心の手帖…風通しの良い繋がりを求めて

心を精一杯広げて、現代社会を味わう方法を探していくために、心を整理する手帖のようになれば…

交通安全のクリスマス・プレゼント

2013年12月26日 13時09分56秒 | 日記
一日遅れましたが、Merry Christmas and Peace to all the people in the world!

今日は、先日カトリック教会の友人から教えていただいたお話をご紹介します。教会に伝わる伝説の中で、聖人伝というものがあり、その中のお一人の「聖クリストファー」という中世の人物が、実は、旅人や航海の守護聖人ということで、この方の像を見ると、「交通安全」の祈願が叶うということらしいのです。いわゆるサンタクロースも、カトリック教会の司教であった聖(サンタ)ニコラウスさんという人物がモデルであったように、カトリック教会の長い歴史の中には、様々な伝説が登場するのです。

 それで、私、車の免許を取得するのに、大変難儀しておりまして、やっと仮免が取れた際に、路上を技能教習で走ること自体が、ドキドキもので、早速この聖クリストファーさんの像が彫られたメダルを購入して、教会の神父さんにお浄めと祝福の祈りをして頂き、新しい年から、運転中はしっかり身につけることに致しました。
スターリング シルバー 聖 クリストファー メダル ピン
Goldia
Goldia
ゴールド-トーン & シルバー-トーン 聖 クリストファー キー Fob
Goldia
Goldia


 この「聖クリストファー」さんは、老人なのですが、大層腕力があり、大きな川を渡ろうとしていた、幼い頃のイエス・キリストを肩にかついで、渡りきったということから、「キリストを運ぶ者(クリストファー)」という名前がついたそうです。素晴らしく写実的な画像を見つけましたので、拝借致しました。

 
 伝説【昔、ラインの岸辺に大変力もちの子供がいた。勇者にあこがれた子供は、或る時、願い適って、偉い領主の家来になる事が出来た。ところが領主はサタンを恐がり、そのサタンに仕えてみると、なんと『十字』の人を恐れているのが分かった。それで、さらに『十字』の人を世界中に求めて彷徨ようが、遂に会う事ができなかった。
 やむなく、故郷の村に戻り、旅人を背負ってラインの激流を渡る、渡し守になった。
ある嵐の晩、小さな男の子がやって来て、対岸までお願いすると・・・。願いがあまりに切なので、ついに嵐の川を渡ることにして、男の子を背負って、川を渡り始めた。
 川の中程に達すると、急に男の子がものすごく重くなった。必死に激流を超えて、対岸に辿り着くと、男の子は夜明けの光の中で、『世界の重みを負ってくれたね』と嬉しげに、十字を切って、渡し守を祝福したと云う。
 男の子は幼児キリストであった。渡し守はキリストを負う者、クリストファーの名を与えられ、遂に『十字』の人に会えた喜びに身を打ち震わせて、立ったまま息絶えてしまったと伝えられている。】 【出典:ケルン旅行 クチコミガイド《ラインの守護聖人》】

 この年末年始、海外旅行や故郷に帰省される方々の道中のご無事、交通の安全を祈りつつ…

教会でのクリスマス・コンサート

2013年12月24日 10時11分22秒 | 日記
泉のほとり
インデーズ・メーカー
インデーズ・メーカー

ユーオーディア・クリスマス
(トラディショナル),Lewis Henry Render,アダン,フランツ・グルーベル,柳瀬佐和子,柳瀬佐和子,ユーオーディア・アンサンブル,井上とも子,工藤美穂,村上信晴,柳瀬洋,蜷川いづみ
インディペンデントレーベル


 今日は、ご縁のある教会での、ヴァイオリン+ピアノコンサートで、華々しい演奏を披露された蜷川いづみさんのことを、ちょこっとご紹介。
 クリスマスのシーズンにあって、恐らくプロの演奏家は、ひっぱりだこ状態だと思いますが、チャリティーコンサートは特に、演奏家の方々は、肩肘張らない、ご自分のお得意演目を楽しみながら、披露してくださる感じがします。特に、新人さんではなく、キャリアを積まれた方のプレイは、余裕があって、質実ともに満足感が濃厚で、私も久々に、心全体が音楽に酔いしれて、薄汚れていた心が徐々に純白に洗われていくにような、荘厳な響きに身をゆだねて、憩えるひと時を味わいました。
 そのヴァイオリニスト・蜷川いづみさんの持っている演奏家としての自信と美的感性・技術に合わせて、クリスチャンとしての真摯なまなざしが、一曲一曲に注がれていて、本当に、感動的な一体感に会場は包まれていました。
 
 クリスマスの定番的な曲目なのかもしれませんが、演奏曲目をご紹介:
 「ひさしく待ちにし~グリーン スリーブス~荒野の果てに」(クリスマス賛美歌)
 「主よ人の望みの喜びよ」(J.S.バッハ)
 「ヴァイオリンソナタ ニ長調作品9の3より」(ルクレール)
 「タイスの瞑想曲」(マスネ)
 「ツイゴイネルワイゼン」(サラサーテ)
 「O HOLY NIGHT」(アダン)
 「アメイジング・グレイス」《ゴスペルソング》…アンコールとして…

 生の演奏には、その演奏家のトークも入るので、本当にCDでは味わえない臨場感以上のものがあるので、また蜷川さんのステージでの演奏を楽しみにしたいと思っています。人間としての魅力を感じさせる演奏家という点で、彼女に出会えた昨晩は、本当に幸運でした。皆さんも、そんな出会いをどこかで、密かにご体験されているのでしょう。
 
 最後に、蜷川いづみさんの経歴をざっくりご紹介します

桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学卒業。同研究科終了。フランスへ留学。パリ・エコール・ノルマル音楽院にて高等演奏家資格を満場一致の主席で取得し、審査員賞を受賞。新日本フイルを経て、東京ユニヴァーサルフィルハーモニー管弦楽団コンサートミストレスとして活躍。現在、ソロ、アンサンブルを中心に国内外において幅広い演奏活動を行っている。クリスチャン音楽家によるユーオーディアアンサンブルの第一ヴァイオリニストとして8枚のCD、ソロアルバム《泉のほとり(2006)》、《泉のほとりⅡ(2012)》をリリース。レコード芸術誌に取り上げられ、好評発売中。日本福音キリスト教会連合つつじヶ丘キリスト教会所属。

 
 

クリスマス・ショート・ストーリー(後編)

2013年12月23日 05時00分00秒 | 物語
… さっそくですが、昨日のお話「クリスマス・プレゼント」の続きをどうぞ …

 人形を買うのに十分なお金がありました。いくらか、おつりが出るほどでした。
 「よかった!ぼくね、ママのためにもプレゼントを買いたかったんだ。ママは白いバラば好きだから。でも、そんなにたくさんのことを神様にお願いするのは、失礼だと思ってやめておいたの。神様は、ぼくの心の中もちゃんと分かっているんだね。神様は、ぼくに、この人形とバラを買うためにぴったりのお金を用意してくれがみたい。」
 数分後、先ほどの老婦人が戻ってきたので、わたしも自分の買い物かごを手にその場を離れました。わたしは、買い物を始めたときとはまったく違った気持ちで、買い物を終わらせました。
 帰りの電車に乗っていたとき、突然ふと、二日前の新聞記事がわたしの頭をよぎりました。その記事には、酔ったトラックの運転手が、小さな女の子とその母親を乗せた車をはねたことが書いてありました。女の子は即死、母親は病院に運ばれたが重体、とのことでした。母親は昏睡状態に陥っており、回復の見込みはまったくなく、家族は、彼女の生命維持装置を止めるか否かを、決めかねているとのことでした。
 男の子との偶然の出会いから二日後、わたしは新聞で、彼の母親が亡くなったことを知りました。わたしは何も考えずに家を出て、花屋に行き、白いバラの花束を買いました。そしてその足で、告別式が行われている場所へと向かいました。
 女性が、棺の中で、手に一本の真っ白なバラを持ち、小さな人形を抱いて横たわっていました。わたしは涙が止まりませんでした。
 それからというもの、わたしのクリスマスはまるっきり変わってしまったのでした。

 ……  …
 
 …いかがでしたでしょうか? 小さな男の子の純粋な兄妹愛がもたらした、日常を変えるドラマの一つです。最近、飲酒運転が原因の交通事故の生々しい映像を見る機会がありまして(教習所に免許を取りに通っているので……)、本当に身近に起こりえる悲劇であることを、運転スキルと共に、毎回意識付けされている感じがします。
 このような、大切な家族を失った痛い現実が、他人を感動させるほどにまで、美しい、汚れの無いシーンに変貌しうること。それが、クリスマス・シーズンの奇跡かもしれません。
 映画の中にも、クリスマスと絡めた素敵なストーリーがありますよね。次回にでも、ご紹介できたら…と思っています。


 …素敵な本のご紹介… 

クリスマスのものがたり (世界傑作絵本シリーズ―日本とスイスの絵本)
フェリクス・ホフマン,しょうの こうきち
福音館書店

紙でつくるクリスマス・オーナメント (ペーパークラフトしかけえほん)
キャロライン ヨハンソン,Hannah Ahmed,Caroline Johansson,上野 和子
大日本絵画

クリスマス・ショート・ストーリー(前編)

2013年12月22日 20時00分36秒 | 物語
 
【カトリック河原町教会(京都)の降誕祭のオブジェ】 

 今日は、『クリスマス・プレゼント』というショート・ストーリーを、クリスマス特集のブックレットから見つけ、ちょこっとしんみり、透き通った気持ちになったので、ご紹介します。
 【出典:「クリスマスの光」ドン・ボスコ社刊(2006.8.29)】


 クリスマスまであと一日という日、わたしは前もって買っておかなかったクリスマスプレゼントの買い物を済ませるために、デパートへ急ぎました。
 デパートでおしあいへしあいプレゼントを選んでいる人々を見たとき、わたしはとてつもなく惨めな気持ちになりました。それでもわたしは何とかおもちゃ売り場にたどり着き、値段を見比べながら、「こんな高いおもちゃを買ったところで、子どもたちはいつまでこれで遊ぶかしら」と、ひとりごとを言っていました。
 ふと、視線を下げると、同じおもちゃ売り場の片隅に、五歳くらいの小さな男の子が、人形を胸に押しつけて立っていました。
 男の子は、人形の髪をなでながら、悲しそうな顔をしています。
 男の子は、隣にいる老婦人の方を振り向いて、こう言いました。「ねえ、おばあちゃん、本当に、ぼくのおこずかいでじゃあ足りない?」
 おばあさんは答えました。「さっき数えてみたでしょう。残念だけど、足りないのよ。なぜ、そんな、女の子のおもちゃにこだわるの。」
 それから、おばあさんは、他の用事をしてくるから五分くらいここでじっとしていなさい、と男の子に言ってその場を離れました。男の子はまだ人形をしっかり握りしめています。
 わたしは、その子に近づき、「この人形、どうするつもりだったの?」と聞きました。
 「これはね、ぼくの妹がすごく気に入っていた人形なの。妹は、今年のクリスマスにこの人形がほしいって言ってた。サンタクロースがこの人形をくれるのを楽しみにしていたんだ。」
 そこで、わたしは「それなら心配しなくても、きっとサンタさんが届けてくれるわよ。大丈夫」と男の子に答えました。
 ところが、その子は悲しそうにこう言うのです。「ううん。今年はきっとサンタさんも妹にプレゼントを届けることはできないよ。妹が今いるところじゃ無理なんだ。だから、ぼく、この人形をママに渡して、妹のいるところにまで持っていってもらうんだ。」そう言いながら、男の子は今にも泣き出しそうでした。
 「ぼくの妹はね、今、神様と一緒にいるの。パパが、もうすぐママも神様に会いに行ってしまうって言ってた。だからね、この人形をママに渡せば、妹に届けてくれると思うんだ。」
 わたしは心臓が止まるかと思いました。
 男の子はわたしを見上げ、言いました。「ぼく、ママに、『まだ行かないで』って言ってからここに来たんだ。ぼくがデパートから戻るまで、行かないで待っていてねって。」
 そして再び男の子は、手に持った人形を悲しそうに見つめました。
 わたしはすかさず自分の財布に手をやり、いくらかのお金を取り出しました。そして男の子に言いました。「もう一度だけ、調べてみようか?本当にお金が足りないかどうか、私と一緒に数えてみない?」「うん。足りるといいなあ。」
 わたしは、彼にばれないように自分のお金をこっそり加え、数え始めました。

 …… 続きはまた明日 …

G.F.ヘンデル作曲「メサイア」の響き

2013年12月21日 21時06分17秒 | 個人的名言集
ヘンデル:メサイア(ハイライツ)
リヒター(カール),ヘンデル,オールディス(ジョン),ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,ビルグラム(ヘトヴィヒ),クラップ(エドガー)
ユニバーサル ミュージック クラシック
ヘンデル:名曲集
WARNER
WARNER

 
 昨日は、久しぶりに濃厚なクラシック音楽のチャリティーコンサート『第63回藝大メサイア演奏会』を聴きに出かけました。
 年の瀬には、このヘンデルの『メサイア』とベートーヴェンの『第九』の2曲が、日本国内の至るところで、鳴り響きわたりますが、両者には深い結びつきがあることを、今回初めて知りました。

「…多くの青年たちの心を揺さぶった『メサイア』の魅力とは何だろうか。それは、ヘンデルの音楽のもつ、人間のあらゆる感情、喜びや悲しみ、祈りや希望をストレートに伝える『真率さ』ではないだろうか。
 『メサイア』を何度も筆写するなど生涯を通じヘンデルを深く敬愛したベートーヴェンは、晩年の大作『荘厳ミサ』の総譜に《Von Herzen,Moge es wieder, zu Herzen gehen(心より出ず、願わくは、再び心へと至らんことを)》と記した。
 これこそまさにベートーヴェンが受けついだヘンデルの音楽の精神であり、『メサイア』と『第九』にともに流れる気高い理念でもある。」 【出典:公演パンフレット『野村あらえびすと「メサイア」』】

 ということで、今回は、名言というよりは、この名曲の中で歌われている歌詞の中から、印象的な言葉(全て聖書からの引用句)をご紹介します。

 「見よ、乙女が身ごもって、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」「『神はわれわれと共におられる』という意味である。」

 「闇の中を歩んでいた人々は、大いなる光を見た。死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

 「主は羊飼いとなって群れを養い、子羊たちを腕に抱き、懐に入れ、またその母羊を優しく導いて行かれる。
重荷を負うて苦労している者は、誰でも主のもとに来なさい。あなたがたを休ませてくださるだろう。主は柔和で謙遜な方だから、そのクビキを負って、主に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂は安らぎを得られよう。」「主のクビキは負い易く、主の荷は軽いからである。」 

 「見よ、これぞ世の罪を取り除く神の子羊。」

 「まことに彼はわたしたちの病を負い、わたしたちの痛みを担った。彼はわたしたちの罪のために傷つけられ、わたしたちの咎のために打ち砕かれたのだ。彼がみずから受けた懲らしめによって平和が与えれらた。」

 「そして、彼の受けた鞭の傷によって、わたしたちは癒された。」

 「見よ、これほどの痛みがあっただろうか。」

 「屠られ、その血によって神のためにわたしたちを贖う子羊こそ、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい。王座に座っておられるかたと子羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくあるように。」

…簡単な紹介しか出来ず、心中、とても残念の嵐なのですが、実際の演奏を生で聴いている最中、鳥肌が立ち続けるほどの、揺すぶられ放題でした。イエス・キリストの生涯が、人類とどのように関連づけられているのか、そのエッセンスを謳い上げる歌曲でもあり、内容は、かなり重く深いのですが、ハレルヤ・コーラスで一気に、心は高揚し、天高く舞い躍ります。年末の最中に、ふと逃避行したくなったら、心のシェルターとして大いに貢献してくれる、神秘的な空間のようなものかも…?

エーリヒ・フロムの言葉 第3弾

2013年12月19日 19時53分09秒 | 個人的名言集
自由からの逃走 新版
日高 六郎
東京創元社

フロムの遺産
Daniel Burston,佐野 哲郎,佐野 五郎
紀伊國屋書店

 今日も、第3弾ということで、エーリヒ・フロム氏の言葉を、少々長めですが、ご紹介したいと思います。前回と同様、『愛と性と母権制』から。

 「愛は常に、我々が愛するものの成長と生きていることに対する積極的な配慮であり、それ以外のものではありえない。なぜなら、生そのものは、成長、統一、統合の過程であり、生きているもの全てに対する愛は、この成長を更に促進したいという強烈な願いであるはずだからである。」

 「母性的なものの本質:‘胎児を育むうちに、女性は男性よりも早く、自らの自我の限界を超えて愛の配慮を他の存在に及ぼし、己れの精神に備わる一切の創造力を、異なる存在の養育や美化に発揮できるようになる。いまや女性を基点として文明化のあらゆる高揚は生まれ、女性を基点として生活におけるあらゆる善行、あらゆる献身、あらゆる養育、あらゆる死者への哀悼が生まれる’バハオーフェン『母権論』」

 「他者に対する愛、養育、責任意識、これが母親の創造するものである。母性的愛こそ、あらゆる愛とあらゆる利他主義が生まれるもととなる種子である。しかし、それだけではなく、母性愛を基礎として、普遍的人間主義が発達する。母親は子供を愛する。だがそれは、子どもが子どもなるがゆえにであって、子どもがあれこれの条件を満たしたり、期待に応えたりするが故にではない。子どもがあれこれの条件を満たしたり、期待に応えたりするがゆえにではない。」

 「母親は子供たちを分け隔てなく愛する。こうして、子供たちは、お互いが同等であることをしるようになる。それは、子供たちの中心的な絆が母親との絆だからである。
 ‘子を産む母性からこそ、あらゆる人間を兄弟姉妹とみなす普遍的な友愛意識が生まれる。だが、この意識及び承認は、父性の完成と共に滅び去る’
 母系中心的文化の根底にある原理は、自由と平等、幸福と生の無条件的肯定にある。」

… 母性賛歌のような言葉の羅列になりましたが、もうすぐクリスマスということで、聖母マリアの、普遍的な、全人類の母という、ほっくり温かなイメージを、ピックアップしてみるのも良いかなと思った次第です。
 クリスマスには、しっとりとした素敵なストーリーを、是非ご紹介したいと思っています。今日は、降雪があった地域もあったと思います。今年の聖夜は、ホワイトになるのでしょうか?

エーリヒ・フロムの言葉 第2弾

2013年12月18日 20時31分42秒 | 個人的名言集
自由からの逃走 新版
日高 六郎
東京創元社

評伝エーリッヒ・フロム
Gerhard P. Knapp,滝沢 正樹,木下 一哉
新評論


 今日も、エーリヒ・フロム氏のカチッとした言葉を、今回は著作『愛と性と母権制』からご紹介したいと思います。
 「自分が好きでない人、自分自身を認めていない人は、自分自身に関して、絶えず不安を感じている。本当に自分が好きであることと、自分自身を肯定することを基盤としてしか存在し得ない内なる安定がない。基本的に自分自身に安心と満足がないから、自分のことに貪欲にならなければならない。利己心やナルシズムは、自己愛の根本的欠如の過剰補償なのである。」

 「自分自身の血肉となっている思想を守るために、或いは、自分が愛している人の為に、自分の生命を投げ出す必要がある場合、この自己犠牲は自己肯定の極端な表現と言えるだろう。勿論、肉体的な自己の肯定ではなく、自分のパーソナリティ全体の核という意味での自己肯定である。この場合、犠牲自体は目標ではなく、自分自身の自己実現と自己肯定に対して支払われる代価なのである。」

 「民主主義が成し遂げていないことは、個人に自分自身を愛させること、すなわち、個人の知的・情動的・感覚的潜在能力の全てを使って、個人の自己に対する深い肯定感をもたせることなのだ。」

 「生は常に、団結し、統合しようとする。換言すれば、生は、必然的に不断の成長と変化の過程である。」

 「愛のアプローチは、力によるアプローチの逆である。愛は理解し、確信させ、鼓舞しようとする。そうすることで、愛の実行者は絶えず自分自身を変革してゆく。愛の実行者は、感受性が強くなり、よりよく観察し、より生産的になり、自分自身が大きくなる。愛は感傷や弱さとは無縁である。愛は影響を与え、変えていく方法であり、力の行使のような危険な副作用を伴わない。愛は、忍耐、内なる努力、そして何よりも勇気を必要とする。愛によって、問題を解決する道をとることは、挫折に耐え、敗北しても我慢し続ける勇気を必要とする。愛は力よりも潜在力に対する信頼を必要とする。」

 …実は、まだまだご紹介したい言葉があるので、また次回に第3弾をと考えています。
 自分自身を振り返ってみると、どうもバランスの悪い、自己評価に陥ってしまう傾向があるのですが、エーリヒ・フロム氏の人間分析力を、勝手ならが個人的解釈に転用させていただくと、均衡の取れた自己イメージを心の支柱にできる感じがします。自己満足ですが…。
 先ずは、この一年間の自分の歩んできた道筋を、自分自身がしっかり肯定してあげられたら、新年に向かって、清々しい年越しができそうですよね。

エーリヒ・フロムの言葉

2013年12月16日 18時10分11秒 | 個人的名言集
愛するということ
Erich Fromm,鈴木 晶
紀伊國屋書店

 今日は、いつもより硬目に、ドイツの学者エーリヒ・フロム()の古典的名著『愛するということ』よりご紹介します。
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm, 1900年3月23日 - 1980年3月18日)はドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。新フロイト派、フロイト左派とされる。 【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】

「成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間の中にある能動的な力である。人を他の人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人であり続けるというパラドックスが起きる。」

「生産的な性格の人にとっては、与えることは全く違った意味をもつ。与えることは、自分のもてる力の最も高度な表現なのである。与えるというまさに、その行為を通じて、私は自分の力、富、権力を実感する。この生命力と権力の高まりに、私は喜びを覚える。…与えるという行為が自分の生命力の表現だから。」

「愛の本質とは、何かのために『働く』こと、『何かを育てる』ことにある。愛と労働は分かち難い。人は、何かのために働いたら、その何かを愛し、また愛するもののために働く。」

「愛する人は、自分自身に責任を感じるのと同じように、同胞にも責任を感じる。」

「尊敬とは、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。…愛する人が、…その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願うこと。」

「『秘密』を知るためのもう一つの方法が愛である。愛とは、能動的に相手の中へと入ってゆくことであり、その結合により、相手の秘密を知りたいという欲望が満たされる。」

「成熟した人間とは、…純粋に生産的に活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人。成熟した愛は、『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』と言う。」

 「スピノザの言葉の引用:『徳と力とは、同じ一つのものであるという結論に至る。羨望、嫉妬、野心、貪欲などは情熱。愛は行動であり、人間的な力の実践であって、自由でなければ実践できず、強制の結果としては決して実践されえない。』」

 愛について、年末に改めて心に響かせておきたい、言葉の泉。個人的に、常に忘れずにいたいことは、「愛とは、愛する者の中に愛を生み出す力・愛する者の生命と成長を積極的にきにかけること。愛し合うということは、互いに相手の中に息づいているもの、芽生えているものを、心から喜び、それを互いに分かち合うこと。」という考え方です。ダイナミック且つ好循環なエネルギーを感じさせ、新しい年をイメージさせる勢いがあるように感じます。

パトリス・ジュリアンさんの言葉

2013年12月15日 18時07分44秒 | 個人的名言集
 今日は、パトリス・ジュリアン氏)の言葉をいくつかご紹介します。著作も、仏料理関連レシピ本を中心に多数あります。〈モロッコ生まれのフランス人。革新的な校風で知られるナンテールのパリ第10大学にて「コミュニケーション」を学ぶ。そこで習得したスキルは、後にフランス外務省の公務員としてフランス文化の普及という任務のために渡ったアフガニスタン、ポルトガル、タイ、そして日本の各国においても大いに発揮される。パトリスさんにとって人生の主たる目的は楽しむこと。そんな彼が自らの最初の本として選んだのは「フランス料理ABC」という料理本(文化出版局から1992 年に出版されたこの本は現在までコンスタントに増刷を重ねている)。まさにカリスマ的プロデューサーであるパトリスさんは常に新しいアイデアや新しいコンセプトを発信し続けている。プロデュースした製品、トークショーやワークショップ、また最近新たに開いた「ライフスタイル道場」などを通して、パトリスさんは物事を”雰囲気”というアングルから見つめることがいかに大切で必要であるかを説き明かす〉【出典:パトリス氏自身のブログのプロフィール】
フレンチスタイルのサンドイッチ―楽しい組合せでおいしいラッピング
Patrice Julien
文化出版局

物語の主人公になる方法―Special Edition
Patrice Julien,碓井 洋子
にじゅうに

生活はアート
Patrice Julien
主婦と生活社
シンプルで贅沢が心地いい。
Patrice Julien
主婦と生活社


「生活とは、僕達がそのディテールに注意を払ってさえいれば、一瞬ごとの時間がアーティスティックな喜びに満ち溢れたものになり得るものだということ。」

「僕は、本当の美しさとは、人にエネルギーを与えてくれるものだと思っている。本当の美しさとは、人間が根源的に持っているイマジネイションの泉から、自然に汲み上げられてきたものが形をとっている姿だと思う。加えていうならば、本当の美しさには『エゴ』がない。無名の職人の建てた田舎の農家が美しいのは、そこにその職人が存在せず、長い時間をかけて磨かれた伝統と技術のエッセンスだけが静かに輝いているから、農家は時を越えて普遍的に美しい。」

「あなたの心がしんと静かに澄んで、温かくなるもの、こと、場所を、沢山、沢山集めなさい。」

「あなたは、自分の役割(ミッション)に気が付かなくてはならない。大いなる力、いのちの光輝く泉は、あなたのオリジナリティの発現を待っている。なぜなら、この世界は『いのちが、様々な形で生きる』ことへの壮大な実験室だからだ。世界はいのちのそれぞれの独自性に常にOuiと答えている。」

「美しい言葉で夢を描こう。そこに、いつまでも消えてなくならない楽しさをプラスしたいのなら、ほんのちょっぴり、人のためになる要素を入れればいい。そして、自分の身の回りすべてに、注意深くなろう。あなたが五官を真剣にフル回転させて生活するほど、意味のある偶然(シンクロニシティ)が後から後から毎日の中に湧き出て来て、あなたが素晴らしいオリジナルの人生を送るための手助けをしてくれるはずだ。」

 …今年一年を振り返って、来年の抱負を少しずつイメージしていく中で、彼の言葉は大きなエールとなるような気がします。心の大掃除をしながら、しっかり新しいページにメモっておきたいと改めて思います。

苦しみについての名言

2013年12月13日 21時42分37秒 | 個人的名言集
ブラザー・サン シスター・ムーン [DVD]
グラハム・フォークナー,ジュディ・ボーカー,アレック・ギネス
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
ちびまる子ちゃんのヘレン・ケラー (満点人物伝/ちびまる子ちゃん)
関 宏之,宮原 かごめ,さくら ももこ
集英社


 今日は、今までとは違い、今日のテーマ「苦しみ」にまつわる言葉を、何人かの方々からご紹介します。

 八木重吉(詩人)「すべての苦しみの根源は、無条件に無制限に人を許すというその一念が消え失せたこと。」

 アッシジの聖フランシスコ(中世カトリック教会・男子修道会の創立者:現ローマ法王フランシスコ1世は、この聖人名からの呼称)「私たちが今、色々な苦しみに遭い、霊肉のあらゆる困難や悩みを忍んでいないなら、喜びは無いのだ。」

  ヘレン・ケラー「あらゆる種類の障害は、当人が自らを開発して、真の自由を獲得するように勇気づける為の、愛の笞ということになる。それらは、石のように堅い心を切り開いて、神からの高尚な贈り物を自分の存在の中から見つけ出すために、私たちに手渡された道具なのです。」

 苦しみと共に生きている方々は、周囲に沢山おられるのです。その苦しみを担い合うことが出来たら、その苦しみは、人と人とを結びつける絆になるような気がします。震災で、台風で、犯罪の被害で、病気で、怪我で、愛する人を失って…数え切れない程の苦しみが、どうか少しでも小さくなり、優しさで包み込まれますように…。