「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

芸術は世界をつなぐか―『芸術回帰論』

2012年12月02日 | Arts
☆『芸術回帰論』(港千尋・著、平凡社新書)☆

  本書の中心部分は東日本大震災後に執筆されたものであり、「事後の思想」が反映していると著者の港さんが書いているとおり、震災を経た後の視線があちこちに感じられる。震災や原発事故に象徴されるように「文系」と「理系」に分断された世界をつなぐものとして、第三の系として「美系」を港さんは提示する。第三の系というと、やや誤解を招きかねないようにも思えるのだが、この「美系」は「文系」・「理系」に次ぐ第三極の意味ではなく、前述したように分断された世界をつなぐ機能として捉えられている。
  この機能はまた、「生産者」でもなく「消費者」でもない、アルビン・トフラーが提示した「生産消費者」の概念とむすびつけ、「ブリコラージュの思考」へとつながっていく。「ブリコラージュの思考」とはレヴィ・ストロースが使った言葉で「日曜大工的な工夫」を意味し、港さんはその具体例として日本の伝統技術や工芸を挙げている。自分が使うものは自分の手で作り、自らの手で創意工夫することで、さまざまに分断された世界を再び統合することができると説く。そのための最良の、最古にして最新の方法が芸術であるという。
  一見すると各章はバラバラのようにも思えるが、各章のタイトルに掲げられたキーワードは、世界を統合する方法としての芸術への回帰という一本の糸で結ばれている。たとえば、創造性すなわちノベルティ(何か新しいものを生み出す力)は歴史的な主体(時間)と心理的な主体(時間)が絡み合っている。固有の価値をもつ建物と交換可能なフランチャイズ化された建物が混在する現代の風景を考えたとき、そこにはかけがえのない空間(土地)とかけがえのない時間の問題が横たわっているという。
  かけがえのない建物にはまた、時間が変化させたかけがえのない色がある。個人の記憶に残る色は、色彩を光線の問題に帰着させるニュートン的世界観ではなく、個々人の感じる色こそが真の色であるとするゲーテ的世界観に親和的である。思うに、だからといってニュートン的な色彩論が否定されるものではなく、色という身近な現象ひとつをとっても、そこには分断された世界があり、それを統合する契機があるように思える。
  津波で倒壊した家屋から9日後に救出された高校生が、「芸術家になりたい」と将来の希望を語ったという。本書はそのことの意味に対するレスポンスであると港さんは「あとがき」で書いている。さらに「破壊しつくされた世界のなかで、もし芸術という言葉が発せられたなら、それはなによりも『創造する手』としての芸術、人間の原点としてのアートであろう」と続けている。個人的にはあまり読みやすい本ではなかったが、人間の原点としての芸術への回帰の方向性、あるいは芸術による分断された世界を統合する可能性は、十分に示されていたように思う。

  

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2 コメント

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拙見ですが… (kumasuke)
2012-12-03 22:53:28
自分も、昔から文系理系のカテゴライズによる分断に違和感をずっと持っていました。
算数大嫌い、漢字大好きだけど、気象現象を説明する科学は好きだし。
高校では文系か理系かですごい悩みました。
たとえば、文系では微積できないし、理系では倫理が学べない。
自分の興味がそのカテゴライズに全然はまってなくて。
ある意味、自分非効率なのでしょうね…
そして今、自身が芸術に興味を持ち出し…
今も自身の中に、まだ知らない自分がいるのだろうか…
すみません、自分に置き換えて考えてしまいました…
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わたしの芸術回帰 (euler)
2012-12-04 21:57:10
>kumasukeさん
わたしは中学のころからずっと理系志望でした。でも、学校で習う理科や数学はちっともおもしろくなかった。実験もどちらかというと嫌い。めんどうくさいから。でも、自然の神秘を解き明かしてくれるような科学の啓蒙書は大好き。下手ながら文章を書くのも好きな方。この時点で文系なのか理系なのかわからないですよね。そんなとき、学校で進路診断テストのようなものを受けたら、芸術系(美学や美術史)がトップにきてびっくりしました。芸術になんて興味がなかったし、田舎の小さな町だったから絵を見る機会もなかったし、ともかくこのテストの結果はウソだろうという感じでした。ところが、後年東京(近辺)に住むようになってから、突然絵を見るのが好きになって、理由はよくわからないながら、何か衝動的なものを感じました。いまは理系も文系も興味があるけど、どちらかに分類されるのはすごく違和感があって、そこへさらに「美系」的な衝動が加わった感じです。いまになってみると、あのテストは自分のこころの奥底を見透かしていたのかぁなんて思ったりもします。人はみんな芸術に対する渇望のようなものをもっていて、それが表に出てくるのは人それぞれなのかもしれません。
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