


さてさて、昨日私の苦い思い出とは何かと気になった方も多いかと思います
っと自意識過剰にスタート

そう、あれは4歳の事
わたくし、知佐先生の後ろをついて遊んでたんです


くるりっと振り返った知佐先生に、

それから、詳しくは覚えていません
でも『上から』自分のもがく姿をみました
で、気づいた時には水を張ったお風呂に浸かって、寒い


わたくし、1歩後ろに下がった瞬間『鍋』に座ってしまいました

その鍋にはアツアツの『小豆』が入っていたのです

詳しくは知りませんが、何かに使うように祖母か母が小豆を煮ていたんでしょう
ソレが床に置いてあったのです
それに足を引っ掛け、まんまと鍋に座ってしまったもんだから、大やけど

っては訳で、おしりと、右腿には今でもはっきりと火傷の痕があります

でも、これは私が曾おばあちゃんから貰ったモノだと思っています

私は曾おばあちゃん知りません

私が生まれる前に車との接触事故が原因で亡くなりました
その看病中、母が寒そうにしている曾おばあちゃんに湯たんぽを入れてあげたんだそうです
で、私と同じようなトコロに火傷をさせてしまったんだと母から聞きました

もしかしたら、知佐先生は私の火傷の原因は自分にあると思っているかもしれません

母や祖母も、あそこに鍋さえ置かなければ・・・っと自分のせいと思っているかもしれません

とは言ってもやっぱり私自身の不注意が何よりの原因です

っと言うか、誰のせいだとも思っていません

ま、火傷のせいで嫌な思いも色々あったけど、成長と共に私のおしり火傷なんか脱ぎさえしなければ分からないし、腿の火傷の痕も半ズボンなど履かない限り見えないんだから大した方じゃない
そう思えるようになり、20歳ころにはミニスカートしか履いてなかったね

そんな中、母から聞いた話もあって、『頂きもの』っと思ったら、尚、大事にしたいっと思うようになったのでした

っとは言っても、昨日の話の続きじゃないけど、小豆が苦手なのはきっとそのせいだと思う私なのでした

以上、私の苦い思い出『大やけど』のお話でした


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