お天道様の下で

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ラパス

2009年01月26日 11時48分49秒 | 回帰現象・カメラ など

風邪の具合も大分良くなったので、久々の投稿を


丁度10年位前の事だろうか・・

30歳を過ぎてから始めたダイビング。

今では、すっかり忘れてしまった。

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3号の初めての海外旅行は、ダイビングショップのツアーで行った。

行き先は、カリフォルニア半島の先端辺りのラパス。

〝野生のアシカと泳ぐ〟とか、そーいった事に惹かれての参加だった。

30歳を過ぎているのに、所持金3万円で行ったのだから笑える。

しかも、1万円余った。

成田からロス、ロスから何処かの空港、で、其処からラパス。

ロスまでは使えないが知っている言語だったけど、その先は、聞き慣れないスペイン語。



「大丈夫か?」と思える程若いパイロットの操縦で離陸した飛行機、やがてスッチーの機内と非常時の説明が始まった。

ビッシーーっと決まった制服・・・

しかも、ラテン系の美人・・・

そして全く聞き取れないほど早口のスペイン語・・・

16ビートぐらいのスピードで説明しているのだが、丁度パチンコ玉が釘と釘の間を弾け続けるような速度といえば判るだろうか、とにかく、言ってる内容より起きている事のほうの呆気にとられ、機内のすべての人がポカーンとしていたが、終わったとたんヤンヤの拍手が沸き起こった。

その瞬間、機内の誰も、理解しちゃいない事を悟ったけど・・

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最初のポイントは、ラパスから4~6時間船で行った所にあるアシカのハーレム。

危ないので決してハーレムには近づかないが、彼らは海中に人間を発見すると興味本位で寄ってくる。

この時でさえ、わずか14~5本しか潜った事がない3号が、海中で周りを数頭のアシカに囲まれフリーズしていたのは楽に想像出来るでしょう。

海の中で過ごすのは20分、素潜りで数十分位だったか?

とにかく、船に乗っている時間の割りに海の中にいる時間が極端に短かったのが不満といえば不満か。



食事も美味しくないし、殆ど始めて会う同行者とも話す事が無い。

唯一、救いといえば、日本では見られない景色ぐらいだろうか。




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3日間の予定のうち最後の日は、ハリケーンの影響で海に出るがNGになったのでラパスの街に出かけた。

といっても、毎晩食事に出掛けていたけど。

最終日は、
キャンセルになった船のチャーター代も約1万円返ってきたのでホクホク(^ー^* )



街のあちこちに自動小銃を持った兵士が立っているのを見て街の状態を知り、商品も疎らな百貨店らしき建物は、町中のカラフルな建物とのギャップを感じさせた。

〝カラフルな廃墟〟って、言い過ぎか・・・?

夜は、何処からともなく人が集まり、海沿いの道路でドラッグレースが始まり、その喧騒をチョット離れたところで聞きながらホテル内のマリーナで同室の人が日本から持ってきた花火に興じていると、現れたのが、スペイン語しか話せない誰か。

日本語しか話せない二人とスペイン語しか話せない誰かとじゃ、話なんか成り立たないと思うでしょうが、何故か理解できてしまったのだからしょうがない。

ようは、「ここに有るのはたっけ~船だからよ、他でやれよ~」だって。

こっちはこっちで、「あと数本だからよ、船には向けねっから、やらしてけろ~」

こんな感じの会話が5分ほど、〝誰か〟は諦めたのか帰っていった。

〝判らない〟と決め付けて話すより、〝判ろう〟と聴けば、判った気がする。


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最終日のホテルから ↑

他のツアー客は、街中の五月蝿いところにあるホテルだったらしい。

3号の場合、出発の成田で他ショップのツアー客と仲良くなり、帰りも一緒だったので色々話していたら、参加しているショップの店員に怒られてしまった。

「ツアー会社は一緒だから、ホテルやチャーターしている船の事は話さない」とのこと。

どうも、やりにくい・・・

3号達がフライデッキを備えた船で揺られていた脇を、装備を付けたまま窮屈に並んで座っているダイバーを乗せた小さなモーターボートが通り過ぎていったが、あれは多分、彼らだったのだろう。


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この旅で一番の驚きは、トイレ。



 ↑ これは、街外れの海岸にあるレストランのトイレ。

やたら小さい便器に唖然・・・

このレストランだけは、もう一度行きたい場所。

打ち寄せる波が殆ど無く、穏やかな砂浜の波打ち際といっていい場所にある。

夕日が綺麗で、凄く静かなのに、料理はそれほどでもない。

ネガの保存状態が悪く、そういう写真が無くてトイレの写真ってのが残念なところ。

トイレでもっと凄かったのが、ラパスの中心にある2階がディスコになっている食事処のトイレ。

形も高さも小学校の手洗い場のような造りで、違うのは、〝流し〟の底から2センチほどの高さに、一定間隔で穴が開いた19ミリほどの塩ビパイプから水が流れ、さらにパイプが取り付いている壁には鏡が貼られている。

まるで手洗い場・・・・

50歳くらいの参加者は、手を洗っていた。

当然、用を足せば丸見え、〝息子〟のお国自慢をすることになる。



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帰り道、離陸した飛行機の窓から地上を眺めながら、墜落しても投げ出されない事を願った。 何故かというと、無数のサボテンが地上を覆っていたから。

ロスに到着したとき、聞き分ける事も話す事も出来ないくせに、ロビーに流れる英語を聴いて「帰ってきた~」とため息をついてしまった3号は、よほどストレスが貯まるツアーだったのだろ。

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因みに潜らない理由は、資金はもちろん、ライセンス団体の縄張り意識にウンザリしたこと、ショップとの相性の悪さなのだけれど、やはり一番の理由は、ウェットスーツの配色が一番大きかっただろう・・・・

グレーを入れたけど、明るい緑に明るいピンクだぜ~?

出来上がってビックリだったさ

河童じゃあるまいし・・・


その反動か、ドライスーツはカッコいい

当時、27万円もした。

しかも、2本しか潜っていない。

まだ、新品です。

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