バラード(仏語; ballade、英語; ballade、ballad)曲と言うのは、スローテンポでセンチメンタルな歌詞で私の為に創られた音楽のことです。
ただ、Rock、Hip-Hopや演歌のような音楽ジャンルに分けられているのでもありません。その証拠にCD店に行っても、“バラード”と区分けされたコーナーはありません。
Wikiのバラードの項には「TSUNAMI(サザンオールスターズ)」が例で掲載されています。これはある意味納得します。もう一曲、「川の流れのように(美空ひばり)」もありますが・・・
さて、福岡ソフトバンクホークス・工藤公康監督が打ち出した禁止令(「試合中のガム禁止」「ツバ吐き禁止」「弱音発言(できません、分かりません、しようがない)禁止」)がありました。
そして、今回は東北楽天ゴールデンイーグルス・大久保博元監督が「入場曲でのバラード使用禁止」を打ち出しました。「ノリがいい曲の方がファンの方々も応援しやすい」という理由だそうです。
バラードと言うジャンルに属するかどうかは判りませんが、以前イーグルスに所属していた田中将大選手(ニューヨーク・ヤンキース)の入場曲だった「あとひとつ(ファンキーモンキーベイビーズ)」。
別に入場曲はファンが選ぶ訳ではありませんから、どうこう言うことはないですが、あのリーグ優勝時にの入場シーンにおいては、ノリがどうのこうのということはなかったような気がしましたが。
さてさて、この工藤監督と大久保監督ですが、新監督と禁止令というのは偶然ではないと考えています。
工藤監督は1981年ドラフト6位で西武ライオンズに入団。そして、その後、1984年ドラフト1位でライオンズに入団してきたのが大久保監督(1985年)。
そして、当時の監督が広岡達朗さん。広岡さんと言えば徹底した「管理野球」で有名でした。
選手の役割分担を決め、それぞれの役割を完璧に果たすように教育し鍛え上げる。綿密にスケジュールを組んで選手を管理する。夜遊びや度を越した飲酒を禁止し、食事の白米・肉食などを禁止し、玄米と野菜中心の食生活を推奨していました。
もちろん、この管理野球に対して当時のライオンズ選手の一部からは、不満の声が多かったようですが、広岡元監督時代(1982~1985年)の4年間でリーグ優勝3回、日本一2回と結果は残していました。
管理野球の下で育った選手が新監督となり、内容は違えどもチーム内に通達した禁止令。
これらが、シーズン成績に直接影響するものではありませんが、指揮官としての手腕は見どころです。
そういえば、バラード(Ballade)とは本田技研工業がかつて製造・発売していたセダン型の小型乗用車でもあります。