♬ウクライナの栄光と自由はいまだ滅びず
兄弟よ 運命はなおも我らに微笑む
敵は陽にさらされた朝霧のごとく死に絶える
そして 兄弟よ 我らは自ら国を統治しよう
我らはこの魂と肉体を自由のために捧げる
そして 我らがコサックの血を引いてることを示さん
兄弟よ シャン川からドン川まで血の戦いへ
我が故国を誰にも支配はさせない
黒海は微笑み 祖父ドニエプルは喜ぶだろう
我らは自身の幸福で再び繫栄するだろう
我らはこの魂と肉体を自由のために捧げる
そして 我らがコサックの血を引いてることを示さん
我らの努力と労働が未だ成果を示し
我らのウクライナで歌声が大きく響く
カルパチア山脈をこだまし 草原へと鳴り響き
ウクライナの栄光は世界の国々へと伝わるだろう
我らはこの魂と肉体を自由のために捧げる
そして 我らがコサックの血を引いてることを示さん
「ウクライナは滅びず」は、ウクライナ国歌名です。
1862年にパヴェル・チュビンスキーさんが作詞、1863年にミハイル・ヴェルビツキーさんの作曲です。
1917年2月のロシア革命が起こりロシア帝政崩壊。それに伴い、3月にキエフでウクライナ政府が成立。しかし、十月革命によってロシア臨時政府が倒され、共産党のソビエト政権が誕生すると、11月にウクライナ政府はウクライナ人民共和国の樹立を宣言。
1917年12月から1921年11月にかけてウクライナの支配を巡り、ウクライナ・ソビエト戦争が勃発。その後、1918年1月9日にウクライナの独立を宣言。2月8日にロシアはキエフを占領したが、2月9日にウクライナとドイツ、オーストリアの同盟国の力を借りてウクライナを解放し、3月に首都を奪い返す。
しかし、第一次世界大戦後、ドイツの連合国への降伏により、ウクライナ・ソビエト戦争が再開。
1919年1月にソビエトはウクライナ・ソビエト社会主義共和国を宣言し、2月に首都キエフを占領。1919年から1920年にかけてもウクライナ支配をめぐって各国が入り乱れて内戦状態。最終的に1920年冬にソビエトの勝利で終結し、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国がウクライナ全域を確保。
時は流れ、1985年3月にミハエル・ゴルバチョフさんが書記長に就任し、ソ連で「ペレストロイカ」の時代を迎え、ウクライナでは「ペレブドーヴァ」と呼ばれる改革・開放運動が起きた。そして1989年10月にウクライナ語の公用化、ユニエイト(ローマ・カトリックとの合同)の公認化が実現し、東ヨーロッパにおける民主革命の成功も受けて、ウクライナ民族運動が高まる。
1990年1月22日に、大勢のウクライナ人は手と手をつないで長い「人間の鎖」を作り、3月に民主的な最高会議(国会)議員選挙を実現。7月には「主権宣言」を採択し、国家の権利をソ連から取り戻すことを宣言し、8月に最高会議はウクライナの独立を宣言。国名から「ソビエト社会主義共和国」を削除。12月の国民投票によっても、圧倒的に独立が支持される。
1991年12月にソ連の崩壊に伴い、ソビエト最高会議の元から独立して新たな国家ウクライナとなり、独立国家共同体(CIS)に加盟(2014年に脱退)。1917年の独立革命以来の試練を乗り越えて、ウクライナは独立。
さて、ウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」は、ロシア革命が起こり、独立を宣言したウクライナの民族主義者によって国歌に採用され、ソ連に併合されるまでの短い期間に使用されました。そして、ソ連から独立後の1992年に議会によりウクライナの国歌として復活しました。
2003年3月に最高議会でウクライナ国歌法案が成立。歌詞を一部修正の上、正式に国歌に採用されています。
日本語訳を冒頭に記載しましたが、歌詞の内容が近年のウクライナの独立までの歴史を物語っており、また、今現在、ロシア侵攻にさらされていることも思うと、心が揺さぶられます。
なお、ロシア国歌は1938年にアレクサンドル・アレクサンドロフさんが作曲した「ソビエト連邦国歌」の曲に、同じく「ソビエト連邦国歌」の作詞者セルゲイ・ミハルコフさんが新たに歌詞をつけ、2001年1月からロシア連邦の国歌に定められています。
ソ連の崩壊後のロシアでは、ミハイル・グリンカさん作曲の「愛国歌」が暫定国歌に定めらましたが、歌詞がないこともあり定着せずに国歌として法定化することもできませんでした。
その後、現大統領が「強いロシア」を強調すべく、第二次世界大戦のさなかに作られたソ連国歌のメロディを2000年に復活させる国歌法を制定しました。こうして、ソ連国歌は、ロシア連邦国歌として復活したものです。
本日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。