野球小僧

イチゴパンツの信長

NHK大河ドラマの「真田丸」がなかなか高視聴率との評判です。真田信繁(幸村)さんが戦国時代の人気武将でることと、脚本がヒットメーカーの三谷幸喜さんが担当するということもあって、放送開始前から期待は大きかったので、ある意味計算どおりのスタートを切ったわけです。

もちろん、テレビは観ていませんが巷の噂によりますと、物語は甲斐の名門武将一族だった武田家が滅びに向かうシーンからスタートしました。この戦いは天目山の戦いと呼ばれ、織田信長さんの部将滝川一益さんらが武田勝頼さんを攻め込んで、最後には自刃に追い込んだ戦いです。この当時、真田一家の父・昌幸さん、長男・信幸(信之)さん、次男・信繁さんは武田家の家臣でした。もしも歴史が武田家を選んでいたのならば、信繁さんも武田家の一部将として生涯を終えていたと思われます。

さて、この天目山の戦いがあった1582年(カッコ内は天正10年)は史実の日本ではこんな年でした。

2月3日(1月1日) - 安土城に諸将ら多数が参賀、人の重みで石垣が崩れ死者が出る
2月23日(1月21日) - 宇喜多秀家さんが家督を相続
3月2日(1月28日) - 天正遣欧少年使節が長崎を出航
3月31日(2月3日) - 信長さん、武田攻めの陣触れ
3月7日(3月1日) - 佐久間盛政さんらが加賀一向一揆を制圧
4月3日(3月11日) - 勝頼さんらが自害し、武田家が滅亡(天目山の戦い)
6月21日(6月2日) - 本能寺の変
7月2日(6月13日) - 山崎の戦い
7月4日(6月15日) - 安土城炎上
7月5日~8日(6月16日~19日)- 神流川の戦い
7月16日(6月27日)- 清洲会議
7月27日(7月8日) - 羽柴秀吉さんが山城国で指出検地に着手
9月14日(8月28日) - 長宗我部元親さんが十河存保さんを破る(中富川の戦い)
9月27日(9月11日) - 柴田勝家さんがお市の方さんに信長さんの百日忌を京都の妙心寺で執行させる
11月10日(10月15日) - 秀吉さんが大徳寺で信長さんの葬儀を執行

何と言っても、本能寺の変です。信長さんは「天下布武」の旗印を掲げ、順調に勢力を拡げてきました。3月には長年の宿敵だった甲斐武田氏を滅亡させ、このまま天下統一に向かっていました。

武田家滅亡のわずか3カ月後に本能寺の変が勃発し、武田氏を滅ぼした信長さんが家臣の明智光秀さんに討たれて落命。時代は再び混沌とし始めます。

本能寺の変が起きた時、堺の町見物をしていた徳川家康さんは、わずかな手勢で敵中で孤立しましたが、伊賀の山中を突破し、再び命拾いをしています(最初の命拾いは1572年の三方ガ原の戦い)。この時、家康さんの配下には穴山梅雪さんという部将がいました。梅雪さんは甲斐武田家の部将(母が信玄さんのお姉さん)でしたが、武田家を裏切って家康さんの配下となりました。しかし、家康さんと別ルートを辿ったことにより、一揆勢の襲撃を受けてしまいます。もし、家康さんが梅雪さんと同じルートで逃げていたら、後の江戸幕府は存在しなかったことになります。

また、備中高松城(岡山県岡山市)の戦いにあった秀吉さんは、主君織田信長の本能寺の変での落命を知った後、速やかに毛利さんとの講和を取りまとめ、主君の仇の光秀さんを討つため京に向けて全軍を取って返した約10日間にわたる日本史上屈指の大強行軍として知られる軍団大移動の中国大返し(備中大返し)を成功させ、備中高松城から摂津山城山崎(京都府乙訓郡大山崎町)までの約200kmを踏破しました。この行軍の後、秀吉さんは山城国境付近の山崎の戦いにおいて、光秀さんを討ち果たします。その後、秀吉さんは織田家の後継者を決める清洲会議を主導することで、天下獲りレースの先頭を走ることになりました。

このように1582年は日本の歴史の大転化点だったのです。
で、この1582年の本能寺の変を語呂合わせで「イチゴパンツ(1582)の信長 本能寺で殺される」と覚えておいてください。ここ重要ですよ。



もう一つ世界に目を向けますと、1582年には10月5日~10月14日は歴史上存在していません。
なぜならば、10月4日(木)にユリウス暦が終わり、翌日から10月15日(金)としてグレゴリオ暦が導入されたからです。

ユリウス暦とは、太陽暦の一つで、ローマのユリウス・カエサルが前46年ころにギリシアの天文学者・数学者ソシゲネスに改正させた暦です。一年を365.25日とし、四年に一度閏年を置く暦で、325年のニカイア公会議でユリウス暦の毎年3月21日を春分日とすることが決められました。

しかし、実際の地球の公転周期は365.2422日(平均太陽年)ですので、365.25-365.2422=0.0078日だけユリウス暦の方が長くなってしまいますので、毎年0.0078日だけずれ続け、325年から1582年までの1257年間に生じたずれは、0.0078×1257=9.8046≒10となってしまいました。実生活上に不都合が生じ始めたこともあり、当時のローマ教皇グレゴリウス13世が暦を改訂しグレゴリオ暦を実施して、10日間日付を進めることとしたため、歴史上この期間は存在していないのです。

コメント一覧

まっくろくろすけ
Nさん、こんばんは。
これだけの誘導があると、策略にはまって日曜日の夜八時はNHKになりそうな気配です。
海外出張が多かった時には問答無用で、朝は連続テレビ小説、日曜夜は大河ドラマでした。もちろん独りで。

ちょっと前のことですが「YOUは何しに日本へ?」で新選組の斎藤一さんのファンだという北欧の女性二人が、会津を旅して、お墓の前で涙していました。

これを観て、私も歴史を旅してみたいと。

その前に歴史を勉強し直してみるかなと。
Nより
こんばんわです
我が家では(真田丸)みてます!
私、三谷さんの脚本面白く好きです
某地方新聞に三谷さんのコメントがありましたが日曜日の夜8時は大河ドラマを家族で見る、家族の時間があったので真田丸をみて家族の時間にしてほしいようなないようでした。
我が家は策略に嵌ってますがいいもんだと思います

くろすけさんもあえて策略に嵌ってみませんか?
まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
まったく観ておりません「真田丸」。現在、TOKIOの金作りを観ています。

日本の歴史では、新しい時代に向かう時が面白いですよね。

歴史は別の観点から見直すと新しい解釈があります。それがどう描かれるのかも楽しみだと思います。

久しぶりに歴史ものでも読んでみますかな。
eco坊主
おはようございます。

観ていますよ~真田丸!
特に三谷幸喜ファンというわけではありませんが・・
(新撰組!も観ていました。)
面白いですね~前作の「花燃ゆ」もそれなりに面白かったけどな~

先週は真田昌幸が織田に付くと決めました。
本能寺の変までの3ヶ月が真田目線でどう描かれるか楽しみです。
一昨年は官兵衛目線でした!

ユリウス暦とグレゴリオ暦のことは???です。
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