一昨日(1日)、球団事務所で小田幸平捕手(37)、中田亮二内野手(26)、堂上剛裕外野手(29)、田中大輔捕手(29)、森越祐人内野手(26)、辻孟彦投手(25)、井上公志投手(26)、矢地健人投手(26)、井藤真吾外野手(24)、宋相勲外野手(21)の10選手に来季の選手契約を結ばないことを伝えました。
また、これに先立って三瀬幸司(38)、小林正人(34)、鈴木義広(31)が現役引退を表明してます。さらに、その前には外国人選手の退団も発表されています。この時点で14選手が今シーズンでドラゴンズのユニフォームを脱ぐこととなりました。
これら選手の中には一軍では主役ではなく、名脇役と言えるような活躍をした選手もいます。
小田幸平選手は2005年オフにFAの補償選手としてジャイアンツからドラゴンズへ来ました。ジャイアンツ時代も二番手。ドラゴンズでも二番手。
人気者でもあり、試合でサヨナラ勝ちすると、水の入ったペットボトルを持って、ベンチから真っ先に飛び出したり、試合後のお立ち台では「やりましたー」の雄たけびを上げたりしていました。
最近は山本昌選手とバッテリーを組むことが多かったのですが、ここ2年ほどは一軍での出場はめっきりと少なくなっていました。
「(山本)昌さんともう組めなくなると思うと、それが寂しい」としみじみしたが、今後は現役続行を目指して、トライアウトなどの道を探すそうです。
また、1日の2014ナゴヤドーム最終戦では三瀬幸司選手、小林正人選手、鈴木義広選手3人の引退試合となりました。
この3人は落合博満GMが監督だったの常勝時代を支えてくれました。
小林正人選手は2002年のドラフト6順目で入団。
3年目のオフのサイドスローに転向し、左のワンポイントリリーフとして地位を確立し、2011年には58試合で5勝0敗、防御率0・87の活躍で リーグ連覇に貢献しました。
そして、“阿部キラー”として読売ジャイアンツ・阿部慎之助選手に「顔を見るのも嫌」と言わせるほど抑え込みました(27打数4安打、打率.148、被本塁打0)。阿部選手には小林選手という方程式が出来るようなくらい、ベンチは迷いなく小林を送り出し、三連戦3連投という時もあったほどです。
スペシャルマン 中日ドラゴンズ 小林正人
三瀬幸司選手は2004年にドラフト7位で当時の福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)に27歳という年齢で入団。
一年目から抑えで活躍し、28セーブで最優秀救援投手と新人王、最優秀バッテリー賞も受賞しました。ドラゴンズには2010年途中にトレードで移籍し、翌年の優勝に貢献しました。
鈴木義広選手は2004年ドラフト5位。
変則的な右横手からの150km/h近いストレートとスライダーなどの変化球を駆使して一年目からリリーフとして活躍しました。「スーさん」の愛称で親しまれ(落合GMからも呼ばれています)、2007年日本シリーズでは勝利投手にもなりました。近年は故障により、その登板機会もめっきり少なくなっていました。
セットアッパーなど中継ぎの地位も向上したとはいえども、ワンポイントだとまだまだ陽の目を浴びにくいと思います。
でも、ドラゴンズなみならず、どのチームにおいても黄金期にはこの三人のように、主役ならずとも主役以上に貴重な名脇役が数多く居ました。いわゆる一芸に秀でるといっても良いような選手らです。その選手らの活躍によってチームが支えられていたことは事実です。
人気のある選手が引退する時には、ほとんどといってもいいくらい引退試合が行われます。
でも、エースや守護神、セットアッパーのように脚光を浴びる存在ではなかった三瀬幸司選手、小林正人選手、鈴木義広選手でも、チームを支えてくれた感謝の意味もあっての引退試合の機会があったのは、部外者の私が言うのもなんですが、非常に素晴らしいことだと考えます。
三人で865試合(岩瀬は一人で889試合登板ですが)。
お疲れ様でした。
(新しいブログ(同じ記事ですが)のリンク先です。http://baseball-love.blog.ocn.ne.jp/)