ヘンデル:メサイア(ハイライツ) | |
リヒター(カール),ヘンデル,オールディス(ジョン),ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,ビルグラム(ヘトヴィヒ),クラップ(エドガー) | |
ユニバーサル ミュージック クラシック |
ヘンデル:名曲集 | |
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昨日は、久しぶりに濃厚なクラシック音楽のチャリティーコンサート『第63回藝大メサイア演奏会』を聴きに出かけました。
年の瀬には、このヘンデルの『メサイア』とベートーヴェンの『第九』の2曲が、日本国内の至るところで、鳴り響きわたりますが、両者には深い結びつきがあることを、今回初めて知りました。
「…多くの青年たちの心を揺さぶった『メサイア』の魅力とは何だろうか。それは、ヘンデルの音楽のもつ、人間のあらゆる感情、喜びや悲しみ、祈りや希望をストレートに伝える『真率さ』ではないだろうか。
『メサイア』を何度も筆写するなど生涯を通じヘンデルを深く敬愛したベートーヴェンは、晩年の大作『荘厳ミサ』の総譜に《Von Herzen,Moge es wieder, zu Herzen gehen(心より出ず、願わくは、再び心へと至らんことを)》と記した。
これこそまさにベートーヴェンが受けついだヘンデルの音楽の精神であり、『メサイア』と『第九』にともに流れる気高い理念でもある。」 【出典:公演パンフレット『野村あらえびすと「メサイア」』】
ということで、今回は、名言というよりは、この名曲の中で歌われている歌詞の中から、印象的な言葉(全て聖書からの引用句)をご紹介します。
「見よ、乙女が身ごもって、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」「『神はわれわれと共におられる』という意味である。」
「闇の中を歩んでいた人々は、大いなる光を見た。死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」
「主は羊飼いとなって群れを養い、子羊たちを腕に抱き、懐に入れ、またその母羊を優しく導いて行かれる。
重荷を負うて苦労している者は、誰でも主のもとに来なさい。あなたがたを休ませてくださるだろう。主は柔和で謙遜な方だから、そのクビキを負って、主に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂は安らぎを得られよう。」「主のクビキは負い易く、主の荷は軽いからである。」
「見よ、これぞ世の罪を取り除く神の子羊。」
「まことに彼はわたしたちの病を負い、わたしたちの痛みを担った。彼はわたしたちの罪のために傷つけられ、わたしたちの咎のために打ち砕かれたのだ。彼がみずから受けた懲らしめによって平和が与えれらた。」
「そして、彼の受けた鞭の傷によって、わたしたちは癒された。」
「見よ、これほどの痛みがあっただろうか。」
「屠られ、その血によって神のためにわたしたちを贖う子羊こそ、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい。王座に座っておられるかたと子羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくあるように。」
…簡単な紹介しか出来ず、心中、とても残念の嵐なのですが、実際の演奏を生で聴いている最中、鳥肌が立ち続けるほどの、揺すぶられ放題でした。イエス・キリストの生涯が、人類とどのように関連づけられているのか、そのエッセンスを謳い上げる歌曲でもあり、内容は、かなり重く深いのですが、ハレルヤ・コーラスで一気に、心は高揚し、天高く舞い躍ります。年末の最中に、ふと逃避行したくなったら、心のシェルターとして大いに貢献してくれる、神秘的な空間のようなものかも…?