「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

自然の元素で不自然な社会をつくったのは誰か―《元素のふしぎ》

2012年08月06日 | Science
☆《元素のふしぎ》(国立科学博物館)☆

  元素といえば周期表(周期律)を思い出す人も少なくないだろう。覚えるのに苦労した人も、多様な元素の性質をうまくまとめられることに驚いた人もいるかもしれない。世界は元素からできているのだから、元素は自然界の理解や日常生活とも密接につながっているのだが、元素と聞くと、どうしても“お勉強”のイメージが浮かんできてしまう。先日から国立科学博物館で始まった《元素のふしぎ》展も、パネル解説が目立つような“お勉強”の雰囲気が強いのかなと思っていた(そういえば、公式ガイドブックの表紙は黒板がデザインされている)。
  最初の「元素発見物語」や「原子の構造と元素の性質」あたりはやはり単調な感じがしないでもないが(個人的には「元素と切手」や「電子雲模型」はおもしろかったのだが)、その後の「118全ての元素」の展示は見事である。118全ての元素について、可能な限り実物(その元素の単体、その元素に関連する鉱物、材料、製品、食品、薬品、生物など)が展示されている。さらに個々の元素を紹介するだけでなく、多くのトピックスのコーナーが設けられている。最初のコーナーが「宝石(および人工宝石)の元素」なのだが、色とりどりの輝きに女性ならずとも目を奪われるはずだ。宝石のコーナーを最初にもってくるあたりは、なかなかウマイというべきだろう。
  近年の展示は視覚だけでなく、他の感覚に訴えるものも増えてきた。ここでは合金の手触りをたしかめたり、金属の響き具合を聴きくらべることができる。金塊が銀塊や銅塊にくらべてどんなに重いか実感することもできる。いままさにオリンピックの最中だが、練習や期待の重圧に耐えた者だからこそ、金メダルの重さを手にできるのかもしれない、などと思ったりもする。(笑)
  皮膚感覚(触覚)や聴覚は無視できないにしても、われわれはこの世界を圧倒的に視覚を通して理解している。そして視覚を通した世界は色彩に満ちており、色彩は元素のはたらきによるものだ。光のスペクトルや照明はいうまでもなく、絵画や陶磁器・ガラスなどの工芸品の色も元素の性質と無関係ではない。もちろん宝石の色もそうである。たとえばフェルメールブルーの説明などは、絵画好きにはものたりないだろうが、元素の世界の広さを知るきっかけにはなるだろう。
  フクシマの原発事故を境に、ある種の元素の名前が否応なしに記憶に残ることとなった。たとえばウラン、セシウム、ストロンチウムなどである。しかし、これらの元素は原発や放射能に関係しているだけではない。ウランの展示には、ウランの原料となる閃ウラン鉱とともに、ウランガラスというすばらしい工芸品も展示されている。セシウムは電子機器に用いられたり、時間を正確に測るためには欠かせない元素である。今夜もどこかで花火が夏空を飾っていると思うが、ストロンチウムは花火の赤い色に関係している。
  科学的には、放射性か否かが問題になるのだが、ウラン、セシウム、ストロンチウムの名を聞くと敏感に反応するだけでなく、ある種の恐怖感を覚えるようになってしまった。自然界に存在するものに一方的に恐怖を感じ“悪者”のレッテルを貼ったのはいったい誰なのか。自然を利用するのは人間であり、善悪の価値づけをするのも人間である。大人たちは、それらの元素の前に来るとしぜんと足をとめる。小学校低学年の子でさえ「あっ、ウランだ」などといっている。知識を増やす勉強としてはほめられるべきだろうが、どこか不自然なものを感じてしまう。
  第一会場のあとの第二会場に「みんなの好きな元素」を投票するコーナーがある。投票結果は多種多様だが、金、酸素、水素、炭素、カルシウムなどが人気を集めていて、その理由も推測できそうな気がする。そんな中で、プルトニウムへ投票している子も何人かいた。記憶にまちがいがなければ、十歳くらいの女の子は「名前がかわいい」からという理由だった。一瞬、絶句してしまった。たしかにプルトニウムは原発の燃料や核爆弾以外の用途を聞いたことがないし、自然界にはごくわずかしか存在せず、使用しているものは人工元素だという。とはいえ、小学生くらいの子にとっては名前がかわいいからと投票するがふつうの感覚であって、放射性元素の名前をその危険性ゆえに覚えている子どものほうが不自然であろう。もちろん、そのような子どもたちを生み出した社会こそが不自然さの元凶であることはいうまでもない。
  世界は元素によって構成されている。元素はまた、人間が社会をつくっていくうえで欠かせない素材ともなった。しかし、その用い方を一歩まちがえればとんでもない災厄を招くことを、いまわれわれは知っている。元素を知ることで、自然や科学技術の成果を理解するだけでなく、社会のあり方も少しは考えることができれば、この《元素のふしぎ》展は大成功だと思うのだが、それは過大な期待というべきだろうか。
  最後にトリビア(雑学的知識)をひとつ。18族は日本では“希ガス(rare gases)”と呼ばれることが多いが、国際的な取り決めでは“貴ガス”(noble gases)と呼ばれるとのこと。むかしむかし高校で化学を学んだときはもちろん「希ガス」と習った。いま高校や大学では「貴ガス」と教えているのだろうか。

  

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