「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

「故郷」の発見―『上京する文學』

2013年04月05日 | Arts
☆『上京する文學』(岡崎武志・著、新日本出版社)☆

  いままさに上京の季節である。進学、就職、転居など理由はどうあれ、上京は人生の節目のようなところがある。たんなる観光であっても、ほかの目的地とは異なる、華やかさや憧れの気持ちに彩られることが多い。憧れには、昂揚や歓喜だけでなく不安も多分に含まれているはずだ。故郷を後にする上京ならば、その気持ちはいっそう強いにちがいない。
  それにしても東京は近くなった。両親に連れられて初めて上京したのは、半世紀ほども前になるが、北陸の片田舎にあるわが家から、当時練馬区にあった宿泊先の知人の家まで、10時間以上を要したはずである。いまわが家から、埼玉県内(感覚的には「東京」である)にあるアパートの一室まで、最短で当時の半分以下の時間しかかからない。いまはおもに遠距離介護のための行き来ということもあって、ほとんど通勤感覚である。
  再来年の春には北陸新幹線が開通し、北陸三県の県庁所在地から東京まで、2時間台で結ばれることになるという。物理的時間や地理的距離の短縮は、心理的距離感に影響を及ぼさずにはおかない。北陸に限らず、上京が通勤感覚として一般化する日も遠くないような気がする。それに比べて、何日もかけて上京した作家たちは、不安以上の相当な覚悟を持っていた。心理的距離感は時代とともに変わっていく。
  本書は、明治から昭和の時代に上京した作家たちの感覚で捉えられた(目に映っただけではない)「東京」の風景を読み解き、その「文学」に与えた影響を考察した好エッセイである。著者の岡崎武志さんは、三十歳を過ぎてから物書きを志して東京へ出てきた人である。近現代の日本文学に造詣の深い方らしく、われわれが東京に抱いているイメージは、上京者である作家たちによって作られたと指摘する。また、大阪で生まれた川端康成が浅草に「大阪」を見つけ、金沢生まれの室生犀星が東京に「ふるさと」を発見したように、作家たちが「東京」に「故郷」を発見する物語が綴られているといってもいいだろう。(汽車の屋根に積もった雪に「ふるさと」を見た犀星は、そのまま若い頃の自分である)
  この本はたまたまこちらのブログで出会ったのだが、そうでなければ書店で見かけても手に取らなかったかもしれない。ブログの書き手も札幌からの上京者といえる人である。本との出会いもいろいろな偶然が作用している。ところで、本書の表紙には悠然とした東京タワーが立っている。映画「三丁目の夕日」のように、昭和三十年代後半以降に上京した者にとっては、東京タワーは東京の風景の象徴であった。ブログでの書評と、この表紙がこころに残った。初めての上京したとき、当然のことのように東京タワーに登ったことが思い出された。
  つい最近、東京スカイツリーがタイトルに含まれ、表紙にもイラストで描かれている本を買った(正確にはタイトルについては「スカイツリー」)。理系の本であり、まだほとんど読んでいないので確かなことはいえないが、タイトルと表紙が東京スカイツリーである必然性はないように思う。つまり東京スカイツリーが東京タワーであっても、たぶん本質的にはかまわなかったはずである。
  しかしいまや、象徴としての東京タワーは、その座を東京スカイツリーに渡したかのようである。これからの時代、上京する人たちは、東京スカイツリーのふもとに広がる東京にどのような風景を見るのだろうか。新幹線網や航空路線の拡充にともなって、心理的距離感もさらに変わっていくにちがいない。新たな上京者たちは、新たな「東京」のイメージ作りとともに、どのような「故郷」を発見するのだろうか。

  

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