「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

人類のアイデンティティを問いなおす:「宇宙人」どころか「地球人」にもなれない!?―『もしも宇宙に行くのなら―人間の未来のための思考実験』

2025年01月22日 | Science

☆『もしも宇宙に行くのなら―人間の未来のための思考実験』(橳島次郎・著、岩波書店、2018年)☆

 

  生命はおよそ38億年前に原始の海で誕生したと考えられている。その後、いくつかの種に分岐しながら進化と絶滅を繰り返し、やがて海中から陸上へと進出した生物が現れ、その進化の果てに人類が誕生したと言われている。この考えに基づけば、人類は生命進化の必然的な帰結である。

  本書は、このような思想潮流をモチーフとして、本来は生命倫理を中心とした科学政策論の専門家である橳島次郎(ぬでしま・じろう)さんの手による、われわれ人類が「宇宙人」となるための未来を想定した思考実験の手引きである。

  その問題意識の根幹にあるのは、ロケットの科学的原理を世界で初めて定式化したロシアの科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857 - 1935)の名言「地球は[人間の]理性を育んでくれたゆりかごだ。だがゆりかごに永遠に留まることはできない」で表現されていると言えるだろう。ちなみに、ツィオルコフスキーは子どもの頃、病気で難聴になったにもかかわらず、ほとんど独学で数学・物理学・天文学などを習得したと言われている。

  例えばわたしは「日本人」としてのアイデンティティを持っているつもりだが、「地球人」としてのアイデンティティはどうかと問われればとっさに「イエス」とは答えられない。最近では使い古された感もある「SDGs(国連が定めた持続可能な開発目標)」だが、SDGsを意識して何事かを実践しているときは「地球人」としてのアイデンティティを少しは持っていると言えるかもしれない。しかし、さらに上位の「宇宙人」としてのアイデンティティはさすがに持っていると言えない。

  人類が進化的必然として宇宙へ進出しようとするならば、最も重要なのは「理性」の有無である。著者は「ゆりかごの赤ん坊は、そのままで外に出るのではなく、理性を持った大人になって出て行かなければならない。子どもの夢のままの単なる冒険や、目先の経済的利益や国益の追求のために宇宙に出て行ってはいけないのである。利益を求める欲望の充足を第一として生きていいのは子どもだけだ。欲望を自己管理できなければ大人にはなれない。大人にならなければ、ゆりかごを出られない」と書いている。

  いままさに某超大国が目先の利益や国益の追求のための愚かな第一歩を踏み出そうとしているように、わたしには思える。この超大国と張り合おうとしている他の超大国も似たようなものだろう。これらの国々は「○○国」としてのアイデンティティにのみ強くしがみつき、「地球人」としてのアイデンティティさえ持ち合わせていないように見える。ところが皮肉なことに、これらの国々が宇宙開発の分野で主導権を握っているのが現実である。

  だからこそ、いま日本は、これらの超大国に劣らない技術力に磨きをかけるとともに、唯一の被爆国としてノーベル平和賞を受賞した意義を再考し、宇宙分野を含めた平和外交に邁進してほしいものだと思う。現実は厳しいが、結局はやる気の問題ではないだろうか。

  閑話休題、本書で語られている思考実験の数々は、月や火星など、いわば近隣への宇宙進出のみならず、深宇宙と呼ばれる空間的にも時間的にも広大な領域が想定されている。わたしのような老い先短い老人はもちろんのこと、若い人たちも夢物語のように感じるかもしれない。

  しかしながら、この思考実験には身近で起きている(起きるかもしれない)生命倫理分野の難問を解きほぐすヒントが隠されているように思う。そして、繰り返しになるが、「宇宙人」とまでは言わなくとも「地球人」としてのアイデンティティを捉え直すきっかけになるにちがいない。、数多くのSFからの引用もあり、楽しみながら思考実験を試すことができる良書である。

 

  

 


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