先日、親しくさせていただいている方から一枚のCDをプレゼントされた。
超・が何個も付く日常の中、それでもその手配をして下さろうという
優しい気配り上手な彼女らしい選曲。
柔らかな弦楽四重奏が奏でる〔しずく『故郷』(ふるさと)〕というタイトル、
丁寧に演奏されている懐かしい「わらべ歌」や「愛唱歌」はスーッと私の心に入り
穏やかで落ち着いた時間をプレゼントされたようで...素晴らしかった。
幼い頃に歌っていた曲、仕事(保育室)で使っていた曲(笑)が連なっているので
戴いてから何度も聞かせて戴いている。何年も聞いていなかった曲なのに
耳にすれば自然と歌詞が口ずさめる程、頭と心の何処かに刷り込まれていた曲達の数々。
聴きながら、さまざまなシーンを想い出していた。
一つ、一つに「思い出」があるから余計に懐かしく感じられるのだろう。
(自然と涙が頬を伝わっていたことも書き加えておこうか)
1.しゃぼん玉 2.虫の声 3.夕焼小焼 4.砂山(バイオリンソロ) 5.さくら
6お猿のかごや 7.黄金虫 8.椰子の実 9.海 10.砂山(チェロソロ)
11.七つの子 12.荒城の月 13.うさぎ~(うさぎのダンス) 14.ちんちん千鳥
15.かえるの合唱~おウマ~かたつむり 16.キラキラ星~たまばたさま
17.証城寺の狸囃子 18.赤とんぽ 19.あおげば尊し 20.蛍の光 21.冬の夜
22.故郷 23.故郷(合唱用)
「竹取物語」(新潮日本古典集成;野口元大)を「古書展」で買い求め通読したが、
この物語は「日本人の心の原点」に繋がる特別な『物語』であると述べられていた。
御伽噺として親しんできた「かぐや姫」のお話しの中に何か文章に表れてはいない
「心」が潜んでいるようで愉しい…(次回のメルマガでもっと詳細を書く予定)
最古の物語が「竹取物語」なら「最古の曲」とは、ではどの曲になるのだろうかと
想いを巡らすのもまた趣がある。今、思ったのが ゑてんらく(越天楽/越殿楽)
はたまた、天照大神が岩戸の中にお篭りになられた時に、これは大変と外で囃し立てた
狂楽?猿楽?能楽?が最古となるのだろうか...(笑)
気分転換の大きな要素(力)が音楽にはあって、人は何度も曲たちに助けられて来ている。
耳から入る刺激は直接心に伝わる。丸いものは丸く、四角いものは四角に。
熱いものは熱く、冷たいものは冷たくストレートに伝えられる。
音楽ほど豊饒で饒舌な共通言語はないだろうなと改めて想ふ。
言葉は「話し言葉」は、表情や口調を目と耳で確認しながら情報交換するので
理解し易い面があるが、では、書き言葉はどうだろうか...。
書いた人の本音や心が中々伝わり難いものではないのかなと、思わざるを得ない。
発信した側と受信した側に温度差があれば、当然、食い違いや勘違い思い込み
はたまた誤解などを醸し出す危険が伴うものだ。このことを忘れてはいけないよね。
人は人の数だけ生育歴があり、今まで歩んできた歴史がある。
表面に出て来ているのはまさしく氷山の一角に過ぎないと云える。
その人の背景には事情がありそれは独り、独り、みんな違う。
それが普通だ。全く同じ環境であるなんてことは双子でさえも有り得ないのだ。
「人と己は違う個性を持ってる。」そのことを前提にして考えておかないと間違いが起きる。
ましてや己が持つ価値観だけで(小さな狭い物差しで)他者をどうこう言えるものではない。
...と、私は改めて思った。
From★:*:・(*σ.σ)Eruze♬Mint.mamu…★
詩や小説を書く人たちは、翻訳してくれる人がいなければ外国の人たちには発信出来ない事は覚悟しなければなりません。
でもどうなのでしょう?
例え発信出来たしても、全ての人に通じる訳ではありません。
もしその内容が非常に個性的なものであるならば、ほとんど理解されないでしょう。
名前は忘れましたが明治時代の頃、日本に新しい西洋文化を導入しようとして、一般向けの本を出版しようとした人がいました。
この人はその当時には自分の思想が理解されない事が分かっていましたから、まず自分の家にいた教養のない老婆にその内容を話して聞かせたそうです。
そしてその結果を基にして、出版した本は日本中に普及したという事です。
ダーウィンにしても、自分の研究を発表したのは10年後の事です。
ちょっとくらい誤解が生じたからといって、一々気にしてどうしますか?
それに本当に誤解されたのかも確認していないのではないでしょうか?
私は文章作法などの技術的なものは全く持っていませんが、常に「文は人なり」という気持で、何時も素直に正直に自分自身を表現しています。
そうすれば必ず伝わると信じて書いています。
それでいいんです。
分かり合える方と共感できればいいんじゃないかしら?
発信してしまったら、もう自分の範囲から飛び立って
言葉たちは行ってしまうんです。
受信された方がそれをどう受け取られるかはその方の
個性と感受性ですので...。
「書き言葉」と「会話」(リアルで対面してのお話し)の大きな違いはそこにあるかな...と想うわけです。
その時々の体調・環境・全ての要素が違うので
同じ文面でも、読むそのタイミングによっては
全く違う印象を持ってしまうことすらございますから...。