人生観を語る、と言う事は何か大変本気で難しい事だと思う。
何と言うか、年下でも長男長女はしっかりとしているじゃない。
故に、年齢はある意味関係ないんじゃなかろうか?と思うのだ。
確固たる信念を持っていれば成功者になるしさぁ。
打たれ強い?って言うのか?負けるもんか、泣くもんかって自分に厳しいと言うか何と言うか。
自分に甘々なわたしはとても太刀打ち出来ない。
何かにつけて自分を甘やかしている。砂を吐きそうなくらいに自分に甘い。
それが判ってりゃいいじゃん、って事にはならない。
いや、判っていないよりは「目くそ鼻くそを笑う」程些細な事だ。
人生とは本当に「博打」なのだ。
どう転ぶか判らない。蓋を開けて待ち受けるのは「天国」か「地獄」か?
開けるまでは判らないのだ。地獄と判っていて開けようとする人間は先ずいないと思う。
それが自分の目指す道筋なら開ける人間はいるだろうが、日和見主義のわたしとしては形勢が有利な方が良い。
なので、惨憺たる状況になる、と判っているなら蓋は開けずに厳重に封印するであろう。
コンクリ詰めにして海中深く沈めるね。
どうにもこうにもこの捻くれた思考は生まれつきの様である。
当たり前が当たり前でない、と漸く気付いたことが良い事なのか最悪なのか判らない。
他人にはある感情がわたしには微塵もない。記憶を辿れば中学の頃に「好きなアイドルは誰?」と問われた時になんでそれが大事なんだろう?と思った。当時のアイドルには一切合切、興味がなかった。
と言うか、アニメにハマっていたな。今や、ヲタクは世界に蔓延っているがあの当時は「暗い・気持ち悪い」とかのイメージだったな。
そして、19の冬に晴れてヲタクデビュー。足げくTRCやら晴海に通ったものだ。
高校を卒業して東京で働きだしたのだが、誰も昔のわたしを知らない。これだけでのびのびと出来たしやりたい事や出来なかった事が出来た。
まんま地元で働いてたら多分、暗黒の日々だっただろう。わたしを知ってる連中がいるのには耐えられなかっただろう。
4年と言う月日はわたしを変えてくれた、と言うか・・・・・「喧嘩上等!!」なとんでもない性格にしてくれた。
これは喜んでいいのだろうか?いや、よかぁないだろう。
あぁ、本当に人生は「博打」と言うしかない。
順風満帆ならまだいいのだが、日々が沈没寸前だ。
これは、計画性が無い自分が悪いのだが・・・・・そんな自分になっちゃったもんは仕方ないわね。
今更、軌道修正なんか出来ないし、する気も毛頭ない。
なんせ、冗談抜きでゴールは「孤独死」が待ち受けているのだ。
出来れば、どっかの施設にでも入所出来ててそこでお迎えに来て欲しいと真剣に思っている。
さて、如何に?
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