一番の曲者だと書いた叔母は
父親の9人兄弟の一番下で
私と5才しか年が離れていません。
小さい頃はよく泣かされました。
幼心によく覚えています。
元ナースの叔母
保育園に入れるまで
子供二人とも母がみていました。
誰のお陰で定年まで仕事を続けられたか
この人は分かっていません。
母の葬儀で骨を拾う時
叔母は笑っていたそうです。
母の兄弟達がそれを見ていて
死んでも許さないと
私に悔し涙を見せました。
母が亡くなる少し前から
この叔母と母はゴタゴタしていて
叔母の旦那さんが母の病院に来た時
(本人は来ていません)
母は見舞金も断ったそうです。
そんな事が母の死で
叔母を笑顔にしたのでしょうか。
元々大嫌いな叔母
葬儀の時の話を聞いてから
私は叔母を無視しました。
法事の時も相手にわかるよう
無視しました。
その頃父は生きていたので
自分の妹である叔母への私の態度は
父にとってはきっと悲しかったでしょう。
それでも母と母の兄弟たちが不憫で
私はそうせざるをえませんでした。
この叔母と再び関わるようになったのは
父が突然がんを宣告され
入院してからでした。
余命いくばくもない父に対して
「兄ちゃんは話し声が大きいから
見舞いに行っても恥ずかしい」
信じられない叔母の言いようでした。
「あんたが人を非難する時の声は
もっとでっかいで」
思わずそんな言葉が出そうでした。
父は耳が遠くなっていたので
発する声も大きくなっていたのです。
元ナースです 何度も言いますが。
叔母の呆れたエピソードは
山ほどありますが
もうやめときましょうね。
身内の身内による悪口は
見苦しい 聞き苦しいですよね。
普段の私の頭の中には
全くないのですが
叔母の登場は私をとたんに
昔に引き戻し
恨みつらみを語らせます。
自分自身とてもいやな気分になって
せっかくの日々を損したような
気持ちになってしまいます。
小さな頃から嫌いだった叔母
これからもずっと嫌いであろう叔母。
あんな人間にだけはならないよう
よい見本にしたいと思っています。
長くなってしまいました。