12月2日に放送された「M-1グランプリ2018」(テレビ朝日系)。私は当初観るつもりではありませんでしたが、数年ぶりに観てみました。面白いとか、面白くないとか、笑いのツボは人それぞれでもあり、一概には言えませんが、番組全体としては面白かった部類に入ります。ただ、非常に後味の悪い、決着のつけ方によっては番組の存在自体が危うい、状況ではないかと思います。
それは、言わずと知れた、審査員・上沼恵美子さんに対する暴言騒動です。
事の発端は、番組終了後の打ち上げで、昨年M-1優勝のとろサーモン・久保田かずのぶさんと、今年の決勝に出演したスーパーマラドーナ・武智正剛さんが、インスタライブの動画で上沼さんに暴言を吐いたことです。すでに動画は削除されていますが、ネット社会の今日では時すでに遅しであり、まさしく大炎上となり、2人はツイッターで謝罪し、番組のMCを務めた今田耕司さんや審査員のオール巨人さんら先輩芸人がフォローのコメントをしましたが、沈静化するどころか、さらに波紋を広げてしまっています。
2人の発言自体が過激なフレーズであるのですが、さらに問題視されたのは酔った勢いでネット上に発信してしまったことです。今日この頃では、芸能人に限らず誰もが犯しがちなことであって、ちょっと考えればよくないことであることは、よい子だってわかると思いますし、気を付けなければならないところです。
それでも、彼ら2人のやってしまったことは許しがたいものの、「M-1に人生を賭けていた」という真剣さであり、武智さんにとってはM-1出場資格が今年限りだったということで、M-1で優勝するために1年間、最大限の努力を重ねてきたと言っていました。それが叶わなかったことの悔しさがあったことは想像に難くありません。「自分が人生を賭けて取り組んできた仕事が認められなかったことへの落胆」と見れば、なんとなく大人のみなさんにも理解できるのではないでしょうか。
仕事に向き合い、真剣に挑んできた分、うまくいかなかったとき、思っていたほどの評価を得られなかったとき、手柄を他人に取られたときの落ち込み様は相当なものです。例え、それが自分の所為であったとしても、頭をよぎるのは、自分ではなく他人の顔、そう人は他人に悔しさをぶつけたくなりがちです。それが、今回の件で言えば、武智さんが審査員に悔しさをぶつけたくなってしまったのでしょう。
過去、勢いのままに口走ってしまったあの一言が、大問題に発展した例は枚挙に暇がありません。その中でも、野球界における名言といえば
「ベンチがアホやから野球がでけへん!」
でしょう。
時は1981年8月26日、阪神甲子園球場でのヤクルトスワローズ戦に歴史的暴言は生まれました。
阪神タイガースの先発は江本孟紀投手。試合は4-2とタイガース2点リードで迎えた8回2アウト二・三塁、打席には水谷新太郎さん。敬遠か、勝負か、内野がマウンドに集い、指示を仰ごうとベンチを見つめますが、何とその時、中西太監督がおらず、何も指示がありませんでした…。江本さんが思い切って勝負に出た一球はライト前に落ちるヒットで、結果スワローズは同点に追いつきます。
「あの場面こそ、監督の采配の見せどころだ」と感じた江本さんは怒りが大爆発し、降板後、ベンチに向かってグラブを投げつけ、ロッカールームに行く途中、「あいつらアホやろう。オレの言うこと分からんのやから。野球できへんわ」と言っていきました。
報告を聞いた各社のキャップが一大事とばかりに駐車場で江本さんの帰りを待っていました。「本当に言ったのか?言ったなら書くことになる」と聞かれて「確かに言った。書いていいよ」と江本さんは答えます。
実際に有名になった言葉は、いくつかの単語を組み合わせて作ったものだったのです。
もちろん、翌日には大騒ぎになり、江本さんは球団事務所に呼ばれ、球団社長から「10日間の謹慎」を告げられます。すると、「この時期に10日何もしなければシーズンは終わる。辞めろといわれたのと一緒」ということで、「じゃあ辞めます。任意引退届を出します」となり、押し問答の末、球団社長が渋々持ってきた小さな紙に署名、経理に預けていた三文判を押して江本さんのプロ野球人生は突然に幕を下ろしたのです。
元々、このシーズンは首脳陣との関係は最悪の状態で、キャンプでは起用法も伝えられず、オープン戦は「忘れていた」と終盤まで登板がありませんでした。シーズンに入ると、好投していても「若手を試す」といって降板させられたりとの伏線がありました。
この試合も先発を言われたのは前日だったそうで、別に未練もないと言います。それでもタイガースを嫌いになったことは一度もないそうです。なぜかというと、甲子園への想いが江本さんにはあります。
1965年3月27日。江本さんは選抜大会開会式の阪神甲子園球場にいました。ただ、グラウンドではなく、バックネット裏観客席の最上段でした。江本さん擁する高知商高は静岡高と並び優勝候補に挙げられていました。ところが、大会直前の3月6日に部員の暴力事件が発覚し、出場辞退となり、野球部の解散が決まりました。
「同級生は修学旅行に行ったけど選抜に出るはずだったからいまさら行けない。開会式だけでも見に行こうってね」。そして、選手たちの入場が始まり、高知商高の代替出場となった今治南高が登場すると、自然と涙が出たそうです。 「人生であんなに泣いた日はない。人間ってこんなに涙が出るんだって思った」そうです。
その日から11年後の1976年1月26日。江本さんは江夏豊さんとのトレードで南海ホークスからタイガースへ移籍します。「ああ、甲子園はオレをもう一度呼んでくれたんだ」って思ったそうです。そして、江本さんはこの甲子園で、タイガースのために野球人生のすべてを捧げる、と誓ったそうです。
この一件を振り返り、江本さんは「今思えば、そうカッカせず素直に謹慎10日くらいして、野球を続けておけばよかったかなと思います」「仕事を捨ててまで言うほどの怒りなのか? 最後にもう一度考えてみるべき」と思っているそうです。
とろサーモン・久保田さんとスーパーマラドーナ・武智さん。この2人にどこまでの覚悟を持っても発言なのかどうでもいい。感情のおもむくまま、自分のことばかり考えて周りのことや他人の思いに気がついていないのでしょう。漫才のネタだけではなく、人間性も磨いていって欲しいと願います。そうでなければ、覚悟を示して欲しいですね。