毎日2回、朝と夕方30分間のフルフィルトメント瞑想。
週3回、毎回1時間2回のOSHOのアクティブ瞑想。
月2回、毎回25分2回の座禅と読経の日曜座禅会。
最近の瞑想な日々です。
瞑想を意図し、目を閉じると体が反応します。
まず、全身にしびれが走ります。
それはちょうど、何かに感動したときに、全身に走るゾワゾワとしたものと同じです。
そして、静かに「内」に入っていきます。
瞑想は静かな時間を創ります。
思考と感情から離れてそれを観察しています。
『わたし』をみています。
「すべて」が『わたし』に帰っていきます。
関わる「すべての人」。目の前に表現されている「すべてのもの」。
「すべての出来事」。「すべての現象」。
そのすべてが『わたし』です。
存在者としての『わたし』は不滅です。
存在は確固としたもので、揺るぎのないものです。
映画のスクリーンに映し出される映像がどんなに悲惨でも、どんなに激しい災害でも、
その火災がスクリーンを燃やすこともなく、その嵐はスクリーンを濡らしさえしません。
スクリーンが映像に影響されないのと同じように、
存在者である『わたし』は現象(目の前の出来事)に影響されません。
気づきがやってきます。
「内」に入り静かにいると彼方よりやさしい「間」がやってきます。
瞑想な日々での起こっていることです。
ありがとうございます。
藤本久
週3回、毎回1時間2回のOSHOのアクティブ瞑想。
月2回、毎回25分2回の座禅と読経の日曜座禅会。
最近の瞑想な日々です。
瞑想を意図し、目を閉じると体が反応します。
まず、全身にしびれが走ります。
それはちょうど、何かに感動したときに、全身に走るゾワゾワとしたものと同じです。
そして、静かに「内」に入っていきます。
瞑想は静かな時間を創ります。
思考と感情から離れてそれを観察しています。
『わたし』をみています。
「すべて」が『わたし』に帰っていきます。
関わる「すべての人」。目の前に表現されている「すべてのもの」。
「すべての出来事」。「すべての現象」。
そのすべてが『わたし』です。
存在者としての『わたし』は不滅です。
存在は確固としたもので、揺るぎのないものです。
映画のスクリーンに映し出される映像がどんなに悲惨でも、どんなに激しい災害でも、
その火災がスクリーンを燃やすこともなく、その嵐はスクリーンを濡らしさえしません。
スクリーンが映像に影響されないのと同じように、
存在者である『わたし』は現象(目の前の出来事)に影響されません。
気づきがやってきます。
「内」に入り静かにいると彼方よりやさしい「間」がやってきます。
瞑想な日々での起こっていることです。
ありがとうございます。
藤本久