12月7日金曜日に青山さんは硫黄島へ取材へ向かわれる前に、「どうしても
行く前にこれから硫黄島へ出掛けることを書き留めておきたかった。なぜ だろう」と記された。
私は青山さんの7日のブログ内容が気になって仕方なかった。
翌週12月13日水曜日「スーパーニュースアンカー」にて報道された
青山さんの硫黄島レポートは想像を超えたインパクトある内容で胸に迫った。
『硫黄島からの手紙』は12月9日から封切られた話題作であったし、何より
青山さんからの渾身のメッセージも受け取ったばかりだったので昨日
早速この映画を鑑賞する事とした。
※ネタバレを含む事になるのでまだご覧になって居られない方はここで一旦
この処感を閉じて下さい。そして映画鑑賞後良かったら私の感想も読んで下されば
嬉しいです。
・
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主要登場人物である「栗林忠道陸軍中将」を演じた渡辺謙の存在感の大きさがこの映画の基礎をしっかりと支え大黒柱としての役割を果たしていた。
栗林中将の明晰なる作戦が、「硫黄島での戦い」を後世に語り継がせるほど秀逸であったので、当初たった5日で陥落してしまうとされた戦いが36日にも渡る日米の攻防戦となっていった。それは当時「玉砕」を美学としていた従来の日本軍の方針とは異なる「一日でも長く生きて最後の一人になるまで戦い続ける」という過酷な全く勝機がない持久戦を意味するもので、最後の5日間は水さえなくなり食糧補給もかなわない飲まず食わず状態まさに壮絶な激戦となった。
栗林中将は開戦前には米国ハーバード大学で学んだ親米家であり、家庭にあっては穏やかな優しい温かい夫であり父でもあった。しかし戦争となり日本を守る最前線拠点である「硫黄島」へ赴任された際、彼は決して生きては帰れないと覚悟の上で任にあたる事となった。なぜなら、彼はアメリカの実力・戦力を肌で理解している国際人であったからだ。
この映画にはもう一人、コスモポリタンである栗林には頼もしい理解者オリンピック金メダリストである西武一中佐(バロン西)の存在があった。同じく、生きて帰れないと覚悟の上で硫黄島赴任を受け入れ、栗林を支持し最期まで尊厳ある人間味ある生き方をまっとうした人格者として描かれていた。負傷した米兵を助け手当てをしようとする姿は今までにない「戦争映画」の一コマ。
戦士であっても人は人、敵味方意識を越えて握手する場面、翌朝怪我がもとで亡くなった米兵が持っていた母からの手紙を朗読する場面にはジーンとさせられた。
そしてごく一般人である一兵卒西郷の存在も大きい。彼は大宮で新妻とつましくパン屋を営んでいた若者であり家族が非難されないよう不承々、戦争に駆り出されては来たが家族の為には絶対に生きて帰ると密かに妻に誓った人物である。
…物語は2006年、夥しい手紙の数々が61年の時間を超えて、地中から発見された。
この島で戦い散った戦士たちがそれぞれの大切な人へ宛て書き残した手紙。
この手紙が何故埋められていたのか…。
一気に戦況が悪化するばかりの1944年6月、「硫黄島」栗林中将が使命を託され降り立つ場面へと移り、彼が命果てるまでの克明なまるで記録映画のように抑制されたトーンのストーリー展開へと続く。
栗林は従来の考え方を覆す「地下要塞」建設を指示した。丸腰での戦いでは直ぐ壊滅状態となることを見透かしての作戦で画期的だったが、「玉砕志向派」と云える旧来の日本軍の戦い方に拘泥していた伊藤中尉は栗林に反発、最後はただ一人体中に爆弾を掛け戦死した兵士の間に横たわり米側の虚をついた彼なりの闘いを試みたが思惑通りに事が運ばず力果て米側に捕虜として不本意にも確保されてしまった。
時には情報が錯綜し連絡ミスも起き無意味な死さえに起きる日常は生活するだけでも過酷な彼等に「不安」を与えていた。
長引く攻防戦の中では投降を試みる者も出たが、腰に巻いていた千人針を白旗代わりに揚げ捕虜 として確保されても米側の下級兵の判断で殺されてしまうエピソードなどはある意味、監督の冷静な視点を感じられフェアーな観点で映画を創られていたと感じた。
圧倒的な戦力を誇る米国側の様子は、大海原に列をなして浮かぶ戦艦、そして空中を埋め尽くす爆撃機の数、雨霰の如く降り注ぐ砲弾の量で表現されていて圧巻であったが、目を覆うばかりの戦闘シーンは音も爆撃の様子もあまりにもリアル過ぎてその場面を目にしただけでただ怖い酷いと実感…。
まるでその現場にいきなり放り出され追体験させられているような衝撃を受け目をまともに開けていられなくなったほどだった。
最後の総攻撃の場面、その直前、栗林は西郷に「2度あることは3度ある」とユーモアを交えて彼に自分の書類等の後始末を託し、西郷に言外に生きろと指令した。西郷にはまだ顔さえ見ていない昨年産まれたばかりの長女が居ると聴き、栗林は自分の愛娘を思っての配慮だったのではないかと私は受け取った。
西郷は沢山の書類・手紙類を大きな袋に入れ深く穴を掘り埋めた。
敵に撃たれ倒れる栗林、最期の最期は米国で栄えある賞の証として授与された彼にとっては宝物であった「ピストル」で自決。
西郷は栗林に指示されたようにその遺体を誰にもみつからぬように埋めた。
泣きながら埋めた。
放心状態の西郷を米兵が発見、栗林が自決の際に使ったあのピストルを無造作に「戦利品」として腰に挿している様子を見て錯乱…。
「落ち着け!」と諭されながら捕虜として確保、負傷兵として担架で運ばれた。
…西郷はこうして命だけは救われた。
「硫黄島からの手紙」は日本人と日本という国をよく研究していなければ、そして栗林中将をはじめ実在の方々を知らなければ描けなかった映画だと思う。クリント・イーストウッド監督は間違いなく日本を、硫黄島で何があったかを徹底的にリサーチし映画化へ踏み切ったのであろうと察した。
アメリカ人も日本人も同じく、戦争なんて肯定してなどいない。
戦争がいかに残酷で非道で虚しい愚行であるかをこの映画は伝えている。
これほどの思いで日本を守ろうと生き抜いて戦ってくれた方々がおられた。
それなのに、今、現実の日本の姿はどうだろう。
「このままでいいのか?恥ずかしくないか?」
私は猛烈にそう問われた気がした。
*穏やかなテンポで歩きたい*
From★Eruzeッ Mint.mamu…★
行く前にこれから硫黄島へ出掛けることを書き留めておきたかった。なぜ だろう」と記された。
私は青山さんの7日のブログ内容が気になって仕方なかった。
翌週12月13日水曜日「スーパーニュースアンカー」にて報道された
青山さんの硫黄島レポートは想像を超えたインパクトある内容で胸に迫った。
『硫黄島からの手紙』は12月9日から封切られた話題作であったし、何より
青山さんからの渾身のメッセージも受け取ったばかりだったので昨日
早速この映画を鑑賞する事とした。
※ネタバレを含む事になるのでまだご覧になって居られない方はここで一旦
この処感を閉じて下さい。そして映画鑑賞後良かったら私の感想も読んで下されば
嬉しいです。
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主要登場人物である「栗林忠道陸軍中将」を演じた渡辺謙の存在感の大きさがこの映画の基礎をしっかりと支え大黒柱としての役割を果たしていた。
栗林中将の明晰なる作戦が、「硫黄島での戦い」を後世に語り継がせるほど秀逸であったので、当初たった5日で陥落してしまうとされた戦いが36日にも渡る日米の攻防戦となっていった。それは当時「玉砕」を美学としていた従来の日本軍の方針とは異なる「一日でも長く生きて最後の一人になるまで戦い続ける」という過酷な全く勝機がない持久戦を意味するもので、最後の5日間は水さえなくなり食糧補給もかなわない飲まず食わず状態まさに壮絶な激戦となった。
栗林中将は開戦前には米国ハーバード大学で学んだ親米家であり、家庭にあっては穏やかな優しい温かい夫であり父でもあった。しかし戦争となり日本を守る最前線拠点である「硫黄島」へ赴任された際、彼は決して生きては帰れないと覚悟の上で任にあたる事となった。なぜなら、彼はアメリカの実力・戦力を肌で理解している国際人であったからだ。
この映画にはもう一人、コスモポリタンである栗林には頼もしい理解者オリンピック金メダリストである西武一中佐(バロン西)の存在があった。同じく、生きて帰れないと覚悟の上で硫黄島赴任を受け入れ、栗林を支持し最期まで尊厳ある人間味ある生き方をまっとうした人格者として描かれていた。負傷した米兵を助け手当てをしようとする姿は今までにない「戦争映画」の一コマ。
戦士であっても人は人、敵味方意識を越えて握手する場面、翌朝怪我がもとで亡くなった米兵が持っていた母からの手紙を朗読する場面にはジーンとさせられた。
そしてごく一般人である一兵卒西郷の存在も大きい。彼は大宮で新妻とつましくパン屋を営んでいた若者であり家族が非難されないよう不承々、戦争に駆り出されては来たが家族の為には絶対に生きて帰ると密かに妻に誓った人物である。
…物語は2006年、夥しい手紙の数々が61年の時間を超えて、地中から発見された。
この島で戦い散った戦士たちがそれぞれの大切な人へ宛て書き残した手紙。
この手紙が何故埋められていたのか…。
一気に戦況が悪化するばかりの1944年6月、「硫黄島」栗林中将が使命を託され降り立つ場面へと移り、彼が命果てるまでの克明なまるで記録映画のように抑制されたトーンのストーリー展開へと続く。
栗林は従来の考え方を覆す「地下要塞」建設を指示した。丸腰での戦いでは直ぐ壊滅状態となることを見透かしての作戦で画期的だったが、「玉砕志向派」と云える旧来の日本軍の戦い方に拘泥していた伊藤中尉は栗林に反発、最後はただ一人体中に爆弾を掛け戦死した兵士の間に横たわり米側の虚をついた彼なりの闘いを試みたが思惑通りに事が運ばず力果て米側に捕虜として不本意にも確保されてしまった。
時には情報が錯綜し連絡ミスも起き無意味な死さえに起きる日常は生活するだけでも過酷な彼等に「不安」を与えていた。
長引く攻防戦の中では投降を試みる者も出たが、腰に巻いていた千人針を白旗代わりに揚げ捕虜 として確保されても米側の下級兵の判断で殺されてしまうエピソードなどはある意味、監督の冷静な視点を感じられフェアーな観点で映画を創られていたと感じた。
圧倒的な戦力を誇る米国側の様子は、大海原に列をなして浮かぶ戦艦、そして空中を埋め尽くす爆撃機の数、雨霰の如く降り注ぐ砲弾の量で表現されていて圧巻であったが、目を覆うばかりの戦闘シーンは音も爆撃の様子もあまりにもリアル過ぎてその場面を目にしただけでただ怖い酷いと実感…。
まるでその現場にいきなり放り出され追体験させられているような衝撃を受け目をまともに開けていられなくなったほどだった。
最後の総攻撃の場面、その直前、栗林は西郷に「2度あることは3度ある」とユーモアを交えて彼に自分の書類等の後始末を託し、西郷に言外に生きろと指令した。西郷にはまだ顔さえ見ていない昨年産まれたばかりの長女が居ると聴き、栗林は自分の愛娘を思っての配慮だったのではないかと私は受け取った。
西郷は沢山の書類・手紙類を大きな袋に入れ深く穴を掘り埋めた。
敵に撃たれ倒れる栗林、最期の最期は米国で栄えある賞の証として授与された彼にとっては宝物であった「ピストル」で自決。
西郷は栗林に指示されたようにその遺体を誰にもみつからぬように埋めた。
泣きながら埋めた。
放心状態の西郷を米兵が発見、栗林が自決の際に使ったあのピストルを無造作に「戦利品」として腰に挿している様子を見て錯乱…。
「落ち着け!」と諭されながら捕虜として確保、負傷兵として担架で運ばれた。
…西郷はこうして命だけは救われた。
「硫黄島からの手紙」は日本人と日本という国をよく研究していなければ、そして栗林中将をはじめ実在の方々を知らなければ描けなかった映画だと思う。クリント・イーストウッド監督は間違いなく日本を、硫黄島で何があったかを徹底的にリサーチし映画化へ踏み切ったのであろうと察した。
アメリカ人も日本人も同じく、戦争なんて肯定してなどいない。
戦争がいかに残酷で非道で虚しい愚行であるかをこの映画は伝えている。
これほどの思いで日本を守ろうと生き抜いて戦ってくれた方々がおられた。
それなのに、今、現実の日本の姿はどうだろう。
「このままでいいのか?恥ずかしくないか?」
私は猛烈にそう問われた気がした。
*穏やかなテンポで歩きたい*
From★Eruzeッ Mint.mamu…★