以下、ほぼ原文ママを引用させていただきます。
茨城県つくば市にある筑波病院の野球チーム所属。朝7時から9時まで週3回の朝練。ランニングに続いてキャッチボール、トスバッティング。
「やっぱり刺激になります。(略)俺たち学生野球上がりとは全然違う。何が違うか。すべての動作が正確です。しかも穏やかで優しくて」
練習を終えると病院付属のデイサービス・グループホーム〈桑林〉へ。介護職員の見習いを始めて10ヵ月。支援1から要介護5まで、30人ほどの老人を看る。
「おトイレッ。おトイレよぉ」
大声の老婆に財前が駆けよる。おむつとタオルを手に便所に入る。車椅子から老婆を便器に移し、終わると尻を拭いてあげ、おむつを穿かせ、また車椅子に乗せる。仲間の爺さんが声をあげる。
「いっぱい出たかい」
「出た。売りたいぐれえ出た。こん人のおかげさ」
ぺこんと頭を下げ、汚れたおむつをビニールに入れ、外に持って行く。
勤務は夜7時まで。ひっきりなしに動く。静かに坐って食べる時間もない。
寮、ひとり暮らし。
毎夜、プロ野球ニュースを追う。
「野球で身に染みているチームプレーに通ずるこの仕事、嫌いじゃないんです。死んだじいちゃんのことも思いだしますし。(略。プロ野球に)入れてうれしかったんですが、ケガが多くて。呼び出されたときは、覚悟しました。来たなっ。ケガのせいにはしませんが、悔恨ばかりです。悔しいです。でも頑張ります。いずれ、鍼灸師になります」
別の婆さんが声をあげる。
「入れ歯、あたしの入れ歯どこやった」
「はいはい、ここに」
育成ドラフト5位
一軍公式戦出場なし
背番号 003 (2011~12)
これが、残されたプロ野球での記録です。ドラフトで指名され入団した選手の中には一度も一軍公式戦出場がないまま、ニュースにも取り上げられずにユニフォームを脱いで行く選手がいます。それが育成ドラフトで指名5位となれば、入団したことも騒がれずに、ユニフォームを脱ぐ選手もいます。
高校時代は西日本短期大学附属高等学校で甲子園に出場。卒業後、駒澤大学に進学したが、ケガのため三年秋に野球部退部。大学卒業後はエイデン愛工大OBブリッツに入団し、2010年ドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成5位指名。
しかし、2012年4月3日のプロ・アマ交流戦で首の付け根に死球を受け、第6頸椎棘突起を亀裂骨折し復帰まで2ヵ月。結局、プロ2年間で二軍での出場も無く、同年10月3日に戦力外通告。
現役引退後の2012年12月より、茨城県つくば市の筑波病院で介護のデイサービス部でヘルパーの見習いを始め、現在の夢はプロ球団のトレーナーになり、日本代表のトレーナーだそうです。
財前貴男さん。
人生の新しい背番号でのプレーボールですね。