動詞:原形+に(は)あたらない
何のことはない、(なんの)変哲もない、日常茶飯ごとなど、相手の過剰な反応に対して、「そこまで驚くようなことではない」というような意味で使われる
2022年オフのトレードのニュースで話題となっている中日ドラゴンズ。
一応、両球団の補強ポイントということで思惑が合致したとされる今回(今のところ2件)のトレードですが、ドラゴンズが次々に主力級選手で、しかも開幕戦で二遊間を務めた2人の選手をトレード放出していることがいろいろと騒ぎの素になっています。先日(2022年11月20日)、放送されたTBS系の情報番組「サンデーモーニング」のスポーツコーナーに出演した上原浩治さんも「びっくりした」「打線が課題なのに野手を出してしまったところで代わりの選手が誰が出てくるんだろうか?というところですよね」とコメントしています。
立浪和義監督は2021年オフの就任時に、「勝つ野球をするために妥協はしない」とコメントしており、今シーズンを振り返った10月上旬の会見では、「これからいろいろ変えていかないといけない」「(収穫を問われて)あるかな?今年は何とか選手に声をかけながら力を発揮させてやりたいという形でスタートした。チームに刺激を入れるために京田を叱咤(しった)したりしてきたが、結局、何も変えられなかった」ともコメントしています。
実際にオフになってから、いわゆる「血の入れ替え」と言う感じで、退団16人、支配下から育成への変更5人、開幕登録からは6人、開幕戦オーダーから3人がいなくなっています。
ただ、私が個人的に「驚くにはあたらない」と考えているのは、ドラゴンズのトレードの歴史において主力級の選手を含めたトレードの歴史があるからです(敬称略。球団名は当時のもの。トレードについては私主観)。
■1962年
井上登 ↔ 南海ホークス:カールトン半田、寺田陽介、長谷川繁雄
■1977年
稲葉光雄、島谷金二、大隅正人 ↔ 阪急ブレーブス:大石弥太郎、戸田善紀、森本潔、小松健二
■1981年
井上弘昭 ↔ 日本ハムファイターズ:富田勝、大島秀晃
■1985年
田尾安志 ↔ 西武ライオンズ:杉本正、大石友好
ここからが本領発揮。
■1987年
牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂 ↔ ロッテオリオンズ:落合博満
■1988年
大島康徳、曽田康二 ↔ 日本ハムファイターズ:田中富生、大宮龍男
平野謙 ↔ 西武ライオンズ:小野和幸
■1989年
中尾孝義 ↔ 読売ジャイアンツ:西本聖、加茂川重治
■1990年(シーズン中)
杉本正、高島覚 ↔ ダイエーホークス:山内和宏
■1993年
宇野勝、長嶋清幸 ↔ 今野隆裕、横田真之
■1996年
仁村徹(内)酒井忠晴(内)山本保司(内) ↔ 千葉ロッテマリーンズ:平沼定晴、前田幸長、樋口一紀
(シーズン中)
与田剛(投)吉鶴憲治(捕) ↔ 千葉ロッテマリーンズ:内藤尚行、森廣二
■1997年(シーズン中)
金村義明 ↔ 西武ライオンズ:小野和義
■1998年
矢野輝弘、大豊泰昭 ↔ 阪神タイガース:久慈照嘉、関川浩一
■2000年
門倉健、古池拓一、東瀬耕太郎 ↔ 大阪近鉄バファローズ:小池秀郎、佐野慈紀、善村一仁
このあとは沈静化していきます。
■2003年
山崎武司 ↔ オリックス・ブルーウェーブ:平井正史
この1987年~2000年の期間。ピンとくる方もいらっしゃるでしょうけど、あの闘将・星野仙一さんが監督就任していた期間(1992年~1995年を除く)と重なります。
星野さんはドラゴンズでは2度、阪神タイガースと東北楽天ゴールデンイーグルスで1度優勝していますが、すべて前年5位以下のときに引き受け、4年以内に優勝。「ワシはな、何と言うか完成されたチームを任されるのはいやなんや。中日時もそうやった。戦力を整備して、チームを立て直す。これに快感を覚えるんや」とのことで、ドラゴンズ監督時代は第一次政権で39人放出し、第二次政権、タイガース監督時代にも、主力や貢献者であっても積極的に選手を入れ替えることによって新陳代謝を図り、チームを活性化させていました。その際、選手の環境を変え、もう一花咲かせて欲しいとの親心もあったそうです。
ちなみに、立浪監督は1987年にドラフト1位で入団。星野さん監督時代の選手ですから、現在の状況を考えて、尊敬する星野さんのようにチーム改革を手本にしていることは充分に考えられるでしょう。もちろん、ファンからの反発、チーム内の雰囲気などを理解したうえで、星野式の改革を行っているのでしょう。
今オフは退団者16人、支配下から育成への変更5人、ドラフトでは指名した7選手(育成を除く)のうち即戦力内野手が4人。現在は新外国人調査のためドミニカ共和国でウインターリーグを視察中。
大胆な変革にはリスクがもちろんあります。リスクを恐れていたら何も変わらない。もちろんリスクよりも可能性にかける選択をしたのでしょう。
その答えは1年後か2年後(第3弾があると想定)。
何のことはない、(なんの)変哲もない、日常茶飯ごとなど、相手の過剰な反応に対して、「そこまで驚くようなことではない」というような意味で使われる
2022年オフのトレードのニュースで話題となっている中日ドラゴンズ。
一応、両球団の補強ポイントということで思惑が合致したとされる今回(今のところ2件)のトレードですが、ドラゴンズが次々に主力級選手で、しかも開幕戦で二遊間を務めた2人の選手をトレード放出していることがいろいろと騒ぎの素になっています。先日(2022年11月20日)、放送されたTBS系の情報番組「サンデーモーニング」のスポーツコーナーに出演した上原浩治さんも「びっくりした」「打線が課題なのに野手を出してしまったところで代わりの選手が誰が出てくるんだろうか?というところですよね」とコメントしています。
立浪和義監督は2021年オフの就任時に、「勝つ野球をするために妥協はしない」とコメントしており、今シーズンを振り返った10月上旬の会見では、「これからいろいろ変えていかないといけない」「(収穫を問われて)あるかな?今年は何とか選手に声をかけながら力を発揮させてやりたいという形でスタートした。チームに刺激を入れるために京田を叱咤(しった)したりしてきたが、結局、何も変えられなかった」ともコメントしています。
実際にオフになってから、いわゆる「血の入れ替え」と言う感じで、退団16人、支配下から育成への変更5人、開幕登録からは6人、開幕戦オーダーから3人がいなくなっています。
ただ、私が個人的に「驚くにはあたらない」と考えているのは、ドラゴンズのトレードの歴史において主力級の選手を含めたトレードの歴史があるからです(敬称略。球団名は当時のもの。トレードについては私主観)。
■1962年
井上登 ↔ 南海ホークス:カールトン半田、寺田陽介、長谷川繁雄
■1977年
稲葉光雄、島谷金二、大隅正人 ↔ 阪急ブレーブス:大石弥太郎、戸田善紀、森本潔、小松健二
■1981年
井上弘昭 ↔ 日本ハムファイターズ:富田勝、大島秀晃
■1985年
田尾安志 ↔ 西武ライオンズ:杉本正、大石友好
ここからが本領発揮。
■1987年
牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂 ↔ ロッテオリオンズ:落合博満
■1988年
大島康徳、曽田康二 ↔ 日本ハムファイターズ:田中富生、大宮龍男
平野謙 ↔ 西武ライオンズ:小野和幸
■1989年
中尾孝義 ↔ 読売ジャイアンツ:西本聖、加茂川重治
■1990年(シーズン中)
杉本正、高島覚 ↔ ダイエーホークス:山内和宏
■1993年
宇野勝、長嶋清幸 ↔ 今野隆裕、横田真之
■1996年
仁村徹(内)酒井忠晴(内)山本保司(内) ↔ 千葉ロッテマリーンズ:平沼定晴、前田幸長、樋口一紀
(シーズン中)
与田剛(投)吉鶴憲治(捕) ↔ 千葉ロッテマリーンズ:内藤尚行、森廣二
■1997年(シーズン中)
金村義明 ↔ 西武ライオンズ:小野和義
■1998年
矢野輝弘、大豊泰昭 ↔ 阪神タイガース:久慈照嘉、関川浩一
■2000年
門倉健、古池拓一、東瀬耕太郎 ↔ 大阪近鉄バファローズ:小池秀郎、佐野慈紀、善村一仁
このあとは沈静化していきます。
■2003年
山崎武司 ↔ オリックス・ブルーウェーブ:平井正史
この1987年~2000年の期間。ピンとくる方もいらっしゃるでしょうけど、あの闘将・星野仙一さんが監督就任していた期間(1992年~1995年を除く)と重なります。
星野さんはドラゴンズでは2度、阪神タイガースと東北楽天ゴールデンイーグルスで1度優勝していますが、すべて前年5位以下のときに引き受け、4年以内に優勝。「ワシはな、何と言うか完成されたチームを任されるのはいやなんや。中日時もそうやった。戦力を整備して、チームを立て直す。これに快感を覚えるんや」とのことで、ドラゴンズ監督時代は第一次政権で39人放出し、第二次政権、タイガース監督時代にも、主力や貢献者であっても積極的に選手を入れ替えることによって新陳代謝を図り、チームを活性化させていました。その際、選手の環境を変え、もう一花咲かせて欲しいとの親心もあったそうです。
ちなみに、立浪監督は1987年にドラフト1位で入団。星野さん監督時代の選手ですから、現在の状況を考えて、尊敬する星野さんのようにチーム改革を手本にしていることは充分に考えられるでしょう。もちろん、ファンからの反発、チーム内の雰囲気などを理解したうえで、星野式の改革を行っているのでしょう。
今オフは退団者16人、支配下から育成への変更5人、ドラフトでは指名した7選手(育成を除く)のうち即戦力内野手が4人。現在は新外国人調査のためドミニカ共和国でウインターリーグを視察中。
大胆な変革にはリスクがもちろんあります。リスクを恐れていたら何も変わらない。もちろんリスクよりも可能性にかける選択をしたのでしょう。
その答えは1年後か2年後(第3弾があると想定)。
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。