心の手帖…風通しの良い繋がりを求めて

心を精一杯広げて、現代社会を味わう方法を探していくために、心を整理する手帖のようになれば…

G.F.ヘンデル作曲「メサイア」の響き

2013年12月21日 21時06分17秒 | 個人的名言集
ヘンデル:メサイア(ハイライツ)
リヒター(カール),ヘンデル,オールディス(ジョン),ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,ビルグラム(ヘトヴィヒ),クラップ(エドガー)
ユニバーサル ミュージック クラシック
ヘンデル:名曲集
WARNER
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 昨日は、久しぶりに濃厚なクラシック音楽のチャリティーコンサート『第63回藝大メサイア演奏会』を聴きに出かけました。
 年の瀬には、このヘンデルの『メサイア』とベートーヴェンの『第九』の2曲が、日本国内の至るところで、鳴り響きわたりますが、両者には深い結びつきがあることを、今回初めて知りました。

「…多くの青年たちの心を揺さぶった『メサイア』の魅力とは何だろうか。それは、ヘンデルの音楽のもつ、人間のあらゆる感情、喜びや悲しみ、祈りや希望をストレートに伝える『真率さ』ではないだろうか。
 『メサイア』を何度も筆写するなど生涯を通じヘンデルを深く敬愛したベートーヴェンは、晩年の大作『荘厳ミサ』の総譜に《Von Herzen,Moge es wieder, zu Herzen gehen(心より出ず、願わくは、再び心へと至らんことを)》と記した。
 これこそまさにベートーヴェンが受けついだヘンデルの音楽の精神であり、『メサイア』と『第九』にともに流れる気高い理念でもある。」 【出典:公演パンフレット『野村あらえびすと「メサイア」』】

 ということで、今回は、名言というよりは、この名曲の中で歌われている歌詞の中から、印象的な言葉(全て聖書からの引用句)をご紹介します。

 「見よ、乙女が身ごもって、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」「『神はわれわれと共におられる』という意味である。」

 「闇の中を歩んでいた人々は、大いなる光を見た。死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

 「主は羊飼いとなって群れを養い、子羊たちを腕に抱き、懐に入れ、またその母羊を優しく導いて行かれる。
重荷を負うて苦労している者は、誰でも主のもとに来なさい。あなたがたを休ませてくださるだろう。主は柔和で謙遜な方だから、そのクビキを負って、主に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂は安らぎを得られよう。」「主のクビキは負い易く、主の荷は軽いからである。」 

 「見よ、これぞ世の罪を取り除く神の子羊。」

 「まことに彼はわたしたちの病を負い、わたしたちの痛みを担った。彼はわたしたちの罪のために傷つけられ、わたしたちの咎のために打ち砕かれたのだ。彼がみずから受けた懲らしめによって平和が与えれらた。」

 「そして、彼の受けた鞭の傷によって、わたしたちは癒された。」

 「見よ、これほどの痛みがあっただろうか。」

 「屠られ、その血によって神のためにわたしたちを贖う子羊こそ、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい。王座に座っておられるかたと子羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくあるように。」

…簡単な紹介しか出来ず、心中、とても残念の嵐なのですが、実際の演奏を生で聴いている最中、鳥肌が立ち続けるほどの、揺すぶられ放題でした。イエス・キリストの生涯が、人類とどのように関連づけられているのか、そのエッセンスを謳い上げる歌曲でもあり、内容は、かなり重く深いのですが、ハレルヤ・コーラスで一気に、心は高揚し、天高く舞い躍ります。年末の最中に、ふと逃避行したくなったら、心のシェルターとして大いに貢献してくれる、神秘的な空間のようなものかも…?

エーリヒ・フロムの言葉 第3弾

2013年12月19日 19時53分09秒 | 個人的名言集
自由からの逃走 新版
日高 六郎
東京創元社

フロムの遺産
Daniel Burston,佐野 哲郎,佐野 五郎
紀伊國屋書店

 今日も、第3弾ということで、エーリヒ・フロム氏の言葉を、少々長めですが、ご紹介したいと思います。前回と同様、『愛と性と母権制』から。

 「愛は常に、我々が愛するものの成長と生きていることに対する積極的な配慮であり、それ以外のものではありえない。なぜなら、生そのものは、成長、統一、統合の過程であり、生きているもの全てに対する愛は、この成長を更に促進したいという強烈な願いであるはずだからである。」

 「母性的なものの本質:‘胎児を育むうちに、女性は男性よりも早く、自らの自我の限界を超えて愛の配慮を他の存在に及ぼし、己れの精神に備わる一切の創造力を、異なる存在の養育や美化に発揮できるようになる。いまや女性を基点として文明化のあらゆる高揚は生まれ、女性を基点として生活におけるあらゆる善行、あらゆる献身、あらゆる養育、あらゆる死者への哀悼が生まれる’バハオーフェン『母権論』」

 「他者に対する愛、養育、責任意識、これが母親の創造するものである。母性的愛こそ、あらゆる愛とあらゆる利他主義が生まれるもととなる種子である。しかし、それだけではなく、母性愛を基礎として、普遍的人間主義が発達する。母親は子供を愛する。だがそれは、子どもが子どもなるがゆえにであって、子どもがあれこれの条件を満たしたり、期待に応えたりするが故にではない。子どもがあれこれの条件を満たしたり、期待に応えたりするがゆえにではない。」

 「母親は子供たちを分け隔てなく愛する。こうして、子供たちは、お互いが同等であることをしるようになる。それは、子供たちの中心的な絆が母親との絆だからである。
 ‘子を産む母性からこそ、あらゆる人間を兄弟姉妹とみなす普遍的な友愛意識が生まれる。だが、この意識及び承認は、父性の完成と共に滅び去る’
 母系中心的文化の根底にある原理は、自由と平等、幸福と生の無条件的肯定にある。」

… 母性賛歌のような言葉の羅列になりましたが、もうすぐクリスマスということで、聖母マリアの、普遍的な、全人類の母という、ほっくり温かなイメージを、ピックアップしてみるのも良いかなと思った次第です。
 クリスマスには、しっとりとした素敵なストーリーを、是非ご紹介したいと思っています。今日は、降雪があった地域もあったと思います。今年の聖夜は、ホワイトになるのでしょうか?

エーリヒ・フロムの言葉 第2弾

2013年12月18日 20時31分42秒 | 個人的名言集
自由からの逃走 新版
日高 六郎
東京創元社

評伝エーリッヒ・フロム
Gerhard P. Knapp,滝沢 正樹,木下 一哉
新評論


 今日も、エーリヒ・フロム氏のカチッとした言葉を、今回は著作『愛と性と母権制』からご紹介したいと思います。
 「自分が好きでない人、自分自身を認めていない人は、自分自身に関して、絶えず不安を感じている。本当に自分が好きであることと、自分自身を肯定することを基盤としてしか存在し得ない内なる安定がない。基本的に自分自身に安心と満足がないから、自分のことに貪欲にならなければならない。利己心やナルシズムは、自己愛の根本的欠如の過剰補償なのである。」

 「自分自身の血肉となっている思想を守るために、或いは、自分が愛している人の為に、自分の生命を投げ出す必要がある場合、この自己犠牲は自己肯定の極端な表現と言えるだろう。勿論、肉体的な自己の肯定ではなく、自分のパーソナリティ全体の核という意味での自己肯定である。この場合、犠牲自体は目標ではなく、自分自身の自己実現と自己肯定に対して支払われる代価なのである。」

 「民主主義が成し遂げていないことは、個人に自分自身を愛させること、すなわち、個人の知的・情動的・感覚的潜在能力の全てを使って、個人の自己に対する深い肯定感をもたせることなのだ。」

 「生は常に、団結し、統合しようとする。換言すれば、生は、必然的に不断の成長と変化の過程である。」

 「愛のアプローチは、力によるアプローチの逆である。愛は理解し、確信させ、鼓舞しようとする。そうすることで、愛の実行者は絶えず自分自身を変革してゆく。愛の実行者は、感受性が強くなり、よりよく観察し、より生産的になり、自分自身が大きくなる。愛は感傷や弱さとは無縁である。愛は影響を与え、変えていく方法であり、力の行使のような危険な副作用を伴わない。愛は、忍耐、内なる努力、そして何よりも勇気を必要とする。愛によって、問題を解決する道をとることは、挫折に耐え、敗北しても我慢し続ける勇気を必要とする。愛は力よりも潜在力に対する信頼を必要とする。」

 …実は、まだまだご紹介したい言葉があるので、また次回に第3弾をと考えています。
 自分自身を振り返ってみると、どうもバランスの悪い、自己評価に陥ってしまう傾向があるのですが、エーリヒ・フロム氏の人間分析力を、勝手ならが個人的解釈に転用させていただくと、均衡の取れた自己イメージを心の支柱にできる感じがします。自己満足ですが…。
 先ずは、この一年間の自分の歩んできた道筋を、自分自身がしっかり肯定してあげられたら、新年に向かって、清々しい年越しができそうですよね。

エーリヒ・フロムの言葉

2013年12月16日 18時10分11秒 | 個人的名言集
愛するということ
Erich Fromm,鈴木 晶
紀伊國屋書店

 今日は、いつもより硬目に、ドイツの学者エーリヒ・フロム()の古典的名著『愛するということ』よりご紹介します。
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm, 1900年3月23日 - 1980年3月18日)はドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。新フロイト派、フロイト左派とされる。 【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】

「成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間の中にある能動的な力である。人を他の人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人であり続けるというパラドックスが起きる。」

「生産的な性格の人にとっては、与えることは全く違った意味をもつ。与えることは、自分のもてる力の最も高度な表現なのである。与えるというまさに、その行為を通じて、私は自分の力、富、権力を実感する。この生命力と権力の高まりに、私は喜びを覚える。…与えるという行為が自分の生命力の表現だから。」

「愛の本質とは、何かのために『働く』こと、『何かを育てる』ことにある。愛と労働は分かち難い。人は、何かのために働いたら、その何かを愛し、また愛するもののために働く。」

「愛する人は、自分自身に責任を感じるのと同じように、同胞にも責任を感じる。」

「尊敬とは、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。…愛する人が、…その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願うこと。」

「『秘密』を知るためのもう一つの方法が愛である。愛とは、能動的に相手の中へと入ってゆくことであり、その結合により、相手の秘密を知りたいという欲望が満たされる。」

「成熟した人間とは、…純粋に生産的に活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人。成熟した愛は、『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』と言う。」

 「スピノザの言葉の引用:『徳と力とは、同じ一つのものであるという結論に至る。羨望、嫉妬、野心、貪欲などは情熱。愛は行動であり、人間的な力の実践であって、自由でなければ実践できず、強制の結果としては決して実践されえない。』」

 愛について、年末に改めて心に響かせておきたい、言葉の泉。個人的に、常に忘れずにいたいことは、「愛とは、愛する者の中に愛を生み出す力・愛する者の生命と成長を積極的にきにかけること。愛し合うということは、互いに相手の中に息づいているもの、芽生えているものを、心から喜び、それを互いに分かち合うこと。」という考え方です。ダイナミック且つ好循環なエネルギーを感じさせ、新しい年をイメージさせる勢いがあるように感じます。

パトリス・ジュリアンさんの言葉

2013年12月15日 18時07分44秒 | 個人的名言集
 今日は、パトリス・ジュリアン氏)の言葉をいくつかご紹介します。著作も、仏料理関連レシピ本を中心に多数あります。〈モロッコ生まれのフランス人。革新的な校風で知られるナンテールのパリ第10大学にて「コミュニケーション」を学ぶ。そこで習得したスキルは、後にフランス外務省の公務員としてフランス文化の普及という任務のために渡ったアフガニスタン、ポルトガル、タイ、そして日本の各国においても大いに発揮される。パトリスさんにとって人生の主たる目的は楽しむこと。そんな彼が自らの最初の本として選んだのは「フランス料理ABC」という料理本(文化出版局から1992 年に出版されたこの本は現在までコンスタントに増刷を重ねている)。まさにカリスマ的プロデューサーであるパトリスさんは常に新しいアイデアや新しいコンセプトを発信し続けている。プロデュースした製品、トークショーやワークショップ、また最近新たに開いた「ライフスタイル道場」などを通して、パトリスさんは物事を”雰囲気”というアングルから見つめることがいかに大切で必要であるかを説き明かす〉【出典:パトリス氏自身のブログのプロフィール】
フレンチスタイルのサンドイッチ―楽しい組合せでおいしいラッピング
Patrice Julien
文化出版局

物語の主人公になる方法―Special Edition
Patrice Julien,碓井 洋子
にじゅうに

生活はアート
Patrice Julien
主婦と生活社
シンプルで贅沢が心地いい。
Patrice Julien
主婦と生活社


「生活とは、僕達がそのディテールに注意を払ってさえいれば、一瞬ごとの時間がアーティスティックな喜びに満ち溢れたものになり得るものだということ。」

「僕は、本当の美しさとは、人にエネルギーを与えてくれるものだと思っている。本当の美しさとは、人間が根源的に持っているイマジネイションの泉から、自然に汲み上げられてきたものが形をとっている姿だと思う。加えていうならば、本当の美しさには『エゴ』がない。無名の職人の建てた田舎の農家が美しいのは、そこにその職人が存在せず、長い時間をかけて磨かれた伝統と技術のエッセンスだけが静かに輝いているから、農家は時を越えて普遍的に美しい。」

「あなたの心がしんと静かに澄んで、温かくなるもの、こと、場所を、沢山、沢山集めなさい。」

「あなたは、自分の役割(ミッション)に気が付かなくてはならない。大いなる力、いのちの光輝く泉は、あなたのオリジナリティの発現を待っている。なぜなら、この世界は『いのちが、様々な形で生きる』ことへの壮大な実験室だからだ。世界はいのちのそれぞれの独自性に常にOuiと答えている。」

「美しい言葉で夢を描こう。そこに、いつまでも消えてなくならない楽しさをプラスしたいのなら、ほんのちょっぴり、人のためになる要素を入れればいい。そして、自分の身の回りすべてに、注意深くなろう。あなたが五官を真剣にフル回転させて生活するほど、意味のある偶然(シンクロニシティ)が後から後から毎日の中に湧き出て来て、あなたが素晴らしいオリジナルの人生を送るための手助けをしてくれるはずだ。」

 …今年一年を振り返って、来年の抱負を少しずつイメージしていく中で、彼の言葉は大きなエールとなるような気がします。心の大掃除をしながら、しっかり新しいページにメモっておきたいと改めて思います。

苦しみについての名言

2013年12月13日 21時42分37秒 | 個人的名言集
ブラザー・サン シスター・ムーン [DVD]
グラハム・フォークナー,ジュディ・ボーカー,アレック・ギネス
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
ちびまる子ちゃんのヘレン・ケラー (満点人物伝/ちびまる子ちゃん)
関 宏之,宮原 かごめ,さくら ももこ
集英社


 今日は、今までとは違い、今日のテーマ「苦しみ」にまつわる言葉を、何人かの方々からご紹介します。

 八木重吉(詩人)「すべての苦しみの根源は、無条件に無制限に人を許すというその一念が消え失せたこと。」

 アッシジの聖フランシスコ(中世カトリック教会・男子修道会の創立者:現ローマ法王フランシスコ1世は、この聖人名からの呼称)「私たちが今、色々な苦しみに遭い、霊肉のあらゆる困難や悩みを忍んでいないなら、喜びは無いのだ。」

  ヘレン・ケラー「あらゆる種類の障害は、当人が自らを開発して、真の自由を獲得するように勇気づける為の、愛の笞ということになる。それらは、石のように堅い心を切り開いて、神からの高尚な贈り物を自分の存在の中から見つけ出すために、私たちに手渡された道具なのです。」

 苦しみと共に生きている方々は、周囲に沢山おられるのです。その苦しみを担い合うことが出来たら、その苦しみは、人と人とを結びつける絆になるような気がします。震災で、台風で、犯罪の被害で、病気で、怪我で、愛する人を失って…数え切れない程の苦しみが、どうか少しでも小さくなり、優しさで包み込まれますように…。 



漫画家・声楽家 池田理代子さんの言葉

2013年12月10日 18時01分24秒 | 個人的名言集
STARキャラ☆週めくり 愛と勇気のベルサイユのばらカレンダー 2014 (STARキャラ・週めくり)
池田理代子プロダクション
集英社


あきらめない人生―ゆめをかなえる四〇からの生きかた・考えかた
池田 理代子
海竜社


 今日は、声楽家としてご活躍中の、少女漫画や宝塚歌劇「ベルばら」原作者でお馴染みの池田理代子さんの言葉を、著作『せめて一度の人生ならば』よりご紹介します。
 「ベルサイユのばら」は、私個人の、思春期時代かなり影響を受けた思い出あふれる宝物のような作品ですが、他にも「オルフェウスの窓」「エロイカ」「エカテリーナ」等、池田理代子氏の世界には、愛着がありましたので、ご自身のことを語っているエッセーには、わくわくでした。
 人生の捉え方には、学生時代にドイツ哲学を学ばれているので、ヘーゲル等の影響もあるようです。基本的に、人生の機微を味わい尽くすことにおいて、情熱的であられる方のように感じますね。
 「ベルばら」記念切手、また発売されることを願って…。
(それにしても、今日はまさに冬型の寒さでした。真夏の猛暑もきつかったですが、太陽のギラギラ光線が懐かしい…オゾン層は、今どうなってるのでしょう?)
 
 「長き夜を泣き明かしたる者にあらずんば、いまだ共に人生を語るに足りず(カーライル)」

 「人間は、自分一人で生きているのではなく、社会によって自分をとりまく周囲の人々によって生かされているのだということを十分に知っている人に出会った時、私はいつも、この人は何という個性的な人なのだろうと、感動してしまう。」

 「…私は、一人の人間の限られた一生の時間を遠慮容赦もなく奪い取るこの“恋”を、徒(アダ)やおろそかには扱いたくないと思うし、でき得るならばこの恋の情熱が正の方向に作用して、その人の人生に充足をもたらすものであって欲しいものだと、至極単純にそう考えている。」

オードリー・ヘプバーンの言葉

2013年12月10日 06時28分53秒 | 個人的名言集
オードリー・ヘプバーンの庭園紀行 DVD-BOX
オードリー・ヘプバーン
オンリー・ハーツ


今日は、世界的映画女優であり、ユニセフ親善大使としても活動された、あまりにも有名なオードリー・ヘップバーンの言葉をご紹介します。彼女の魅力はファッションだけに留まらないのですね。

愛は行動なのよ、言葉だけで終わらせたことなど一度もなかったわ。
私達は生まれた時から愛する力が備わっているの。
それでも筋力と一緒で、鍛えなければ衰えてしまうものなの。 
【出典:http://sekihi.net/stones/9421】

一個の道具のように自分を分析しなさい。
自分自身に対して百パーセント率直でなければなりません。
欠点を隠そうとせずに、正面から向かい合うのです。

忘れないでください。
年をとったら自分にふたつ手があるということを。 
ひとつは自分を助ける手。 
そして、もうひとつは他人を助ける手。

私を笑わせてくれる人を私は大事にしますわ。
正直なところ、私は笑うことが何よりも好きなんだと思う。
悩ましいことが沢山あっても笑うことで救われる。
それって、人間にとって一番大事なことじゃないかしら。

【上記3つとも、出典:オードリー・ヘップバーンの名言】

レオ・ブスカリアさんの言葉

2013年12月09日 10時48分13秒 | 個人的名言集
今日は、一昔前に日野原重明氏が推薦されて、ブームになった写真絵本『フレディ 小さないのちの物語』の著者であるレオ・ブスカリアさんの、また別の著作『パパという大きな木(1999)』から、ご紹介します。弱者に注がれる温かいまなざしが感じられる、底抜けに明るい、愛についての言葉。少々懐かしい時代の本なので、画像が見つからず、残念です。

イタリアの古い諺

「育つ生命に手を貸す者に、神はいつも微笑みたもう」

人生に積極的な姿勢で臨んだパパの人生訓:

大いに踊り、歌い、笑おう。
世の中のことは、全て互いにつながっている。
快活な人格は、世の中を明るくする。
一人になれる静かな場所を持ちなさい。
決して自分を裏切ってはいけない。
愛することは、人生になくてはならないこと。
理想主義者は、弱さではなく、強さである。
人は機会さえ与えられれば、善良になれる。
差別、どんな理由があろうと、いけないことだ。
自尊心は、生きていく上で必要不可欠のものである。
神の御前以外では、人は平等ではない。
だから、弱い立場の人々は、我々皆で助けていかなくてはいけない。
残酷さは、心の弱さの表れである。
手を差し伸べ、優しく気遣うことは、愛の基本的な要素である。
愛は、この世から消し去ることのできないものである。
それゆえ、人類の所有する最強の武器である。
人も世も変わっていく。
何でも分かっている気になることは、危険なことだ。


訳者あとがきより;

 …彼(レオ・ブスカリア)は、「愛」を「実際にものを動かすことのできる、使っても、決してなくなることのないエネルギー源」だと定義している。この「ユニヴァーサルな愛」こそが、真に人間らしい自己の達成に最も必要なものであると言っている。  
 …人は誰でも、よりよい存在であることを求めるものだが、それならまず、自分自身を肯定しなさい。そのことによって、同じように他の人をありのままに受け入れることができる。それが「愛」の正しい使い道なのだ、と。 

辰巳芳子さんの言葉

2013年12月07日 22時23分37秒 | 個人的名言集
あなたのために―いのちを支えるスープ
辰巳 芳子
文化出版局
昨日に引き続き、辰巳芳子さん出演の映画『天のしずく』の作品にちなんで、少しご紹介できたら…。下のイラスト画像は、YouTubeで見つけて、その可愛らしさに一目惚れして、思わずアップしてしまいました
 
【出典:天のしずく制作委員会さんのプロフィール画像】
 
この『天のしずく』(監督・脚本:河邑厚徳;2012年・日本・113分)の主役は、辰巳芳子氏のご尊父が病床にあった時に、父親の口に合うように、工夫を凝らして作り続けたスープなのです。丁寧な手さばきで、様々な四季折々の食材を、その素材が完璧に活かされるように作り出された、伝説の癒しのスープ・汁物・お汁。それが、このドキュメンタリー映画のタイトル『天のしずく』の由来でしょうか?
  【出典:辰巳芳子氏の公式HPのプロフィール】
映画の中で、語られる言葉、全てに含蓄があり、それ自体、書籍出版される価値があると思われますが、私が特に印象に残っているのが、辰巳氏が、母親で、且つ料理研究家であられた辰巳浜子氏に向ける敬愛の念漂う、母との思い出を語る場面です。
 詳細は割愛しますが、「母は、生涯愛するということは、どういうことなのかということを問い続けて生きた」というような言葉があり、著作『家庭料理のすがた』のあとがきにも「母の生涯の命題は、“心をこめる―心のこめ方”を自問自答し、番茶一杯にも、答えを求めることではなかったかと思います。」とあります。母親が残してくれたものを真の意味でに昇華して、この現代の食文化に、警鐘を鳴らしながら、今度は次世代に伝えていこうとされている姿に、女性としての、一つの模範的な生き様をスパ~ンと、見せつけられたような衝撃がありました。