「100万ドルの内野陣」。守備でこんな異名が付いた時代がありました。
牛若丸のショート吉田義男さん、バックトスの名手セカンド鎌田実さん、そして「しんとした様式美」サード三宅秀史さん。
1950~60年代の阪神タイガースの1つの時代です。
後に吉田さんはタイガース監督やフランス代表監督にもなり、鎌田さんはタイガース、バファローズ(近鉄)のコーチやフロント。
しかし、三宅さんは練習中の不慮の事故などが原因で引退後の数年間のコーチを除いて、野球界に身をおくことがなかったとのことです。
この三宅さんが久しぶりに表舞台に出てきたのが、昨日引退を表明した金本知憲選手の連続試合出場記録が話題に上った2004年のことです。
2004年8月2日金本選手は甲子園での対巨人戦で三宅さんの持つ700試合連続フルイニング出場記録を更新して、701試合の新記録を達成した試合後に花束を渡したのが三宅さんだったというのです。
1962年9月5日のこと。
前の日に700試合連続フルイニング出場を果たした阪神・三宅秀史さんは川崎球場での大洋ホエールズ戦前に安藤統男さんとレフト付近でキャッチボールをしていました。 センター付近では小山正明さんが遠投で肩慣らしをしていました。
そのとき、小山さんの投げたボールが逸れ、三宅さんの後頭部めがけて飛んで行き、「危ない」の叫び声で三宅さんが振り返ります。
三宅さんは救急車で病院へ。
三宅さんに当たったボールは左眼を直撃し、左眼周辺を5針縫い、眼底出血。その後、手術を受けたが視力は0.1まで低下してしまいます。連続出場記録は700試合で途絶えてしまいます。
この年2リーグ分裂後の初優勝をしたタイガースでしたが、すでに三宅さんはそこにはいませんでした。
三宅さんはこの時のアクシデントについて「自分の不注意」とだけ言って誰も責めなかったといいます。
結局、このケガで三宅さんの選手生命は終わってしまった感じであり、この後の引退までの5年間の出場試合数は100試合ちょっと。華麗な守備を魅せたサードは70試合。引退後は阪神のコーチを務めたが球界から身を引いたそうです。
参考 「哀愁のサード 三宅秀史」 (神戸新聞総合出版センター)
タイガースには金本選手よりも前に、偉大な先輩がいたということを忘れてはいけません。
そして、そのスタイルを金本選手が引き継ぎ、次に引き継ぐ選手へと受け渡していって欲しいと思います。
「僕の中では、後輩にいっているのは、(1002打席)連続無併殺記録。
打率が下がるところで全力で走って、ゲッツーにならなかった。
内野安打にならないところで全力プレーし、フルイニングよりも誇りに思う」
by 金本知憲
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