(2020年2月に訪問した際のことです)
琉球・沖縄の歴史と文化を象徴する城であり、沖縄県民のアイデンティティーのよりどころとされる首里城(しゅりじょう / すいぐすく)。首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものです。
2019年10月31日の火災で正殿など主要建造物が焼失してから約3ヶ月が過ぎました。
偶然にも2020年2月10日から国による正殿などの復元に向けた作業が始まり、その作業の様子を見てきました。この日は建物の骨組みが残る北殿や、一部が焼損した奉神門に作業用の足場を搬入して組み立てを始めるところでした。また、がれきを撤去するための重機を投入し、がれきの撤去後、北殿などの解体に着手する予定とのことです。
正殿があった場所には黒焦げになった柱や曲がった鉄筋などが散乱し、火災による熱のすさまじさがうかがえます。
中には涙を流しながら焼け跡での作業を見つめる人もいました。
首里城は那覇市内の小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれており、その中に多くの施設が建てられています。沖縄の城に共通する特徴ともいえる、いくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地もあります。
首里城の創建年代は明らかではありません。最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されており、13世紀末から14世紀の城(ぐすく)造営期に成立したものと考えられています。構造は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成しています。正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西が正面となっています。
首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもありました。また、各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上の拠点とともに、周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた文化芸術の中心でもありました。
1879年に首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校などに使われます。
1930年代には大規模な修理が行われますが、1945年に米国軍の攻撃により全焼。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなりますが、大学移転後に復元事業が推進されて現在に及んでいます。復元された首里城は18世紀以降をモデルとしていました。
1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元され、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的な価値があるとされ、2000年12月には、日本で11番目の世界遺産として登録されています。
首里城の再建は2020年2月下旬頃からがれきの撤去を始めるほか、焼損した建物の取り壊しも順次進め、ボランティアの募集も予定しているそうです。そして、5月の大型連休までには現場を一般に公開する予定だということです。
2019年2月に首里城を訪れた際には閉園時間で観ることが出来ず、「次回来た際のお楽しみ」としていただけに、火災による消失は本当に残念でした。また、実際に現場を目にすると悲しいですが、同時に今回訪れた沖縄での首里城再建に向けて力を合わせていくという強い気持ちを感じられました(私も微力ながら再建に協力させていただきました)。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。