沢木耕太郎は「危機の宰相」で池田隼人が所得倍増を掲げて総理となった時代、1960年から東京オリンピックの1964年までを描いた。
それは私が7歳から11歳、小学1年から5年までにあたる。小学4年のとき後山町の借家から焼山町の持ち家に越し、その頃にはステレオがあった。
1955年に始まった高度成長期は1973年までといわれる。それは私が大学に入学した年で、その前年に田中角栄が総理となっていた。
田中総理の掲げた日本列島改造論は大ブームとなったが、やがて狂乱物価、オイルショック、スタグフレーションが続いた。
田中が退陣した1975年、私は22歳大学3年。
翌1976年就職協定が改定されて「会社訪問開始10月1日、選考開始11月1日」となり、大学最終年は就職難の年だったがなんとか就職した。
つまり私は高度成長期の下で中学高校の6年間を送り、田中角栄の時代に大学に通い、スタグフレーション進行の中で就職して独立した。
こう俯瞰してみると、戦争をくぐり抜けた両親たちと違って、死を覚悟することもなく、生活苦に喘ぐこともない幸せな時代を私は生きてきたのだ。
なのに“左傾化”したのは一時だったとしても、なにがそうさせたのだろう。またその後も長くずっと非自民の政権を望んだのはなぜだろう。非自民の政権によってどのような社会になると期待したのだろう。
そうした自問にはっきり答えられないが、日本の非自民勢力に現状より良い社会を創る能力がないと確信したのは2011年。2009年から続いた民主党政権に幻滅したからだ。
で、それから10年以上が過ぎたわけだが。
さあ日本はこの先どうなっていくのだろう。
“民主党”的な政権などは御免だが、さりとて現在に自公政権でより良い社会、素晴らしい将来が来るだろうと楽観もできない。
さあ....。
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