野球小僧

初代タイガーマスク / 伝説の虎

初代タイガーマスクは日本のプロレスラーです(昨日、ダイナマイト・キッドさんでした、となれば、タイガーマスクでしょう、ということで)。

入場曲
「バーニング・タイガー」(ブレイン・ウォッシュ・バンド) - タイガーマスクのデビュー戦で使用

「タイガーマスク二世」(水木一郎)- 1981年夏頃までと1982年前半に使用
「おまえは虎になれ」(村松とおる)- 1981年9月の田園コロシアム大会から年末まで使用
「燃えろ! 吠えろ! タイガーマスク」(古舘伊知郎)- 1982年後半から1983年の引退まで使用

1975年7月に新日本プロレスに入門。
1976年5月28日に魁勝司選手戦でデビュー。入門2年目からアントニオ猪木さんの付き人になります。
1978年にメキシコへ渡り、「サトル・サヤマ」のリングネームで活動。NWA世界ミドル級王座を獲得。
1980年に英国へ渡りブルース・リーさんの従弟こと「サミー・リー」のリングネームで活躍。
1981年4月23日に新日本プロレス蔵前国技館大会で、初代タイガーマスクとして、ダイナマイト・キッドさんを相手にデビュー。
1982年1月1日にダイナマイト・キッドさんを破りWWFジュニアヘビー級王座を獲得。5月25日にレス・ソントンさんからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取し、WWFとNWAのジュニアヘビー級王座を史上初めて統一。

今見てみれば、デビュー戦のマスクの作りはかなりいい加減な感じです。でも、昨年のタイガーマスクWはやりすぎな感じですが。マントもなんだかなという感じがして、デビューまでの準備が短く、急ごしらえだったのかがわかりますが、元々1試合のみのつもりだったということで、仕方がない部分はあると思います。

しかし、見てくれとは別に、その試合内容はいままでのプロレスのスタイルを変えて行くものでした。新日本プロレス伝統のストロングスタイルをベースに、打撃技とルチャリブレ(メキシコ式プロレス)の空中技とを織り交ぜたレスリングスタイルは、全国的にタイガーマスクブームを巻き起こしました。そのファイトスタイルは、当時、「ワールドプロレスリング」のTV中継を実況していた古舘伊知郎さんによって「四次元プロレス」「四次元殺法」と形容されたくらいです。

そして、タイガーマスクの試合のTV視聴率は、ほぼ毎週25%を超え、地方興行も空前の大入り満員が続いたのです。しかし、タイガーマスクは伝説で終わりを告げます。

1983年5月に人気絶頂の真っ最中にマンガ「タイガーマスク」の原作者・梶原一騎さんが暴行容疑で逮捕され、社会的影響度から改名問題が浮上します。8月4日に改名を予告し、ファンに新リングネームを当てさせるクイズ企画が用意されていました。しかし、8月10日に新日本プロレスに対して契約の解除を一方的に告げ、突然引退を宣言してしまいました。9月21日付の東京スポーツに素顔の写真が掲載され、タイガーマスクの正体が公開され、テレビ朝日系のバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にゲスト出演し、自らあっさりとマスクを脱ぎテレビで素顔を公表しています。


主な得意技
タイガー・スープレックス
タイガー・ドライバー

主な獲得タイトル
【新日本プロレス】
WWFジュニアヘビー級王座
NWA世界ジュニアヘビー級王座

新日本プロレスでタイガーマスクとして活動した2年4か月間のシングル通算戦績は155勝1敗9分けでした。
この1敗はダイナマイト・キッドさんをフェンスアウトさせての反則負けであり、シングルとタッグを含めて一度もフォール負けがありません。

まさに、伝説の虎でした。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
いきなりエプロンからトップロープに立って人差し指を立てながら右腕を上げる。そこからふわりとリングイン。

当時のレスラーの中では類を見ない身体能力でした(でも今の体形は・・・むにゃむにゃ)。

まさしくプロレスラーが子どもたちのヒーローとなった選手でもありましたね。

さて、このオフは野球を少し離れて「私の好きなプロレスラー」でも展開しようかなぁ。
eco坊主
おはようございます。

初代は凄かった~
TVアニメから本当で抜け出てきた感はありましたね。
ダイナマイト・キッドさんとの戦いは本当に名勝負オンパでした。
でも今の体形は・・・むにゃむにゃ

懐かしい試合のアップありがとうございました。
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