中日ドラゴンズ山本昌選手の”最年長記録”の前に立ちふさがっていた(?)のが、浜崎真二さん・元;阪急ブレーブスです。
その名前は何度も耳にしたのですが、どんな選手だったかは正直知りませんでした。
ちょっと調べてみました。
1901年広島県呉市に生まれています。
1934年に日本選抜チームの一員として選ばれますが、このときは既に33歳になっています。この時一緒に選ばれた沢村栄治は16歳でした。
その後、大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)への入団を断り、家族が待っている満洲(今の中国東北部)に戻ります。
終戦後の1947年に日本に戻り、大学の後輩に誘われて阪急ブレーブスに選手兼総監督として入団します。
このときが45歳だったそうです。
これは、最年長入団選手の記録として永久不滅になると思います。
自称5尺2寸(157cm)という小柄な身長でありながら、体格の小ささを、今で言う”トルネード投法”によって、カバーするピッチングをするピッチャーだったそうです。
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この頃、チーム作りに苦慮し、「若い投手には任せてられない」と自ら1950年5月7日に登板し、48歳4ヶ月で勝利投手となり、先日、山本昌に記録更新されるまで、日本プロ野球史上最年長勝利記録となっていました。
その後、高橋ユニオンズ、国鉄スワローズの監督を務め、解説者となり、1978年野球殿堂入りし、1981年に亡くなられています。
現役時代は3年間で通算5勝5敗。
でも、そのうちの1勝が64年間もの間、プロ野球記録だったのです。
先日、山本昌選手に最年長勝利の記録を更新された浜崎さんの娘さんのコメントが新聞にありました。
「おめでとうございます。すごいですね。父の時代は、記録というものもなかった時代。多分、お墓の中で苦笑していると思いますよ。父は記録に挑戦して(勝利を)挙げたわけではありません。山本さんは記録に挑戦して、それを成し遂げられた。本当に立派だし、すばらしいこと。父もほっとしているんじゃないでしょうか。喜んでいると思います」
最近は野球とは縁のない生活をされているそうです。
でも、この日は気になっていたそうです。