きょう私の回顧・夢想は吉本隆明に向かった。
呉の高校を卒業した私は、西荻窪の下宿で吉本隆明、小田実らを読んでいたから。
安田講堂は1969年1月だから私は中3。高校受験でそれどころではなかった。
赤軍派のよど号ハイジャックと三島由紀夫事件はその翌年で高1。これはニュースで見たが、赤軍派や三島の信条などは知る由もなく。
翌1972年2月の連合赤軍の浅間山荘立てこもりはより鮮明に覚えている。だが高3の私が何を思って突入のシーンをテレビで見ていたかははっきりしない。人質をとって立てこもっている凶悪誘拐犯の事件でも見るように見ていたのかもしれない。
その1ヶ月後、高校を卒業した私は東京に出てきて下宿生活を始め、吉本隆明、小田実、 埴谷雄高らを読み、やがて新左翼の学生たちの読書会をのぞいたり、デモに同行したりもした。
私はなぜそんなことをしたのだろう。
その頃“70年安保”はすでに終わっていた。ベトナム戦争は1973年の米軍撤退で終わりに近づいていた。
そんな時代に私はなぜ吉本隆明を読んだのだろう。なぜ江藤淳、石原慎太郎は読まなかったのだろう。
私はなにかが不満だったのか。なにかに逆らいたかったのか。
私は日米安保条約の何たるかは知らなかったが安保に反対だったのだろう。安保があるからアメリカのベトナム戦争に日本が加担していると
単純に考え反対だったのか。そうかもしれない。
日本は日米安保によって他国から侵略されることなく経済発展を遂げた、と現在の私は考えているのだが。
そこで吉本隆明だ。かれはなぜ新左翼とともに安保闘争を戦ったのか。はたして私はそれを理解していたのか。
私は図書館で晶文社・吉本隆明全集を手にとりパラパラとめくっていき、6巻の「憂国の文学者たちに」で手を止めた。
[このエントリーを書いたのは 23/01/30]