遊びを育てる(野村寿子・著、協同医書出版社)
いまさらながら遊びとの出会いが少ない幼少期だったと思う。他の子どもと同じ体験ができなかったということもあるが、それ以前に親を含めた周囲の大人の気遣いで遊びとの出会いそのものが少なかった。安全を気遣ってくれたことには感謝しなければならない。けれども、その気遣いが先行して結果的に遊びとの出会いを遠ざけた。そして、自分の「身体性」の発達に何らかの影響を与え . . . 本文を読む
さまよう死生観 宗教の力(久保田展弘・著、文春新書)
この著者にはたいへんお世話になった。といっても実際に会ったわけではなく本の上での話である。初めて論文らしきものを構想し書いたとき、久保田氏の「日本多神教の風土」から多くのことを学び大いに参考にさせてもらった。イスラム教やキリスト教のような一神教と仏教のような多神教がなぜ異なった論理を持つのかをその生まれた風土に遡って明解に述べられていた。日本 . . . 本文を読む
夢十夜 他二篇(夏目漱石・著、岩波文庫)
言わずと知れた漱石の掌編である。子供の頃から古典や文芸作品に親しんできた人を除けば、これらの著名な作品には教科書や参考書で出会うことが多いのではないだろうか。そして、この出会いは読者にとっても作品にとってもたいてい不幸な結果に終わる。教科書や参考書で出会った作品は別の目的のための手段や素材であって、そこでは自由な解釈は許されず純粋な読書の楽しみは奪われて . . . 本文を読む
美しい雲の国(松本侑子・著、小学館)
祖父はずっと建設工事の現場監督のような仕事をしていた。本当に監督かどうかはわからないが現場の仕事をしながらもそれなりの責任者のように見えた。細身ながらも筋肉のひきしまった身体は剛健そのものだったが、日焼けした赤黒い顔はいつもやさしかった。祖母とは口喧嘩がたえなかったが本当は相思相愛だということが子供心にもわかった。今風にいえば自分の父母とはおよそちがってラブ . . . 本文を読む
数学入門(上・下)(遠山啓・著、岩波新書)
ずいぶんと前に買った本をパラパラと見返すことがよくある。ちなみに本書上巻の奥付を見てみると第1刷の発行が1959年で、買ったのが1969年発行の第17刷である。半世紀近く前の本ということになるが、内容に古さを感じさせないのは数学という学問の性質によるものだろうか。そんなことを思いながらページをめくっているとたまたま複素数のところで目がとまった。実数から . . . 本文を読む
キリンのまだら(平田森三・著、ハヤカワ文庫)
日本の著名な物理学者といえば湯川秀樹や朝永振一郎、近年ならば小柴昌俊などのノーベル賞学者の名前をあげるのが普通だろう。あるいは、ノーベル賞の栄誉には浴しなかったものの発展途上の近代日本にあって世界に伍する成果をあげた長岡半太郎や本多光太郎の名前があがるかもしれない。しかし、自分のなかでは彼ら超有名人とは別の系譜に属する名前をあげたくなる。寺田寅彦や「 . . . 本文を読む
ドイツの哲学者ヘーゲルが言ったとされる言葉。
ミネルヴァ(Minerva)はギリシャ神話の知恵の女神(ローマ神話ではアテナAthena)で、彼女が愛護していた梟も英知の象徴とされる。この言葉は、梟は黄昏時になって初めて飛び立つように、現象や歴史が意味することもその終わりになって初めて明らかになると解するらしい。しかし、自分としては勝手にややうがった意味に解釈している。誰であったかは忘れたが「哲学 . . . 本文を読む