全国約300万人の中日ドラゴンズファンのみならず、プロ野球ファンの注目が、根尾昂選手の守備位置。ドラフトで与田監督がくじを引き当てた瞬間から、ドラゴンズの現内野陣どころか、選手にとっては心穏やかなものではないでしょう。でも、プロにおける経験と実績がありますから、新人には簡単に負けられないでしょう。
ドラフト前にはショートとピッチャーの二刀流という話もありましたが、仮契約時には「ショート一本」でという本人の希望が出ました。球団も承諾し、プロ入り後はショートとしてスタートを切ります。
プロですから、実力の世界でしょうけど、そう簡単ではありません。根尾選手を使うにしても、使わないにしても、日本中の注目が集まるのは間違いありません。そこで与田監督のマネジメント能力が問われてきます。
で、ふと過去を思い出しますと、ドラゴンズには根尾選手と同じショートで同じようなことが起こっていました。
1回目が1988年にドラフト1位でPL学園高から入団した立浪和義さん。
当時のドラゴンズには宇野勝さんがショートのレギュラーでした。ホームラン王1回、通算227本を放つ中心バッターです。立浪さんが入団する前年の1987年も全130試合に先発出場し、ホームラン30本を放ち、3度目のベストナインに選ばれています。
一次キャンプの沖縄では、当時の監督だった星野仙一さんは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしており、宇野さんとともにショートでした。しかし、二次キャンプのフロリダ州ベロビーチでは、宇野さんがセカンドの守備練習を開始し、帰国後のオープン戦から宇野さんはセカンドで出場しました。その後のオープン戦では、「二番・ショート立浪、五番・セカンド宇野」という布陣となりました。
このコンバートについて、星野さんは宇野さんに「俺はあいつを使う。打っても打たなくても、だ」と直接伝えたそうです。
この年、立浪さんはショートで91試合に先発出場し、打率.223はリーグ最低でしたが新人王となりました。セカンドへコンバートされた宇野さんも全試合に出場し、打率.277でホームラン18本を打っています。
次が1999年にドラフト1位で入団した福留孝介選手(現:阪神タイガース)です。
このときも星野さんが監督でした。この時はレギュラーといえるショートは不在で、久慈照嘉さん(現:阪神タイガースコーチ)が67試合、韓国球界のスターだった李鍾範さんが55試合に先発出場しています。
福留選手の入団が決まると、星野さん守備に難のあった李鍾範さんを外野へコンバート、久慈さんは福留選手入団のあおりを喰らって、控えと回ります。この時には細野さんは久慈さんには直接伝えず、記者から「監督はあいつ(久慈)が必要なんやって言ってたよ」と聴かされたそうです。星野さんらくし、他人を褒めるときには、直接ではなく、間接的に伝わった方が効果的であると計算してのことでしょう。「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈さんに伝わり、勝ち試合の終盤には、必ず久慈さんを守備固めとして使うという、それが「必要」の意味でした。それは星野さんのことですから、徹底し、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じたとのことです。
1999年のショートの先発出場は福留選手が103試合、久慈さんが32試合でした。
どうでもいいことですが、福留さんの入団当時の応援歌には、1997年まで立浪さんの応援歌として使われていた楽曲が流用されていました。
ただ、立浪さんはケガの影響もあり1992年からセカンドを守り、福留選手は元々守備が不安定なこともあり2002年から外野へコンバートされています。
今回、根尾選手がキャンプインしてから、京田選手がどうなるかはわかりませんし、根尾選手のプレーを見る前に動き始めるということも考えられません。
もちろん京田選手だって、やすやすとポジションを受け渡す気もないでしょう。現に、こういう話が出てくるのも京田選手自身の今シーズンでの成績のせいもありますから、自分でポジションを守るしかないでしょう。
与田監督にとっての恩師は星野さん。奇しくも、立浪さん、福留選手とショートの大物新人選手の入団となりました。根尾選手をどう使うのか、使わないのか。与田流のマネジメントも見どころです。
ただ、比較をしてはいけないでしょうけど、立浪さんが入団した1988年、福留選手が入団した1999年はドラゴンズは優勝しています。