昨日は、奈良県吉野の浄見原神社(きよみいはらじんじゃ)での国栖奏(くずそう)やった。
一夜酒、腹赤の魚(うぐい)、栗、根ゼリ、アカガエルが供えられ『エンエー』と歌いながら舞うんです。と、それを見に行ったわけではないんです。もちろん『アカガエル』です。以前は、ちゃんと『何かえる』か見ることができたんですが、この2~3年、細かい目のザルで逃げないようにかぶせてあるので確認がしにくく見に来た人は『ダルマガエルや』なんて好き勝手言うてましたね。
実際、誰もが『アカガエル』としか見てなかったけど、みんなが帰ったあと無理言って見せてもらうと大きさ、腹部の模様、背測線をみるとどうもヤマアカガエルではないかと考えられる。
さて、 碓井 益雄氏の『蛙 (ものと人間の文化史)』でも紹介されているが関西地方特にこの地方では『蛙(毛彌)もみ』が貴重なタンパク源としていた時代に大事な人へのもてなしに出し、蛙がないと美味くないところから毛彌がない→『もむない』と表現されたと言われている。最近ではあまり使われない方言になってしまったが、幼少のころ大阪でも不味い事を『もむない』と使っていたし白身で鳥のささ身より美味いのは確かである。
一夜酒、腹赤の魚(うぐい)、栗、根ゼリ、アカガエルが供えられ『エンエー』と歌いながら舞うんです。と、それを見に行ったわけではないんです。もちろん『アカガエル』です。以前は、ちゃんと『何かえる』か見ることができたんですが、この2~3年、細かい目のザルで逃げないようにかぶせてあるので確認がしにくく見に来た人は『ダルマガエルや』なんて好き勝手言うてましたね。
実際、誰もが『アカガエル』としか見てなかったけど、みんなが帰ったあと無理言って見せてもらうと大きさ、腹部の模様、背測線をみるとどうもヤマアカガエルではないかと考えられる。
さて、 碓井 益雄氏の『蛙 (ものと人間の文化史)』でも紹介されているが関西地方特にこの地方では『蛙(毛彌)もみ』が貴重なタンパク源としていた時代に大事な人へのもてなしに出し、蛙がないと美味くないところから毛彌がない→『もむない』と表現されたと言われている。最近ではあまり使われない方言になってしまったが、幼少のころ大阪でも不味い事を『もむない』と使っていたし白身で鳥のささ身より美味いのは確かである。
多分、お酒なんかと同様、毒線を持つ物や、覚醒作用を持つ物、そして覚醒時に発現する(見えるといわれている)蛇は古い神事には欠かせないんでしょうか。
忌み嫌われるものは、神事に欠かせないものなんでしょうね。