心の手帖…風通しの良い繋がりを求めて

心を精一杯広げて、現代社会を味わう方法を探していくために、心を整理する手帖のようになれば…

交通安全のクリスマス・プレゼント

2013年12月26日 13時09分56秒 | 日記
一日遅れましたが、Merry Christmas and Peace to all the people in the world!

今日は、先日カトリック教会の友人から教えていただいたお話をご紹介します。教会に伝わる伝説の中で、聖人伝というものがあり、その中のお一人の「聖クリストファー」という中世の人物が、実は、旅人や航海の守護聖人ということで、この方の像を見ると、「交通安全」の祈願が叶うということらしいのです。いわゆるサンタクロースも、カトリック教会の司教であった聖(サンタ)ニコラウスさんという人物がモデルであったように、カトリック教会の長い歴史の中には、様々な伝説が登場するのです。

 それで、私、車の免許を取得するのに、大変難儀しておりまして、やっと仮免が取れた際に、路上を技能教習で走ること自体が、ドキドキもので、早速この聖クリストファーさんの像が彫られたメダルを購入して、教会の神父さんにお浄めと祝福の祈りをして頂き、新しい年から、運転中はしっかり身につけることに致しました。
スターリング シルバー 聖 クリストファー メダル ピン
Goldia
Goldia
ゴールド-トーン & シルバー-トーン 聖 クリストファー キー Fob
Goldia
Goldia


 この「聖クリストファー」さんは、老人なのですが、大層腕力があり、大きな川を渡ろうとしていた、幼い頃のイエス・キリストを肩にかついで、渡りきったということから、「キリストを運ぶ者(クリストファー)」という名前がついたそうです。素晴らしく写実的な画像を見つけましたので、拝借致しました。

 
 伝説【昔、ラインの岸辺に大変力もちの子供がいた。勇者にあこがれた子供は、或る時、願い適って、偉い領主の家来になる事が出来た。ところが領主はサタンを恐がり、そのサタンに仕えてみると、なんと『十字』の人を恐れているのが分かった。それで、さらに『十字』の人を世界中に求めて彷徨ようが、遂に会う事ができなかった。
 やむなく、故郷の村に戻り、旅人を背負ってラインの激流を渡る、渡し守になった。
ある嵐の晩、小さな男の子がやって来て、対岸までお願いすると・・・。願いがあまりに切なので、ついに嵐の川を渡ることにして、男の子を背負って、川を渡り始めた。
 川の中程に達すると、急に男の子がものすごく重くなった。必死に激流を超えて、対岸に辿り着くと、男の子は夜明けの光の中で、『世界の重みを負ってくれたね』と嬉しげに、十字を切って、渡し守を祝福したと云う。
 男の子は幼児キリストであった。渡し守はキリストを負う者、クリストファーの名を与えられ、遂に『十字』の人に会えた喜びに身を打ち震わせて、立ったまま息絶えてしまったと伝えられている。】 【出典:ケルン旅行 クチコミガイド《ラインの守護聖人》】

 この年末年始、海外旅行や故郷に帰省される方々の道中のご無事、交通の安全を祈りつつ…

教会でのクリスマス・コンサート

2013年12月24日 10時11分22秒 | 日記
泉のほとり
インデーズ・メーカー
インデーズ・メーカー

ユーオーディア・クリスマス
(トラディショナル),Lewis Henry Render,アダン,フランツ・グルーベル,柳瀬佐和子,柳瀬佐和子,ユーオーディア・アンサンブル,井上とも子,工藤美穂,村上信晴,柳瀬洋,蜷川いづみ
インディペンデントレーベル


 今日は、ご縁のある教会での、ヴァイオリン+ピアノコンサートで、華々しい演奏を披露された蜷川いづみさんのことを、ちょこっとご紹介。
 クリスマスのシーズンにあって、恐らくプロの演奏家は、ひっぱりだこ状態だと思いますが、チャリティーコンサートは特に、演奏家の方々は、肩肘張らない、ご自分のお得意演目を楽しみながら、披露してくださる感じがします。特に、新人さんではなく、キャリアを積まれた方のプレイは、余裕があって、質実ともに満足感が濃厚で、私も久々に、心全体が音楽に酔いしれて、薄汚れていた心が徐々に純白に洗われていくにような、荘厳な響きに身をゆだねて、憩えるひと時を味わいました。
 そのヴァイオリニスト・蜷川いづみさんの持っている演奏家としての自信と美的感性・技術に合わせて、クリスチャンとしての真摯なまなざしが、一曲一曲に注がれていて、本当に、感動的な一体感に会場は包まれていました。
 
 クリスマスの定番的な曲目なのかもしれませんが、演奏曲目をご紹介:
 「ひさしく待ちにし~グリーン スリーブス~荒野の果てに」(クリスマス賛美歌)
 「主よ人の望みの喜びよ」(J.S.バッハ)
 「ヴァイオリンソナタ ニ長調作品9の3より」(ルクレール)
 「タイスの瞑想曲」(マスネ)
 「ツイゴイネルワイゼン」(サラサーテ)
 「O HOLY NIGHT」(アダン)
 「アメイジング・グレイス」《ゴスペルソング》…アンコールとして…

 生の演奏には、その演奏家のトークも入るので、本当にCDでは味わえない臨場感以上のものがあるので、また蜷川さんのステージでの演奏を楽しみにしたいと思っています。人間としての魅力を感じさせる演奏家という点で、彼女に出会えた昨晩は、本当に幸運でした。皆さんも、そんな出会いをどこかで、密かにご体験されているのでしょう。
 
 最後に、蜷川いづみさんの経歴をざっくりご紹介します

桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学卒業。同研究科終了。フランスへ留学。パリ・エコール・ノルマル音楽院にて高等演奏家資格を満場一致の主席で取得し、審査員賞を受賞。新日本フイルを経て、東京ユニヴァーサルフィルハーモニー管弦楽団コンサートミストレスとして活躍。現在、ソロ、アンサンブルを中心に国内外において幅広い演奏活動を行っている。クリスチャン音楽家によるユーオーディアアンサンブルの第一ヴァイオリニストとして8枚のCD、ソロアルバム《泉のほとり(2006)》、《泉のほとりⅡ(2012)》をリリース。レコード芸術誌に取り上げられ、好評発売中。日本福音キリスト教会連合つつじヶ丘キリスト教会所属。

 
 

クリスマス・ショート・ストーリー(後編)

2013年12月23日 05時00分00秒 | 物語
… さっそくですが、昨日のお話「クリスマス・プレゼント」の続きをどうぞ …

 人形を買うのに十分なお金がありました。いくらか、おつりが出るほどでした。
 「よかった!ぼくね、ママのためにもプレゼントを買いたかったんだ。ママは白いバラば好きだから。でも、そんなにたくさんのことを神様にお願いするのは、失礼だと思ってやめておいたの。神様は、ぼくの心の中もちゃんと分かっているんだね。神様は、ぼくに、この人形とバラを買うためにぴったりのお金を用意してくれがみたい。」
 数分後、先ほどの老婦人が戻ってきたので、わたしも自分の買い物かごを手にその場を離れました。わたしは、買い物を始めたときとはまったく違った気持ちで、買い物を終わらせました。
 帰りの電車に乗っていたとき、突然ふと、二日前の新聞記事がわたしの頭をよぎりました。その記事には、酔ったトラックの運転手が、小さな女の子とその母親を乗せた車をはねたことが書いてありました。女の子は即死、母親は病院に運ばれたが重体、とのことでした。母親は昏睡状態に陥っており、回復の見込みはまったくなく、家族は、彼女の生命維持装置を止めるか否かを、決めかねているとのことでした。
 男の子との偶然の出会いから二日後、わたしは新聞で、彼の母親が亡くなったことを知りました。わたしは何も考えずに家を出て、花屋に行き、白いバラの花束を買いました。そしてその足で、告別式が行われている場所へと向かいました。
 女性が、棺の中で、手に一本の真っ白なバラを持ち、小さな人形を抱いて横たわっていました。わたしは涙が止まりませんでした。
 それからというもの、わたしのクリスマスはまるっきり変わってしまったのでした。

 ……  …
 
 …いかがでしたでしょうか? 小さな男の子の純粋な兄妹愛がもたらした、日常を変えるドラマの一つです。最近、飲酒運転が原因の交通事故の生々しい映像を見る機会がありまして(教習所に免許を取りに通っているので……)、本当に身近に起こりえる悲劇であることを、運転スキルと共に、毎回意識付けされている感じがします。
 このような、大切な家族を失った痛い現実が、他人を感動させるほどにまで、美しい、汚れの無いシーンに変貌しうること。それが、クリスマス・シーズンの奇跡かもしれません。
 映画の中にも、クリスマスと絡めた素敵なストーリーがありますよね。次回にでも、ご紹介できたら…と思っています。


 …素敵な本のご紹介… 

クリスマスのものがたり (世界傑作絵本シリーズ―日本とスイスの絵本)
フェリクス・ホフマン,しょうの こうきち
福音館書店

紙でつくるクリスマス・オーナメント (ペーパークラフトしかけえほん)
キャロライン ヨハンソン,Hannah Ahmed,Caroline Johansson,上野 和子
大日本絵画

クリスマス・ショート・ストーリー(前編)

2013年12月22日 20時00分36秒 | 物語
 
【カトリック河原町教会(京都)の降誕祭のオブジェ】 

 今日は、『クリスマス・プレゼント』というショート・ストーリーを、クリスマス特集のブックレットから見つけ、ちょこっとしんみり、透き通った気持ちになったので、ご紹介します。
 【出典:「クリスマスの光」ドン・ボスコ社刊(2006.8.29)】


 クリスマスまであと一日という日、わたしは前もって買っておかなかったクリスマスプレゼントの買い物を済ませるために、デパートへ急ぎました。
 デパートでおしあいへしあいプレゼントを選んでいる人々を見たとき、わたしはとてつもなく惨めな気持ちになりました。それでもわたしは何とかおもちゃ売り場にたどり着き、値段を見比べながら、「こんな高いおもちゃを買ったところで、子どもたちはいつまでこれで遊ぶかしら」と、ひとりごとを言っていました。
 ふと、視線を下げると、同じおもちゃ売り場の片隅に、五歳くらいの小さな男の子が、人形を胸に押しつけて立っていました。
 男の子は、人形の髪をなでながら、悲しそうな顔をしています。
 男の子は、隣にいる老婦人の方を振り向いて、こう言いました。「ねえ、おばあちゃん、本当に、ぼくのおこずかいでじゃあ足りない?」
 おばあさんは答えました。「さっき数えてみたでしょう。残念だけど、足りないのよ。なぜ、そんな、女の子のおもちゃにこだわるの。」
 それから、おばあさんは、他の用事をしてくるから五分くらいここでじっとしていなさい、と男の子に言ってその場を離れました。男の子はまだ人形をしっかり握りしめています。
 わたしは、その子に近づき、「この人形、どうするつもりだったの?」と聞きました。
 「これはね、ぼくの妹がすごく気に入っていた人形なの。妹は、今年のクリスマスにこの人形がほしいって言ってた。サンタクロースがこの人形をくれるのを楽しみにしていたんだ。」
 そこで、わたしは「それなら心配しなくても、きっとサンタさんが届けてくれるわよ。大丈夫」と男の子に答えました。
 ところが、その子は悲しそうにこう言うのです。「ううん。今年はきっとサンタさんも妹にプレゼントを届けることはできないよ。妹が今いるところじゃ無理なんだ。だから、ぼく、この人形をママに渡して、妹のいるところにまで持っていってもらうんだ。」そう言いながら、男の子は今にも泣き出しそうでした。
 「ぼくの妹はね、今、神様と一緒にいるの。パパが、もうすぐママも神様に会いに行ってしまうって言ってた。だからね、この人形をママに渡せば、妹に届けてくれると思うんだ。」
 わたしは心臓が止まるかと思いました。
 男の子はわたしを見上げ、言いました。「ぼく、ママに、『まだ行かないで』って言ってからここに来たんだ。ぼくがデパートから戻るまで、行かないで待っていてねって。」
 そして再び男の子は、手に持った人形を悲しそうに見つめました。
 わたしはすかさず自分の財布に手をやり、いくらかのお金を取り出しました。そして男の子に言いました。「もう一度だけ、調べてみようか?本当にお金が足りないかどうか、私と一緒に数えてみない?」「うん。足りるといいなあ。」
 わたしは、彼にばれないように自分のお金をこっそり加え、数え始めました。

 …… 続きはまた明日 …

G.F.ヘンデル作曲「メサイア」の響き

2013年12月21日 21時06分17秒 | 個人的名言集
ヘンデル:メサイア(ハイライツ)
リヒター(カール),ヘンデル,オールディス(ジョン),ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,ビルグラム(ヘトヴィヒ),クラップ(エドガー)
ユニバーサル ミュージック クラシック
ヘンデル:名曲集
WARNER
WARNER

 
 昨日は、久しぶりに濃厚なクラシック音楽のチャリティーコンサート『第63回藝大メサイア演奏会』を聴きに出かけました。
 年の瀬には、このヘンデルの『メサイア』とベートーヴェンの『第九』の2曲が、日本国内の至るところで、鳴り響きわたりますが、両者には深い結びつきがあることを、今回初めて知りました。

「…多くの青年たちの心を揺さぶった『メサイア』の魅力とは何だろうか。それは、ヘンデルの音楽のもつ、人間のあらゆる感情、喜びや悲しみ、祈りや希望をストレートに伝える『真率さ』ではないだろうか。
 『メサイア』を何度も筆写するなど生涯を通じヘンデルを深く敬愛したベートーヴェンは、晩年の大作『荘厳ミサ』の総譜に《Von Herzen,Moge es wieder, zu Herzen gehen(心より出ず、願わくは、再び心へと至らんことを)》と記した。
 これこそまさにベートーヴェンが受けついだヘンデルの音楽の精神であり、『メサイア』と『第九』にともに流れる気高い理念でもある。」 【出典:公演パンフレット『野村あらえびすと「メサイア」』】

 ということで、今回は、名言というよりは、この名曲の中で歌われている歌詞の中から、印象的な言葉(全て聖書からの引用句)をご紹介します。

 「見よ、乙女が身ごもって、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」「『神はわれわれと共におられる』という意味である。」

 「闇の中を歩んでいた人々は、大いなる光を見た。死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

 「主は羊飼いとなって群れを養い、子羊たちを腕に抱き、懐に入れ、またその母羊を優しく導いて行かれる。
重荷を負うて苦労している者は、誰でも主のもとに来なさい。あなたがたを休ませてくださるだろう。主は柔和で謙遜な方だから、そのクビキを負って、主に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂は安らぎを得られよう。」「主のクビキは負い易く、主の荷は軽いからである。」 

 「見よ、これぞ世の罪を取り除く神の子羊。」

 「まことに彼はわたしたちの病を負い、わたしたちの痛みを担った。彼はわたしたちの罪のために傷つけられ、わたしたちの咎のために打ち砕かれたのだ。彼がみずから受けた懲らしめによって平和が与えれらた。」

 「そして、彼の受けた鞭の傷によって、わたしたちは癒された。」

 「見よ、これほどの痛みがあっただろうか。」

 「屠られ、その血によって神のためにわたしたちを贖う子羊こそ、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい。王座に座っておられるかたと子羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくあるように。」

…簡単な紹介しか出来ず、心中、とても残念の嵐なのですが、実際の演奏を生で聴いている最中、鳥肌が立ち続けるほどの、揺すぶられ放題でした。イエス・キリストの生涯が、人類とどのように関連づけられているのか、そのエッセンスを謳い上げる歌曲でもあり、内容は、かなり重く深いのですが、ハレルヤ・コーラスで一気に、心は高揚し、天高く舞い躍ります。年末の最中に、ふと逃避行したくなったら、心のシェルターとして大いに貢献してくれる、神秘的な空間のようなものかも…?