gooブログ<大分北部~東部海岸をめぐるカヤッククルーズ>

古から南蛮貿易で海外文化を齎した大分の海(瀬戸内の豊前海~別府湾~豊後水道~日向灘)をカヤッククルーズで紹介します。

>H28.5 豊後水道横断Ⅱ(蒲戸~日振島往復)クルーズ

2016-05-20 17:45:42 | カヤッククルーズ







 例年5月は、天候が安定してクルーズに最適な時期でもある。今回のクルーズは豊後水道を挟んで
お向かいの愛媛県宇和島市にある”日振島”とした。

5月18日(水)7:30頃、久し振りに蒲戸漁港を訪ね地元の漁師さん(河野さん)に再会した。
漁港でいつものように網の手入れに忙しそうであったが、挨拶をするとたちまち話が盛り上がった。
え、何かい今日も”水ノ子”・・・、いや、今日は”日振島”なんですが、風は・・・波は・・・
うーん、この時期、今の時間はこんな風でも(北西の山風3~5m)温度があがってくるとピタッと
止む・・・”水ノ子”先までは(波高は)1.5m位かな・・・
へえーっ・・・”日振島”なー・・・、行ってみりゃいいが。
片道30kmで、うまくいって夕方帰って来れれば最高。・・・これは片道5時間で10時間漕ぎっ
ぱなしが実現できたときの話であるが、これまでの経験を振り返る。
・・・最初の”姫島”、次に”佐田岬”・・・似たような行程であったが、死ぬほどきつかったこと
等は思いつかない。あのときも行けた・・・気持ちを後押しするだけの記憶だけが浮かんでいた。

”蒲戸埼”を越えると横(北西)からの風が強い・・・。沖の方は・・・と見るが白波が立つまでは
ない。行けるとこまで行って、危ないときは引き返そう・・・。

しばらくすると横風は弱まったが、”豊後水道”の潮流に絡むうねりと波が出てきた。やはり1.5
mはある・・・。もうしばらくすると右方向に”水ノ子島灯台”が見えるはず・・・であるが、点が
姿に変わるまでそれなりに時間は掛かった。
丁度その”水ノ子島灯台”の前後を大型船が往来する。灯台の位置で、目的とする”日振島”までの
半分は来ているはず・・・時計は11:30・・・。”日振島”はまだまだ霞んでいる・・・。

”日振島”が視認できるようになって、その後徐々に島の姿が大きくなっていく・・・。
島の近景を撮影できる地点で15:00。この時点で、今日の内の帰着は諦めて島の左手・能登側か
ら岩場の海岸を漕いでみたが、意外と潮の流れが速い。満潮18:00として満ち潮の流れ込み真っ
最中なのだ。浅瀬に艇を進め、無駄な力を使わないようにする。能登から明海に至る中間が入江的に
なっているが、艇の5m先で海面が盛り上がる・・・。イルカか、スナメリかと思っていると特徴的
な口がプカッと海面上に出てきた。巨大なエイが浅瀬で(プランクトンやコイワシの群れを)餌取り
の最中だったようだ。

 ・・・この”日振島”、戦国時代薩摩の島津勢が陸路豊後府内への侵攻を進めたが、若林鎮興(し
げおき)の率いる大友水軍(=海部(臼杵、津久見、佐伯等)水軍と浦部(国東等)水軍等)はこの
宇和島・”日振島”沖合戦等で島津の水軍を打ち破り、豊後水道の制海権を譲ることはなかったとい
われている歴史的な海域でもある。今、その”日振島”を目の前にして、当時の厳しい海兵戦・・・
そして”兵どもが夢の跡・・・”の絵巻が脳裏に浮かんでいた。

”有明”近辺の岩場に上陸し、誂えたように平らな大岩の上で寝袋に包って一夜を明かし、翌朝早々
に帰路出艇。”水の子灯台”先の貨物船等航路ではかなりの船舶とのやり過ごしが生じ、時間と体力
を使ったが、12:30には佐伯・”蒲戸”漁港に帰着した。
いつもお世話になる地元の河野さん、そして吉田さん、またしてもさりげなく港でお声掛けいただき
有難うございました。今年一番のカヤッククルーズ、無事完了です。



>蒲戸埼から出艇時の景観










>岬から先では早速北西の風の洗礼を受ける






>右手方向に”水ノ子島灯台”を見る位置に来た


>宇和島側は霞んで見えない






>右手に”御五神島(おいつかみしま)”と中央に横広く”日振島”


>”御五神島(おいつかみしま)”遠景


>”日振島”遠景






>日振島(能登方面)の遠景


>日振島(明海方面)の遠景


>日振島(能登方面)の近景


>日振島(明海方面)の近景


<日振島(明海方面)から横島の近景


>上陸地点(明海)の景観




>蒲戸特産の見事なイセエビ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿