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日月神事について、思ったこと②

2020-10-14 00:57:58 | 日記
スレで返信した続き部分です。相変わらず、長文になりましたw (;^ω^)
 
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日月神事は、聖書の黙示録の預言に、あまりにもそっくりな部分が多々ありますね。
 
イスラム教のクルアンも聖書にそっくりなのをご存じですか? 
しかし、肝心な所が違うのです。イエスは十字架につるされず、イエスを裏切ったイスカリオテのユダが代わりに十字架に掛けられて死んだと言う、
イエスの死による人類の救済も復活も、全て無きものとする教えです。
イスラムの神も聖書の神です。しかし、クルアーンはイエスを、モハメッドの前に到来した預言者の一人だと教えています。神(神の御子)だとは教えていません。 
 
ものみの塔も、イエスが神の御子ではなく三位一体を否定しています。地獄の存在も否定しています。ものみの塔独自の訳を付けて聖書のもともとの内容を改竄しています。
 
モルモン教は、イエスとルシファーが双子だったと教えています。また、聖書よりモルモン経典を重んじます。三位一体も否定しています。
当初は、白人優位=黒人蔑視という思想観念があり、白人のみ会員になれるという教えでした。
 
このように、少しの違いが命取りになり、真実から逸れていく教えは溢れています。
日本人だから日月神事を信ずべきというのは、日本人は着物で生活すべきというのと同じです。
神様は宇宙を創られたたユニバーサルなお方です。
中国人は中華思想、米国人はアメリカファースト、韓国人は反日愛国… これらの思想概念のスケールが狭く、自国に囚われており、神様の目から世界を見れてない価値観です。
日本人も島国だけの愛国に偏り過ぎると、神の視点で世界が見えてきません。神は、特定の人種や民族を贔屓されません。
 
聖書には、「神を信じる者はこの世の寄留者」だと書かれています。英語ではsojournerです。一時の滞在者、旅人という意味です。 この世界に属さない者ということです。
この世はやがて滅び去るので、いずれ行くことになる永遠の場所である神の国(天)に想いを抱きなさい。天に宝を積みなさい。とあります。
 
悪魔は巧妙、かつ狡猾です。悪魔は神のモノマネばかりします。真実と嘘を混ぜて洗脳するのが得意です。それらしい偽物を信じ込ませ、唯一の真実から遠ざけるのです。
被造物の中で、一番賢いのが悪魔です。悪魔の別名は、Father of ALL Lies (嘘つきの親玉)と言われます。地球一の大ペテン師です。神の次に賢いのが悪魔です。
例えば、ブランド物にはバッタものが沢山あります。本物と見分けがつかないほど精巧に作られています。 大勢の人が偽物だと気付かず、騙されて買ってしまいます。
ブランドに詳しい人に指摘されるまで、気付きません。
そして、騙される人たちは本物に疎い人たちです。
 
 
長くなりましたが、以下が伝えたいことのハイライトです。
 
神社の神は確かに聖書の神です。というのも、神道のルーツはユ教です。
ユ人たちも、とても神を崇めており、儀式と風習と律法を守っています。しかし、儀式や律法を守るだけでは救われません。
神を祀って儀式したり、立派な宮を建てたり、祭りごとをしたり、お供えものをすること・・・こういうことを神は要求されていません。
儀式や行いや祭りごとや習慣を守ることと、神を愛する事とは別物です。
残念ですが、神道もユ教と同じ要素を持っているので、儀式止まりです。
 
御子イエスを信じることで、真の救いに預かります。 自分の罪を悔い改め、神が人間の罪の贖いのために遣わした御子イエスを個人的な救い主として受け入れることだけです。
 
現在に至るまで、大勢の異邦人(イエスを信じた世界中のキリスト教徒)が救われました。
そして、神はレムナント(世界中に離散した古代イスラ工ル人の末裔)を救うために再臨されます。
神様は人間を愛しておられます。
 
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」 使徒言行録4: 12 
 
イエス・キリストこそ、神自身であり、2000年前、神御自身が人間の肉体となって人間界に降りて来られました。
神は三位一体です。例えにすると、水は、冷やしたり熱することによって、氷や蒸気などに変化します。固体・液体・気体に変化可能という事です。
神御自身も、人間の肉体となった御子イエス、遍在可能な霊(聖霊=Holy Spirit)になれます。これが、三位一体です。
 
イエスは、ユ教の儀式や動物の生贄という風習から解放するため、また人間に『愛』『人間らしく生きる』ということを教えに来られました。
寂しい者や世間から弾かれた者を顧み、多くの奇跡をもって貧しい人を食べさせ病人を癒されました。
人を生かすのは『愛』であり、参拝や儀式(宗教行事)ではないのです。
 
神御自身が、人間を罪から贖うために十字架で最後の生贄となり、動物の生贄の儀式を廃止するために来られました。
それゆえ、御子イエスを信じる者には、永遠の命が約束されています。
 
 
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。 しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。 ヨハネ3:16-21


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