ジョバ・チェンバレン選手(Justin Louis "Joba" Chamberlain)は、アメリカ合衆国・ネブラスカ州出身で、現在はクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになっているピッチャーです。
2006年のドラフトでニューヨーク・ヤンキースから全体41番目で指名され契約し、入団。2007年にメジャー昇格。2013年にデトロイト・タイガースへFA移籍しています。2015年7月にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、8月に自由契約。2015年8月にはカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結び10月にDFAとなり、12月にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになっています。
ヤンキース時代には、リリーフとしてメジャーデビューした2007年に当時のジョー・トーレ監督が、新人の酷使を避けるために作った特別ルール「ジョバ・ルール」というものがありました。
「連投はなし」、「1イニング投げれば1日休み」、「2イニング投げれば2日休む」というように、休養を十分に与えることで、肩、肘が壊れることを防ごうとしたものでした。当時のヤンキースが、将来的には先発ローテーションとして期待していた有望ルーキーに与えた“特別ルール”でしたが、結果的には、その年、主に中継ぎピッチャーとして活躍しましたが、ジョバ・ルールの甲斐もなく、2011年には右肘靱帯再建(トミー・ジョン)手術手術を経験しました。
ケガの多い選手で、2008年8月に右肩を故障し、戦線離脱(9月に復帰)。上記のとおり2011年6月に右肘を故障し、トミー・ジョン手術を受け、2012年5月にはタンパ・ジャンプセンターのトランポリンではねていた際に右足関節開放性脱臼骨折(右肘と合わせて8月に復帰)。同年10月には試合中に折れたバットが肘に直撃し負傷。2013年5月には右内腹斜筋の張りで故障者リスト(5月末に復帰)。
2007年に100マイル近い剛速球で衝撃デビューを飾り、いずれはヤンキースのエースを担う逸材と言われ、威力のある4シームとキレのあるスライダーで三振の山を築き、期待されていた選手でした。
現在はセットアッパーとして活躍していますが、ケガの影響もあり、デビュー当時の面影は影を潜め、身体には無駄な肉がついて大きくなりましたが、ピッチングはスケールが小さくなってしまいました。
そんなチェンバレン選手ですが、父親は米国先住民のインディアン。1歳の時に両親が離婚し、姉と共に足が不自由な父親に引き取られたそうです。いじめなどの辛いこともあったそうです。
生活が苦しかったため高校時代は市役所で肉体労働などのアルバイトでスポーツをやる費用や大学進学費用を稼ぎ、その後、ネブラスカ大学カーニー校へ進学。ネブラスカ大学リンカーン校へ転校し、2005年にカレッジワールドシリーズ出場へチームを導きました。
チェンバレン選手は家族についてこのように語っているそうです。
「メジャーに上がってからは父と毎日電話で話しているよ。今の目標はただひとつ。ここでがんばって、父親と妹に満足いくような暮らしを提供したい。ボクがここまで来られたのは、父が車いすに座りながら一生懸命にキャッチボールをしてくれたから。彼はゴロしか投げられなかったけど、野球の楽しさを教えてくれたのはまぎれもなく父。そのためには負けられないんだよ。」
私たちは何一つ不自由のない生活をしていたとしても、何かしらの不平不満を言うことがあります。
現状に不満を言ったらきりがありません。
でも、立ち止まって考えてみましょうか。
人は誰かに、何かに支えてもらいながら生きているのです。
家で使う電気だって、水道だって。外を歩くときの道だって。なんだってみんなそうです。
空気だって。
感謝しながら生きること、感謝するということが、その人だけでなく、周りの人へも多くの力を与えてくれます。
そして、きっと感謝の気持ちを持つことは、いろんな困難を乗り越えるエネルギーにもなることでしょうね。そうしたいものです。
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