1972年のことを書いてみたい。
その年3月私は家を出て東京西荻窪のアパートで生活を始めた。4畳半小キッチン共同トイレ。午前中は髙田の馬場の予備校に行って午後は荻窪の図書館で本を借りた。吉本隆明、小田実、埴谷雄高、大杉栄、向坂逸郎、開高健、鶴見俊輔などなど。
小さなラジオがあり新聞はとっていたがテレビはなかったのでその年の出来事の映像は私の記憶の中にない。
5月沖縄返還、テルアビブ空港乱射事件、6月佐藤総理退陣、7月田中内閣発足、9月ミュンヘン五輪人質事件、日中国交正常化などのニュースもほとんど見てないのだ。
田中総理が誕生した背景や自民党内の暗闘についても知らなかった。そう思うとなんだか現実社会から隔絶された空間で、左傾化を促すような本を読みあさっていたようにも思える。
ただベトナム戦争で使った戦車を在日米軍基地「相模総合補給廠しょう」で修理、輸送していたこと、それを阻止しようとする市民や学生の反戦運動のことは知っていた。
浪人だからといってそうした運動に参加していない自分を恥じていたような気もする。
まさにその頃、田中角栄は日本列島改造論を準備していた。狂乱物価、石油ショック、スタグフレーションの前夜だったのだ。