先日こちらのブログ記事にて告知しましたように、アートフェスタ2018を振り返る座談会を更新します。
某日某所で行われた座談会、参加者は
的場院長
上原アートフェスタ実行委員長
また一般来場者目線として、時々登場予定の関東福祉車両・野口氏(part2以降登場予定)
そしてブログ管理人、平井
以上4名にて「寒い夜に熱いトーク」を展開しました。
その第一弾!
では、開幕です。
【平井】アートフェスタ2018を上原さん振り返ってみてどうでしたか?
【上原】アートフェスタって、院長とか実行委員の上原が勝手にやっているっていう認識でいたかも知れないけれど、または一部の患者さんが乗り気になってきたと云う院内での印象で、まだ多くの患者さんが参加していないイベントだという認識もあったと思うんですよ。
これは全くの私感ですよ、僕の。それが段々少しずつ前進してきたかなと思っています。
まだ完成形じゃないけれども、6年前に比べたら全然変わってきてるなと云う印象を僕はもっています。
【平井】そもそも上原さんは何年から病院に来られてるんですか?
【上原】2011年ですね。
安彦先生つとの繋がりで言うと、僕の父親が安彦先生と学生時代お付き合いがあって。先生自体も沖縄に来ることが多くて、そういうご縁があって。それで僕は美大の学生時代からこういう人がいるんだっていうのは分かっていたんで、父親がいつか会わせてやるからなと言っていたんだけれども、まあ会えないでいたんですよ。
で、八王子の展示を見に行った事でお会いする事ができたんです。
それでその時に袋田病院のデイケアの人たちとも出会って。
結局安彦先生、袋田病院、そして僕が繋がってたということですかね。
【的場】スタッフが上原くんの芸術家としての才能とか実績とかそういうものを評価できるはずもないわけですよ、我々は医療福祉に携わる者で芸術のプロではないわけだしね。
ただスタッフが是非彼をと言ったのは、患者さんと接する自然な姿勢がね、一緒にやって行ってきたいと云う思いを持たせたんだと思うんだよ。
【平井】先日上原さんにインタビューさせて頂いた時に「袋田病院の患者さん」「袋田病院に通っている人」っていう呼ばれ方をされてしまう事に抵抗がある。そう仰っていて『この人は真摯に患者さんと向き合って接しているんだな』って感じたんですよね僕は。
【的場】どこか安彦先生と通ずるものがある、と言うか安彦先生の影響もかなり大きいと思うよね。
【平井】精神科に勤めてて職業的に患者さんを見てしまうこと多いと思うんですよ、正直な話。ところが、ただ「一人の人」として上原さんは見ている、そう僕は感じたんですよね。
それから上原さんと当院スタッフが出会い、当院に是非となった辺りをう詳しくお聞きかせ下さい。
【的場】それはデイケアのスタッフが、渡邉慶子辺りが中心となってね。
月に1度の安彦先生だけでは発展していかないと感じていて、もっと日常的に活動をやっていかないとどうしても「ある限界」と言うか、「展開」ができない。
で、上原さんをスタッフに迎えたいとスタッフから上がって来たという事はさっき話した事だけど、僕自身は上原君を雇うことには抵抗なかった。
だってこういう出会いという事自体そうそうある事ではないからね。
【上原】袋田病院のここが面白いっていうのは初見で分からないわけだから、月に何回か来てねっていうことだったんで、震災直後っていうこともあって病院自体も機能しきれていない時期だったので、お互い探り合いながらやってきたわけですよ、それがだいたい1年ぐらい続いたんですかね。
【平井】アートフェスタは上原さん来てから始まったんですか?
【的場】これは歴史的な話なんだけれども、病院で毎年お祭りをやっていたのね、前理事長の粉川先生時代から。ところがそれ自体(院内でのお祭り)を何となくやる意味と言うか勢いと言うか・・・病院自体がね、「もうそれはちょっとやれないよね」と云う雰囲気になった時があった。
そこで西川さんというアートセラピストの方が当時病院にいて、彼女が中心となって病院のお祭りを「ちょっと規模が小さくはなるけれどやろうよ」と継続してくれた。
そういう流れで初めて彼女が病院のお祭りをアートフェスタと名付けたんだよ。多分2年くらいこの形でやってたと思う。
今まで病院でやってたお祭りを土台にして、新たにアートを組み合わせた形で「もう1回やろうよ」と、そういうところからがアートフェスタの始まりなんだよね。
だから最初の年はまだ僕がお好み焼き焼いたりね、過去のお祭りの名残というのかな。
その数年後からは上原君は造形教室やっていて、さらにある程度既にアートフェスタという土壌があったから、西川さんが残していったアートフェスタと云う途切れそうになったお祭りをね、彼が繋いでくれたって言うことなんだよね。
そこで「まずは一回取り敢えずやってみよう」と云う事になったんだよね、それが2013年。
【平井】僕は参加って言うか初めてアートフェスタを見学に行った時に、「精神病院」に外部から人を招くということがすごく驚きだったんですよね。
【的場】近くにある久慈川荘という老人施設があるんだけれども、日頃の感謝も込めて地域の人を呼んでね、ビール飲み放題にするとかそういう催しはやってるんだよね。
病院のお祭りとして全国の精神科の病院が年に1回くらい比重がどうであれ患者さんに楽しんでもらうために、または地域のためにそういう形で開いているということ自体はそんなに珍しくはなかったと思うよ。
でも、従来の精神科病院というのは外部から人が来る呼ぶという事を拒んでいないまでも、積極的にアナウンスはしてなかったのかな・・・。
また大子にね特別支援学校っていうのがあるのだよね。そこは年に1回地域に開くんだけれどもその時に職員とかご家族がいっぱいお店出すわけよ、ありきたりかもしれないけれど 焼きそばであったりとかね。
でも生徒たちで何かを作るって言うのは、なかなか支援学校だからできないところもあるんだろうけど、例えばカレンダー作って出すとかね、そういう活動はしているわけ。
それから大事なところが、「学校を開放して全部見せる」ということをずっと支援学校もやっているのよ。だからそういう意味では「じゃあ我々のアートフェスタと何が違うの?」って思うわけ。すぐ近くにある久慈川荘という施設も地域の人を呼んで招待してるわけじゃない。だから我々のやってることと何が違うの?って。
【平井】精神科に外来者を入れるということ自体が、くどいようですけど驚きだった。家族ならまだしも。
まして保護室まで見せると言うのが、ちょっとだけ精神科病院に勤めていた事のある人間だからこそ驚きがあった
【上原】それを打ち出したのが的場院長ですよね
【的場】今でこそ随分抵抗なく、見せることが当たり前になってるけれど、まあそれでも最初の一年目は「あの保護室を見せる」というのは、やっぱり自分たちの中にも葛藤はあるよね。
【平井】いやあると思いますよ
例えば30年くらい前の感覚で言ったら、保護室で看護者がどういう対応してきたか、その事を話題にしたくない思い出したくないっていう思いが僕の中にあって。それくらい昔の精神病院には酷い部分があった・・・だから公開すること自体がちょっと驚きだったんですよ。
【的場】だから僕の中にもそれがあって「お前らそんなひどいこと」していたのか「こんなことをやっていたのか」とか、言われるかもしれないと思った。
保護室を「見せる」となった時にやっぱりそういう思いはあったよね。今となったらそんなこと思わなくても良かったんだなって思うけど。
「お前らそんなひどいことしていたのか」「こんなことをやっていたのか」それは外からの声としてもあるけれど、僕らの中にもあるんだよね。であれば「自らの中にある声とどう向き合うか」。それをしっかり見つめなおすためにも隠さず外に出していこうと考えたんだよ。
上原君3日間くらい保護室に入ってもらった事があって。
どうでした?
【上原】どういう感じか・・・アートをそこに持ち込むにはという視点でだったんですけど、そうですね、あれはあのまま見せてもインパクトがあるわけですよね、保護室という空間は。「ここに人がいたんだ、ここに生活があったんだ」という場所に・・・多分下手にアートというモノを入れるとリアリティから大きくかけ離れてしまうかもしれない。
アートが余計な装飾になってしまう可能性がありますよね。
【的場】でもこの問いはさ、すごい大事な事だと思う
広島の原爆ドーム行ったり平和記念公園や資料館行くとね、放射能で曲がったガラスとか亡くなった方の衣服がある。つまり圧倒的なリアリティそのものがそこにある。
でも一方である画家が原爆の絵画とかあるいは漫画でとかね、圧倒的にリアリティがあるものがありながら、そこになぜ人が表現と云うものをそこに入れるのかというのか?って思うわけですよ。だって圧倒的なリアリティの前に表現なんていらないじゃない。
【上原】まあだから保護室を見せるというのは本当はそのまんま、その方がインパクトあるのかなっていう気がしないでもないです。そう思う一方そうじゃない、そうじゃないかも知れないという思いもある。
【的場】そうだね、そうじゃないかも知れないと云うところが一番アートフェスタのポイントなんですよ。あれを敢えてあのまま見せない意味というのがあるわけですよ。
圧倒的リアリティを求めるんであれば、あれはあのまま見せればいいわけで。
【上原】今回はそのまま見せるというよりは、今回が入って右側に折り紙。ぱっと見た感じでは何か判らないけれども、折り紙がある。ぐちゃぐちゃに見えるかもしれないけれども相当な時間をかけて利用者さんが折った折り紙。
これだけ作るのにどれだけ時間を掛けたんだという、そういう時間的な事と「保護室で一人」折るという事を見た人が感じたかという・・・。
【的場】でそこがさ、例えば保護室をそのまま何もしないで見せた時に、それを見た人たちが感じる 思いとかがそれぞれにあると思う。
しかしアートというフィルターを掛けると、ひょっとしたらフィルターをかけられたことである種のやっぱり制限と言うか、理屈で言えばだよ、生まれる可能性があるわけだよね。
それはどうなの?
【上原】それはあると思います
【的場】それでもアートをするということは何なんですか?
【上原】さっきの漫画の件じゃないですけど、その漫画読まないと原爆ドームに行かないことも考えられるわけですよね、入り口としてですよ。だから0ではないと思いますよ。
さらにアートを通じて想像力が広がるということはあると思ってます。
理屈じゃなくて感覚的に思うところはあるのではないかなと。
【的場】それともう一つはね、保護室をそのまま見せるというのは楽なんですよ。あのディープな空間をどう見せるかってすごい大変。
だけどそれをそのままに見てもらえればいいんだけど、見てもらうだけになっちゃったら、ただ楽をしちゃうだけになるよ。
あの保護室での体験は何だったのか。
アートをするのであればアートをそこに入れるんだっていうことで、自分があそこでどんなことを感じ考え何をしてきたのか、それをもう1回問わなければいけないんですよ。
「そのままのがインパクトあるよね」ってなってしまったらつまらない。そのまま見せるだけなら。
つまりそこをアートするというのは見る側がどう見るのか、そういう視点もあるけれど見せる側があそこの体験がなんだったのかっていうのを、1回ちゃんと問わないといけないんだよ。そういう意味で見せる側にも意味がある。アートをするっていうことはね。
僕はそう思っている。
【平井】例えば上原さんが言うように漫画を読んで終わる人と、漫画を読んだが故にその場所行ってみようと思う人もいるわけですよね、それはすごく解り易いですよね。
【的場】でもね誰もが保護室をアートしきれないんですよ。
場所が強いところだから、ものすごく大変。
実は、だからそういう意味もあって、あそこに一番関わったのは看護部なんだよね。
あの保護室体験を看護部が表現する場にね挑戦して欲しいと思っている。
まあ昼夜問わず関わって患者さんの叫ぶ声、あの中から叩く音。
それをね身近に感じてたのが看護部だものね。
だから僕はね、これまで一歩一歩進んできているそれは確かにそう。でも前に会議で言ったんだけど、いずれアートフェスタは行き詰まるかも知れないという危機感を感じているって。
やっぱりそこはシンボリックな場所、保護室の体験その意味合い、苦しい悲しい怒りいろんなこと 、僕はねとにかくアートフェスタの中で最もコアな部分は保護室だと思う。僕はあんまりこういうことを普段言わないんだけど。
アートフェスタの核心部分は、僕にとっては保護室なんですよ実は。
上原君の視点からしたら違うと思いますよ、芸術家だからね。
つづく
某日某所で行われた座談会、参加者は
的場院長
上原アートフェスタ実行委員長
また一般来場者目線として、時々登場予定の関東福祉車両・野口氏(part2以降登場予定)
そしてブログ管理人、平井
以上4名にて「寒い夜に熱いトーク」を展開しました。
その第一弾!
では、開幕です。
【平井】アートフェスタ2018を上原さん振り返ってみてどうでしたか?
【上原】アートフェスタって、院長とか実行委員の上原が勝手にやっているっていう認識でいたかも知れないけれど、または一部の患者さんが乗り気になってきたと云う院内での印象で、まだ多くの患者さんが参加していないイベントだという認識もあったと思うんですよ。
これは全くの私感ですよ、僕の。それが段々少しずつ前進してきたかなと思っています。
まだ完成形じゃないけれども、6年前に比べたら全然変わってきてるなと云う印象を僕はもっています。
【平井】そもそも上原さんは何年から病院に来られてるんですか?
【上原】2011年ですね。
安彦先生つとの繋がりで言うと、僕の父親が安彦先生と学生時代お付き合いがあって。先生自体も沖縄に来ることが多くて、そういうご縁があって。それで僕は美大の学生時代からこういう人がいるんだっていうのは分かっていたんで、父親がいつか会わせてやるからなと言っていたんだけれども、まあ会えないでいたんですよ。
で、八王子の展示を見に行った事でお会いする事ができたんです。
それでその時に袋田病院のデイケアの人たちとも出会って。
結局安彦先生、袋田病院、そして僕が繋がってたということですかね。
【的場】スタッフが上原くんの芸術家としての才能とか実績とかそういうものを評価できるはずもないわけですよ、我々は医療福祉に携わる者で芸術のプロではないわけだしね。
ただスタッフが是非彼をと言ったのは、患者さんと接する自然な姿勢がね、一緒にやって行ってきたいと云う思いを持たせたんだと思うんだよ。
【平井】先日上原さんにインタビューさせて頂いた時に「袋田病院の患者さん」「袋田病院に通っている人」っていう呼ばれ方をされてしまう事に抵抗がある。そう仰っていて『この人は真摯に患者さんと向き合って接しているんだな』って感じたんですよね僕は。
【的場】どこか安彦先生と通ずるものがある、と言うか安彦先生の影響もかなり大きいと思うよね。
【平井】精神科に勤めてて職業的に患者さんを見てしまうこと多いと思うんですよ、正直な話。ところが、ただ「一人の人」として上原さんは見ている、そう僕は感じたんですよね。
それから上原さんと当院スタッフが出会い、当院に是非となった辺りをう詳しくお聞きかせ下さい。
【的場】それはデイケアのスタッフが、渡邉慶子辺りが中心となってね。
月に1度の安彦先生だけでは発展していかないと感じていて、もっと日常的に活動をやっていかないとどうしても「ある限界」と言うか、「展開」ができない。
で、上原さんをスタッフに迎えたいとスタッフから上がって来たという事はさっき話した事だけど、僕自身は上原君を雇うことには抵抗なかった。
だってこういう出会いという事自体そうそうある事ではないからね。
【上原】袋田病院のここが面白いっていうのは初見で分からないわけだから、月に何回か来てねっていうことだったんで、震災直後っていうこともあって病院自体も機能しきれていない時期だったので、お互い探り合いながらやってきたわけですよ、それがだいたい1年ぐらい続いたんですかね。
【平井】アートフェスタは上原さん来てから始まったんですか?
【的場】これは歴史的な話なんだけれども、病院で毎年お祭りをやっていたのね、前理事長の粉川先生時代から。ところがそれ自体(院内でのお祭り)を何となくやる意味と言うか勢いと言うか・・・病院自体がね、「もうそれはちょっとやれないよね」と云う雰囲気になった時があった。
そこで西川さんというアートセラピストの方が当時病院にいて、彼女が中心となって病院のお祭りを「ちょっと規模が小さくはなるけれどやろうよ」と継続してくれた。
そういう流れで初めて彼女が病院のお祭りをアートフェスタと名付けたんだよ。多分2年くらいこの形でやってたと思う。
今まで病院でやってたお祭りを土台にして、新たにアートを組み合わせた形で「もう1回やろうよ」と、そういうところからがアートフェスタの始まりなんだよね。
だから最初の年はまだ僕がお好み焼き焼いたりね、過去のお祭りの名残というのかな。
その数年後からは上原君は造形教室やっていて、さらにある程度既にアートフェスタという土壌があったから、西川さんが残していったアートフェスタと云う途切れそうになったお祭りをね、彼が繋いでくれたって言うことなんだよね。
そこで「まずは一回取り敢えずやってみよう」と云う事になったんだよね、それが2013年。
【平井】僕は参加って言うか初めてアートフェスタを見学に行った時に、「精神病院」に外部から人を招くということがすごく驚きだったんですよね。
【的場】近くにある久慈川荘という老人施設があるんだけれども、日頃の感謝も込めて地域の人を呼んでね、ビール飲み放題にするとかそういう催しはやってるんだよね。
病院のお祭りとして全国の精神科の病院が年に1回くらい比重がどうであれ患者さんに楽しんでもらうために、または地域のためにそういう形で開いているということ自体はそんなに珍しくはなかったと思うよ。
でも、従来の精神科病院というのは外部から人が来る呼ぶという事を拒んでいないまでも、積極的にアナウンスはしてなかったのかな・・・。
また大子にね特別支援学校っていうのがあるのだよね。そこは年に1回地域に開くんだけれどもその時に職員とかご家族がいっぱいお店出すわけよ、ありきたりかもしれないけれど 焼きそばであったりとかね。
でも生徒たちで何かを作るって言うのは、なかなか支援学校だからできないところもあるんだろうけど、例えばカレンダー作って出すとかね、そういう活動はしているわけ。
それから大事なところが、「学校を開放して全部見せる」ということをずっと支援学校もやっているのよ。だからそういう意味では「じゃあ我々のアートフェスタと何が違うの?」って思うわけ。すぐ近くにある久慈川荘という施設も地域の人を呼んで招待してるわけじゃない。だから我々のやってることと何が違うの?って。
【平井】精神科に外来者を入れるということ自体が、くどいようですけど驚きだった。家族ならまだしも。
まして保護室まで見せると言うのが、ちょっとだけ精神科病院に勤めていた事のある人間だからこそ驚きがあった
【上原】それを打ち出したのが的場院長ですよね
【的場】今でこそ随分抵抗なく、見せることが当たり前になってるけれど、まあそれでも最初の一年目は「あの保護室を見せる」というのは、やっぱり自分たちの中にも葛藤はあるよね。
【平井】いやあると思いますよ
例えば30年くらい前の感覚で言ったら、保護室で看護者がどういう対応してきたか、その事を話題にしたくない思い出したくないっていう思いが僕の中にあって。それくらい昔の精神病院には酷い部分があった・・・だから公開すること自体がちょっと驚きだったんですよ。
【的場】だから僕の中にもそれがあって「お前らそんなひどいこと」していたのか「こんなことをやっていたのか」とか、言われるかもしれないと思った。
保護室を「見せる」となった時にやっぱりそういう思いはあったよね。今となったらそんなこと思わなくても良かったんだなって思うけど。
「お前らそんなひどいことしていたのか」「こんなことをやっていたのか」それは外からの声としてもあるけれど、僕らの中にもあるんだよね。であれば「自らの中にある声とどう向き合うか」。それをしっかり見つめなおすためにも隠さず外に出していこうと考えたんだよ。
上原君3日間くらい保護室に入ってもらった事があって。
どうでした?
【上原】どういう感じか・・・アートをそこに持ち込むにはという視点でだったんですけど、そうですね、あれはあのまま見せてもインパクトがあるわけですよね、保護室という空間は。「ここに人がいたんだ、ここに生活があったんだ」という場所に・・・多分下手にアートというモノを入れるとリアリティから大きくかけ離れてしまうかもしれない。
アートが余計な装飾になってしまう可能性がありますよね。
【的場】でもこの問いはさ、すごい大事な事だと思う
広島の原爆ドーム行ったり平和記念公園や資料館行くとね、放射能で曲がったガラスとか亡くなった方の衣服がある。つまり圧倒的なリアリティそのものがそこにある。
でも一方である画家が原爆の絵画とかあるいは漫画でとかね、圧倒的にリアリティがあるものがありながら、そこになぜ人が表現と云うものをそこに入れるのかというのか?って思うわけですよ。だって圧倒的なリアリティの前に表現なんていらないじゃない。
【上原】まあだから保護室を見せるというのは本当はそのまんま、その方がインパクトあるのかなっていう気がしないでもないです。そう思う一方そうじゃない、そうじゃないかも知れないという思いもある。
【的場】そうだね、そうじゃないかも知れないと云うところが一番アートフェスタのポイントなんですよ。あれを敢えてあのまま見せない意味というのがあるわけですよ。
圧倒的リアリティを求めるんであれば、あれはあのまま見せればいいわけで。
【上原】今回はそのまま見せるというよりは、今回が入って右側に折り紙。ぱっと見た感じでは何か判らないけれども、折り紙がある。ぐちゃぐちゃに見えるかもしれないけれども相当な時間をかけて利用者さんが折った折り紙。
これだけ作るのにどれだけ時間を掛けたんだという、そういう時間的な事と「保護室で一人」折るという事を見た人が感じたかという・・・。
【的場】でそこがさ、例えば保護室をそのまま何もしないで見せた時に、それを見た人たちが感じる 思いとかがそれぞれにあると思う。
しかしアートというフィルターを掛けると、ひょっとしたらフィルターをかけられたことである種のやっぱり制限と言うか、理屈で言えばだよ、生まれる可能性があるわけだよね。
それはどうなの?
【上原】それはあると思います
【的場】それでもアートをするということは何なんですか?
【上原】さっきの漫画の件じゃないですけど、その漫画読まないと原爆ドームに行かないことも考えられるわけですよね、入り口としてですよ。だから0ではないと思いますよ。
さらにアートを通じて想像力が広がるということはあると思ってます。
理屈じゃなくて感覚的に思うところはあるのではないかなと。
【的場】それともう一つはね、保護室をそのまま見せるというのは楽なんですよ。あのディープな空間をどう見せるかってすごい大変。
だけどそれをそのままに見てもらえればいいんだけど、見てもらうだけになっちゃったら、ただ楽をしちゃうだけになるよ。
あの保護室での体験は何だったのか。
アートをするのであればアートをそこに入れるんだっていうことで、自分があそこでどんなことを感じ考え何をしてきたのか、それをもう1回問わなければいけないんですよ。
「そのままのがインパクトあるよね」ってなってしまったらつまらない。そのまま見せるだけなら。
つまりそこをアートするというのは見る側がどう見るのか、そういう視点もあるけれど見せる側があそこの体験がなんだったのかっていうのを、1回ちゃんと問わないといけないんだよ。そういう意味で見せる側にも意味がある。アートをするっていうことはね。
僕はそう思っている。
【平井】例えば上原さんが言うように漫画を読んで終わる人と、漫画を読んだが故にその場所行ってみようと思う人もいるわけですよね、それはすごく解り易いですよね。
【的場】でもね誰もが保護室をアートしきれないんですよ。
場所が強いところだから、ものすごく大変。
実は、だからそういう意味もあって、あそこに一番関わったのは看護部なんだよね。
あの保護室体験を看護部が表現する場にね挑戦して欲しいと思っている。
まあ昼夜問わず関わって患者さんの叫ぶ声、あの中から叩く音。
それをね身近に感じてたのが看護部だものね。
だから僕はね、これまで一歩一歩進んできているそれは確かにそう。でも前に会議で言ったんだけど、いずれアートフェスタは行き詰まるかも知れないという危機感を感じているって。
やっぱりそこはシンボリックな場所、保護室の体験その意味合い、苦しい悲しい怒りいろんなこと 、僕はねとにかくアートフェスタの中で最もコアな部分は保護室だと思う。僕はあんまりこういうことを普段言わないんだけど。
アートフェスタの核心部分は、僕にとっては保護室なんですよ実は。
上原君の視点からしたら違うと思いますよ、芸術家だからね。
つづく