記録を超えると言うことは、長らく眠っていた記録達成者に再びスポットライトを当てます。
イチロー選手(マイアミ・マーリンズ)がMLB通算3000本安打を達成しました。
過去に3000本安打を達成したMLB選手は29人います。日本では「喝!(最近は量産していませんが)」の張本勲さんただ一人です。
長い歴史を持っているMLBでもたったの29人であり、立派な記録ですが、この3000本安打以上を記録した選手は、一部の例外を除き全員が野球殿堂入りを果たしています。MLBでは殿堂入りすると、サインの横に小さく「HOF(HALL OF FAME=野球殿堂の略)」と書くことが許され、サインの価値が上がるとともに、サイン会のギャラも上がるそうです。
それだけ、一つの目標でもあり、大きなステータスでもあります。
ところが、3000本にあと一息で手が届く2900本安打以上を打っていたが3000本安打に届かなかった選手は8人います。
2987安打:サム・ライス (Edgar Charles "Sam" Rice)
1920年代のワシントン・セネタース全盛期を支えた外野手。1934年、希代のヒットマンと呼ばれていましたが44歳で引退。引退の年にも98安打(打率.293厘)を記録しており、衰えていた様子でもなかったそうですが、シーズン残り10試合を残して決断したそうです。この残り13本で3000本になるのは「正直、自分が何本のヒットを打ったか、知らなかったんだ」とのことです。
ただ、引退してから2~3年後、クラーク・グリフィスさん(大半を過ごした球団のオーナー)から、「もしよかったら、残りの13本を打つために復帰しないか」って、声を掛けられたそうですが、「もう、野球ができる体ではなかった。戻るにはそれなりの準備が必要だが、そのための努力をしようという気が起こらなかった」とのことで、断ったそうです。
「もし知っていたら、3000本を打つために現役を続けていたと思う」と未練もあったそうです。
なお、ライスさんは1912年(22歳)に竜巻の被害で家族や兄弟をすべて亡くすという悲劇に見舞われていましたが、後年になっても自らはそのことを公表していませんでした。
引退後はメリーランド州で養鶏場を経営していました。そこではかつて捕虜収容所にいた数人の日本人移民を雇っていたことが話題になったこともあったそうです。
2961安打:サム・クロウフォード (Samuel Earl Crawford)
タイ・カッブさんと並ぶ1900年代のデトロイト・タイガースの看板バッターで、通算3ベースのMLB記録を持っています。
レギュラーとなった1901年には16ホームラン、104打点を打ちホームラン王になりますが、16本中12本がランニングホームランで、1シーズンのランニングホームラン数のMLB記録も持っています。
1903年に打率.335とリーグ最多の25本の3ベースヒットを放ち、1910年に120打点で打点王、1911年には自身最高打率.378を記録。1914年、1915年には再び打点王を獲得していましたが、1916年になって、タイガースは若手を起用する方針を打ち出し、出場機会は急激に減り、1917年シーズンを最後にタイガースを離れ、以後MLBでプレーすることはありませんでした。
2943安打:フランク・ロビンソンさん (Frank Robinson)
史上初めてMLB両リーグでMVPに選出され、アフリカ系アメリカ人初のMLB監督です。
1956年に20歳でMLBデビューし、38ホームランで新人王に選出され、1961年にはリーグ優勝に貢献してMVPを受賞しました。1966年にオリオールズに移籍し、打率.316、49ホームラン、122打点で三冠王に輝きます。三冠タイトルが唯一の打撃タイトルであり、黒人選手として史上初めての三冠王獲得となります。また、シーズンMVPとワールドシリーズMVPの両方に選出され、両リーグでシーズンMVPとなるのはMLB史上初の快挙でした。
なお、1971年に現役中ながらオリオールズで、1998年にはレッズで背番号20がそれぞれ永久欠番に指定されています。
2935安打:バリー・ボンズさん (Barry Lamar Bonds)
ちょっと前までのMLBファンの方でしたら記憶に新しいと思います。MLB歴代1位記録となる通算762ホームラン、シーズン73ホームラン、長打率.863、出塁率.609、OPS1.422、史上唯一の500ホームラン500盗塁など、数々の記録を残し、史上最強の野球選手の一人とされています。
2008年に年俸の高さ、チームの低迷、チームの若返りの方針、薬物問題(栄養補助食品会社バルコ(BALCO)の薬物醜聞(バルコ・スキャンダル)関係の裁判で、2011年4月13日に司法妨害罪で有罪判決を受けたが、2015年4月にサンフランシスコ高裁が司法妨害罪の無罪判決を言い渡し、同年7月に無罪が確定)によるイメージダウンなどにより、サンフランシスコ・ジャイアンツからシーズン中に退団が決定しました。
2932安打:ウィリー・キーラー (William Henry Keeler)
イチロー選手が9年連続200本安打で記録更新したため、キーラーさんの名前を知りました。この御仁も自分の通算安打を知らなかったそうです。引退した当時は3000安打を超えていたのはキャップ・アンソンさんという1880年代にプレーした選手だけだったそうで、そもそも3000本という数字が節目として認識されていなかった可能性があるとこのとです。そもそも、イチロー選手が超えたキーラーさんの8年連続年間200安打という記録も、当時は認識されていなかったからです。
ちなみに1982年は左利きでありながらサードを守り、93試合に出場して打率.373を記録しています。
1901年びルールが改正され、ファウルボールが2ストライク以下であればストライクとなり(今では普通)、1902年には2ストライクでのバントによるファウルはアウト(これも今では普通)とされるようになり、キーラーさんの「バントによるファウルなどで気に入ったボールが来るまでこらえる戦術」が出来なくなり、打率が急降下し、1901年は.339、翌年は.333まで下がりました。
2930安打:ジェイク・ベックリー (Jacob Peter Beckley)
通算20シーズンで打率3割以上が13回。通算3ベース243本は、サム・クロフォード、タイ・カッブ、ホーナス・ワグナーに次ぐMLB歴代4位です。また、通算刺殺23709は歴代1位であり、トリプルプレーに関わること通算8度はファーストとして史上最多です。
2930安打:R・ホーンスビー (Rogers Hornsby)
MLB打撃三冠王を2度獲得しています。
1922年に初の4割、1924年にはナショナルリーグ記録となる打率.424、1925年にはタイ・カッブ以来となるMLBタイ記録の2年連続となる打率4割超えを達成します。1926年には兼任監督としてリーグ制覇とともにワールドシリーズにも勝利しましたが、オフにジャイアンツへトレードに出されます。以降、チームを数回変わったものの、打撃は衰えをみせず、1929年には打率.380、149打点、39本塁打を挙げ、二度目のMVPに選ばれています。現役選手を引退した後も、タバコや酒、コーヒーさえも口にせず、「目が悪くなる」という理由から映画も見なかったそうです。
1963年に白内障手術の最中に心臓発作を起こし、シカゴで死去。セントルイス・カージナルスでは背番号が無い時代の名選手として、欠番扱いとなっています。
2927安打:アイ・シモンズ (Aloysius Harry "Al" Simmons)
1920~30年代に活躍し、通算1500安打、2000安打、2500安打にはMLB最短試合で到達しています。しかし、その後に急激に力が落ち、3000安打をゴールと位置付けていましたが、選手生活最後の4シーズンは58本しかヒットを打てなかったそうです。実は若い頃に二日酔いで試合を休んだり、ゲームが一方的な展開となると途中で帰ってしまったこともあったそうで、それがなければ・・・です。
実はシモンズさんは1941年のシーズンオフに一度引退し、1943年に現役復帰しています。
その時に3000安打まであと103本でした。
その復帰には理由がありました。ちょうど第二次世界大戦が始まった頃で、若い選手が次々に戦地へ向かったり、軍需工場での労働を強いられたりしたため、選手が不足になり、コーチだったシモンズさんは復帰を決めたそうです。しかし、復帰後の二年間では30安打に終わり、再び引退しました。
オープンスタンスから上げた左足を三塁方向へ下ろす独特のバッティングフォームが、バケツに足を突っ込んでいるように見えたため、「バケットフット・アル」と呼ばれていました。
さて、2004年に公開された「Mr.3000」という米国のコメディー映画があります。
主人公のスタン・ロス(「オーシャンズ12」のバーニー・マック主演)は通算3000安打を達成した直後、シーズン中にも関わらず引退。結構、自分勝手な選手です。その後、「Mr.3000」という商標を使ってビジネスを始め、成功します。
ところが引退から9年後に実際の通算安打は2997本で、3000安打まで3本足りないことが判明。
殿堂入りにも待ったがかかってしまい、「Mr.3000」どころか「Mr.2997」。よって、ロスは残りの3本を打つため、47歳で現役復帰を決めます。
そして、シーズンは進み、ロスは3000安打まで残り1本(打率.032)で迎えたシーズン最後の試合。
第一打席はセンターフライ、第二打席はセンター前へ抜けるかという当たりをセカンドが好守で、間一髪アウト。スタンドからはブーイング。これに抗議した監督が退場。
そして0-0で迎えた九回裏。味方の先頭バッターが2ベースで出塁。そして打席に向かうロス。
チームの勝利のためには犠牲バントが求められていた場面。
相手ピッチャーは際どいところを突いて来るものの、カウントは3ボール0ストライク。次の投球に対してロスが取った行動は・・・
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まっくろくろすけ
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