中日ドラゴンズの谷繁元信選手が選手兼任監督に就任するという記事が親会社系列発行の8日付けスポーツ新聞の一面に掲載されました。
最近では同じキャッチャーで東京ヤクルトスワローズの古田敦也さん以来、ドラゴンズとしては戦前の杉浦清さん以来です。
そして、球団史上初のゼネラルマネージャー(GM)制度を導入して、落合博満前監督が就任、ヘッドコーチに森繁和さんが復帰と思い切った改革を断行したものです。
このくらいの大改革をしなければ、この空白の二年間は埋められないということなのでしょうね。
記憶に残っている時代では1970年に阪神タイガース・村山実さん、南海ホークス・野村克也さんが選手兼任監督として就任しています。村山さんは1972年のシーズン開幕当初までは監督兼任。その後のチームの成績不振によって実際の指揮はコーチが行っていたとのこと。ホークスの野村さんも実質的な指揮はヘッドコーチが執っていました。1975年には太平洋クラブライオンズ・江藤愼一さんが監督兼任選手でしたが一年で解任。
そして、1977年に野村さんが退任した後の2006~2007年の古田敦也さんとなります。
確かに、なんとなく、かっこいいイメージがある選手兼任監督ですが、鶴岡一人さんを除いて、その間の成績は残念ながらあまりパッとしません。
鶴岡一人 (南海ホークス; 1946~1952) 優勝4回、2位、3位、4位
杉浦清 (中日ドラゴンズ; 1946途中~1948) 2位、8位
野口明 (中日ドラゴンズ; 1955) 2位
中西太 (西鉄ライオンズ; 1962~1969) 優勝、2位2回、3位2回、5位3回
村山実 (阪神タイガース; 1970~1972) 2位2回、5位
野村克也 (南海ホークス; 1970~1977年) 優勝、2位3回、3位2回、4位、5位
江藤慎一 (太平洋クラブライオンズ; 1975) 3位
古田敦也 (東京ヤクルトスワローズ; 2006~2007) 3位、6位
これが、非常に不安を煽るところです。ですが、今回は落合GMがいるため、チーム編成などに神経を使わずに済みそうですので、そこは期待を持ちたいところです。
さて、古田さんが選手兼任監督が現実になった時、野球規則で問題が挙がりました。それは監督やキャッチャーがマウンドに向かうことに関してルールが異なるためです。よって、兼任監督の登場により規則変更が行われています(野村さんの時には、このルールはありませんでした)。
・監督がキャッチャーとして出場する時は、あらかじめベンチコーチの中から監督代行を選んでおく
・監督がキャッチャーとして試合出場中はルール上は選手として取り扱う
・選手、監督いずれかの立場において退場などの処分を受けた場合、処分は両方の身分に対して有効になる
などです。
また、
・監督は管理職であるとして選手会(労働組合)を脱会する
ということと、どうでもいい(?)こととして
・ユニフォームの着替えは選手ロッカー室は使わず、監督室で行う
というものもあるようです。
戦前に阪神タイガースで選手兼任監督だった藤村富美男さんは主審に「代打、ワシ」と告げたことがあったと言われています。
谷繁選手には後世に残る名言、いや、成績を残してくれることを切に願います。
フロント、コーチングスタッフも一新。おそらくユニフォームも・・・
そして、どのような野球を魅せてくれるのか。来年は楽しみです。