのは33歳の時。

ダビデが統治したのは33年間 ( Ⅰ歴代誌 3:4)

ヤコブの最初の妻レアが儲けた子供は33人(創世記46:15)

ノアの名前は計33回記されている(創世記)

アブラハムがイサクを授かった時、アブラハムという名前が33回記されている(創世記21:2-3)

33というのは神の最後の裁きを示す。

 

日本の話に戻りますが・・・

私は、雅楽なんか大好きです。いにしえ時代に、海を渡って文明の"ゆりかごの土地”から来た音ですよ。

君が代を歌う時、私は神様を想って歌います(^^)/

雅楽「越天楽」【中学音楽】楽器の特徴

〜 雅楽 平調「越天楽」-管絃- 〜 教科書に載っている内容を中心に、音楽と一緒に学習しよう 1.概要(約1分) 2.雅楽の種類 3.楽器...

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伊祖が伊勢と音が似ているのは、偶然ではないと思います。

伊祖神社と伊祖城跡(いそぐすくあと) 県指定史跡 浦添八景

平成30年9月19日(水)AM7:00 沖縄県浦添市伊祖3-58 伊祖公園内 琉球史に名君としてその名を残す、中山王国を築いた英祖王 誕生...

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前回の沖縄についてのブログ: スピリチャルな土地 - gooブログはじめました!

 


小人や妖精:巨人の書

2021-03-10 22:54:51 | 聖書

泉牧師、また面白い内容の説教でしたので紹介します。

実際、こういう内容に興味を持つ人が多いんじゃないでしょうか?👍

海外でも、エノク書や巨人については興味の的ですが、教会では全くといっていいほど扱われません。

 

実際、神も悪魔も天使も悪霊もいます。   

子供の頃を想い出して、好奇心を復活させて下さい。

世の中のスタンダードに囚われていると、神様と出会うのが難しくなります。

トランプ開示関連 聖書で解明できる小人や妖精伝説 巨人の書 2021年3月10日 泉パウロ 純福音立川教会 水曜礼拝

聖書で解明できる小人や妖精伝説 巨人の書 2021年3月10日 泉パウロ 純福音立川教会 水曜礼拝 https://blidal.jimdo...

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そして... 

神様がいるなら出会ってみたいと願えば、本当に出会えます!! 

"よく聞きなさい。分別心を捨てて幼な子のように無垢にならなければ、天国にはいること はできない。"マタイ 8:1-4 

" 主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
 手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。" 詩編24:3-4

 

子供の時のような純真だった心を想い出し、神様に出会えることを期待し、祈り始めて下さい。

必ず出会えます!!

あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、
わたしはあなたがたに会うと主は言われる。エレミヤ29:13-14

神もウソつかない