コロナ自粛で
家にいる時間が増えた中で感じたこと
自分は自立していない ということ
いろんなことを考えてやってきたけれど
楽しめるから とか
役にたちそうだから とか
理由があってしか動けていなかったのかなと
いろんな人と離れてみて感じました
その人が好きだからだと思っていたのが
自分を肯定するために「役にたちたい」と思っていたのかも
それはある種の依存だなと感じたのです
それが悪いことではないのだけれど
だから軸がなく流されてしまう
いわゆる「器用貧乏」になっているだけ
って囁いてみたけど暗‼︎‼︎
なのでちょうど人と距離を保てる今
自粛の中で、テーマを決めて動いてみました
「自分のやりたい気持ちに沿って動いてみる」
今までパンを焼くのを我慢していました
「それはオーブンの電気代がもったいない」と言われたからです
手芸もやめていました
「そんなの時代遅れなんだよ」と言われていたからです
他にもいろいろ再発動したことがあるのだけれど
「言われたからやめた」のを止めることにしました
やめてしまったために
全ての回路が止まっていたのに気づきました
ちょうど昨日見た韓国ドラマの中に
「嫌な記憶を消すためにいい記憶まで消してしまった」というセリフがあったのだけれども
無理な思考の修正は脳を止めてしまっていたんだなあと感じます
だからといって
いきなりスッキリ動き出せたわけでもないのですけれど
脳!止めるべからず
No more stop NOU(英語としては間違ってるよ)
一つが紐解かれると
もう一つも解きやすくなる
そんな感じでした
一つずつコツコツとやりたかったことをやっています
それはお金になることではありません
私にとってはここは重要で
「それはお金になるのか」
「それは何かのためなのか」
「それは成功しそうか」
そういうのがついてこない方がいい
そう言ってくる人と離れたい時間
「自分の時間」
音楽鑑賞に例えると
「それはお金になるのか」
「それを聞いて指揮者になるのか」
「それをしたことで知識があると言われたいのか」
「何か利用して成功したいのか」
そんなことを言われながら音楽聴きたくない
そんな時間が
わたしにとって
パンを焼くことだったり
手芸をやることだったり
落書きをすることだったりしました
コロナで
自分の時間を少し取り戻せたことは大きい
それでも自己肯定感は低いので
まだまだ良い時間を積み重ねていきたいと思います
*トップの写真はフランスの友達が自粛下でセーヌ川に集まってのんびりしている人たちの写真を送ってきてくれました。
人によっていろんな意見があるだろうけれども。自然摂理の中ではこれも自然なのかな。
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