「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『ネコを撮る』、『猫まるわかりフォト事典』

2009年02月10日 | Arts
『ネコを撮る』(岩合光昭・著、朝日新書)、『猫まるわかりフォト事典』(加藤由子・監修、井川俊彦・写真、学研ビジュアル新書)

  街でネコを見かけると、ついつい近づいたり、写真を撮りたくなる。でも、そんなときに限ってカメラを持っていないことに気がつく。幸いカメラを持ち合わせていても、うまく撮れたためしがない。岩合さんは街角に座っているネコを見つけても、いきなりネコに向かわないで通り過ぎてはまた戻って、というアプローチをするそうだ。主人公はあくまで「自分」ではなく「ネコ」だとも。以前『どうして猫が好きかっていうとね』のところでも書いたが、一応ネコ好きを自認している。ところがそれが良くないようだ。ネコ好きだからネコには嫌われないだろうと勝手に解釈したり、自分がネコを撮りたいだけで撮られるネコの気持ちを無視しているふしがある。「ネコが動いちゃったから撮れなかったんだ」と考えるよりも「自分の動きがこうだったからネコに嫌われたんだ」と判断したほうがはるかに得るものが多いと岩合さんはいう。写真の細かなテクニックよりも、モデル(ネコ)と対峙するときの写真家の心得が『ネコを撮る』には満載されている。
  本文中の写真がモノクロなのはちょっと残念だが、新書でこれだけ岩合さんの作品が見られるのだから文句はいえない。どのネコ写真も見事だが、とくに「世界のネコ」がおもしろい。ベネチア(?)の石畳の上を歩くネコたちを見ていると、この本にも書かれているが、ペストが流行していた頃の中世ヨーロッパを思い出す。ガラパゴス諸島でイグアナといっしょに収まっているネコもいる。イグアナとネコの構図など想像したこともなかった。
  『ネコを撮る』は1年以上ツンドク状態になっていた。それを読むきっかけになったのが『猫まるわかりフォト事典』。最寄りの駅の書店で見かけてつい買ってしまった。勢いで買うと失敗もよくあるが、これは正解。見開き2ページが1項目の構成で右側がカラー写真(一部イラスト)になっている。岩合さんの詩情を誘う写真とは趣がちがうが、ネコの行動をうまく捉えていて、これまたおもしろい。監修の加藤由子さんはネコの行動学では有名な方だ。
  中1の夏休みから7,8年飼っていた三毛猫が自分にとっては最後の飼いネコで、想い入れもいちばん大きい。そのころ不思議に思うネコの行動がいくつかあった。たとえば敷いているフトンやザブトンを前足でモミモミするのだ。これは母ネコのオッパイを飲んでいたときの気分になっているそうだ。飼いネコはいくつになっても気分的に子ネコのままなので、柔らかいものに触れると母親のオッパイを思い出すのだという。なるほどなるほど、納得。窓の外をじっと見ていることもよくあった。ネコの気持ちよりも自分のそばにずっと置いておきたい気持ちが優先していたので、外に出たいのだろうとは思いつつ外へ出そうとしなかった。ところが、これは人間流の発想で実はなわばりを監視しているだけだとのこと。家の中で飼っているネコにとってなわばりとはその家の中なのだ。これまた納得。比較的最近、ネコが鍋の中に身体を曲げて入っている画像が一部で流行っていた。窮屈じゃないのかなと思うのも人間の発想。その謎解きも書かれていた。
  狭いアパートの一人暮らしではネコを飼うこともままならない。いずれまたネコを飼う境遇になれたらと思う。いまはネコの本を見たりネコの写真にチャレンジしながら、ネコを知るためのトレーニング期間ということにしておこう。

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