野球小僧

世界オープンタッグ選手権 1977年12月15日(12月24日放送)

12月の風物詩と言えばタッグリーグ戦に尽きます。今年も新日本プロレス「WORLD TAG LEAGUE 2017」と全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦 ~旗揚げ45周年記念シリーズ~」の熱戦を各地で繰り広げています。

この12月と言えばタッグリーグ戦の元になったのが、1977年12月に全日本プロレスが行った「全日本プロレス創立5周年記念・世界オープンタッグ選手権大会」です。「オープン」という名称には新日本プロレスも含めた他団体に門戸を開放する意味ですが、新日本からの参加はありませんでした。

それまで、日本のプロレス界では長い間「タッグリーグ戦や年末の興行は不振である」と言われていました。これは、過去に日本プロレスが開催した「NWAタッグリーグ戦」で、「ジャイアント馬場とアントニオ猪木が組めば優勝するのは明らかで優勝争いが面白くなくなる」という理由で馬場&猪木のBI砲を分断し、また、テレビ放映権の都合上で放送できない、かつ日本人同士の対戦も回避したためリーグ戦が盛り上がらなかったという経緯がありました。そのマイナス要素を打ち破るために「世界で一番強いタッグチームを決める」と銘打って企画されたのが「世界オープンタッグ選手権」です。結果的にこの企画は大成功となり、翌年から「世界最強タッグ決定リーグ戦」へと発展し全日本プロレスの看板シリーズとなりました。

そして、この世界オープンタッグ選手権は、プロレスの伝説ともいえる試合を生み出しました。

この大会に参加したのは次の9チームです。

■ジャイアント馬場 & ジャンボ鶴田組 / 全日本プロレス代表
■ドリー・ファンク・ジュニア & テリー・ファンク組(ザ・ファンクス) / アメリカ代表
■アブドーラ・ザ・ブッチャー & ザ・シーク組(史上最凶悪コンビ) / アフリカ・中近東代表(ちょっと無理やり)
■大木金太郎 & キム・ドク組(韓国師弟コンビ) / 韓国代表
■ラッシャー木村 & グレート草津組 / 国際プロレス代表
■ビル・ロビンソン & ホースト・ホフマン組 / ヨーロッパ代表
■ザ・デストロイヤー & テキサス・レッド組 / マスクマン代表
■高千穂明久 & マイティ井上組 / 全日本プロレス・国際プロレス連合軍
■天龍源一郎 & ロッキー羽田組 / 全日本プロレス推薦出場

12月2日に後楽園ホールで開会式と開幕戦を行い、12月15日の蔵前国技館の最終日は超満員札止め1万2000人のファンで埋め尽くされました。セミ・ファイナルは馬場&鶴田組が大木&キム組を退け、勝点13で全日程を終了し、ここまで勝点12のザ・ファンクス vs. ブッチャー&シーク組の結果次第となりました(勝ったチームが優勝、時間切れ引き分けは3チーム同点優勝)。

この試合は1962年4月27日の力道山&豊登&グレート東郷組 vs. ルー・テーズ&フレッド・ブラッシー&マイク・シャープ組の6人タッグマッチを超える壮絶な試合展開となりました。まず、奇襲を仕掛けたファンクスでしたが、ブッチャー&シーク組の反則攻撃で歯車を狂わされます。そして10分過ぎにブッチャーがテリーの右腕や手の甲にフォークを突き刺し、場内には悲鳴が響き渡ります。痛みに耐えながらもパンチを振り回すテリーに、たまりかねたドリーが凶器を奪って反撃するのですが、何かに憑りつかれたようなブッチャーの攻撃は止まりません。最後は暴走の止まらないブッチャーがレフェリーのジョー樋口にまで一撃を食らわせ14分40秒、ファンクスが反則勝ちで勝点2を加えて優勝を決めました。

試合の結末としては不完全燃焼でしたが、当時の東京スポーツには「これぞタッグ戦の神髄」との見出しが躍ったそうです。ただし、この模様を日本テレビ・全日本プロレス中継として、12月24日に全国放送したため、苦情や抗議の声も寄せられたそうです。

私はこの試合をテレビで観ていましたが、本物の悪役が大暴れし、耐えに耐え抜いたヒーローが最後に勝つという、ウルトラマン的なプロレスの原点的の試合だったように思えました。プロレスには伝説の試合、名勝負と言われる試合は多いものの、フォークを刺すブッチャー、耐えながら反撃するテリーと、これだけ嫌われた悪玉と応援する善玉とがはっきりとした試合はなかったと思います。

結果
勝点14 ドリー・ファンク・ジュニア & テリー・ファンク組(ザ・ファンクス) -優勝、技能賞
勝点13 ジャイアント馬場 & ジャンボ鶴田組 -殊勲賞
勝点12 アブドーラ・ザ・ブッチャー & ザ・シーク組
勝点8   ラッシャー木村 & グレート草津組 -敢闘賞
勝点8   大木金太郎 & キム・ドク組
勝点7   ビル・ロビンソン & ホースト・ホフマン組
勝点4   ザ・デストロイヤー & テキサス・レッド組
勝点1   天龍 & ロッキー羽田組
勝点1   高千穂明久 & マイティ井上組

この1977年の「世界オープンタッグ選手権」は翌年から「世界最強タッグ」に改称され、現在も開催されています。今年の大会開催にあたって、PWF会長になったドリー・ファンク・ジュニアさんは、こういうメッセージを寄せました。

「1977年、今の世界最強タッグ決定リーグ戦の元となった世界オープンタッグ選手権が行われ、テリーと私のファンクスが優勝しました。このリーグ戦よりブッチャー&シークとの抗争が始まり、今でも語り継がれていることはとてもうれしいです。1978年より世界最強タッグ決定リーグ戦が始まり、世界の強豪が一同に会する空前絶後のビッグトーナメントが行われてきたわけです。ビル・ロビンソンさん、ニック・ボックウィンクルさん、ハーリー・レイスさん、リッキー・スティムボートさん、マスカラスさん兄弟、ジミー・スヌーカさん、ワフー・マクダニエルさん、タイガー・ジェット・シンさん、ブルーザー・ブロディさん、スタン・ハンセンさん、そして、ザ・ファンクスさんとここには書ききれない程の外国人が所狭しと大活躍した時代でもありました」

なお、この1977年12月15日の試合後の表彰式では(テレビでは12月24日)、ザ・ファンクスのテーマ曲「スピニング・トーホールド」が場内に流れ、ドリーコールとテリーコールに包まれていました。

(まっくろくろすけの20世紀プロレス回顧録)

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
この日、私はフォークの別の使い方を初め知りました。

学校へ行ってもプロレスの話題で持ちきりでした。休み時間にスピニングトーホールドが流行りました。

タッグマッチと言えば1995年6月9日の世界タッグ選手権試合の三沢光晴&小橋健太
vs. 川田利明&田上明も熱かったです。

そういえば、先日、高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)さん引退でしたね。

>>まっくろくろすけの20世紀プロレス回顧録
> ↑待っています!!
うーん、こっちのほうが原稿が進むなあ。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

年末のタッグリーグ戦を書くと避けては通れない世界オープンタッグ戦であり、そしてあの凄惨とも言えるファンクスvsブッチャー&シークの一戦ですよね。
「おいおいフォーク?ダメだよ~凶器は栓抜きまでだよ!!」

ジャイアント馬場さん~ジャンボ鶴田さんそして三沢光晴さんの時代が過ぎて今は秋山準が頑張っておられますが、やはり参加選手の小粒化(体型ではなく)は否めないですよね。
来年は諏訪魔選手を破って橋本大地選手が栄冠をとるのか・・・

>まっくろくろすけの20世紀プロレス回顧録
 ↑待っています!!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「プロレス」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事