近年行われる日本シリーズは基本的にナイトゲーム(ナイター)になっていますが、昔の日本シリーズは平日の午後に試合があり、なかなか観ることもできずにいただけに、秋の陽の中での試合は趣とともに威厳のあるような気がしていました。だからといって、近年の日本シリーズがどうのこうのというものではありませんけど。
さて、2022年の日本シリーズは東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファローズの対戦になりました。
私にとって、この2球団の日本シリーズといえばバファローズが当時の前身・阪急ブレーブスだったときの1978年の第29回プロ野球日本選手権シリーズ(特に第7戦)が強く印象に残っています。このとき、スワローズは本拠地の明治神宮野球場が大学野球のために使用できず、主催試合はすべて後楽園球場でした。
このシーズンは、前年まで圧倒的な強さでリーグ4連覇、日本シリーズ3連覇を成し遂げて黄金時代を迎えていたブレーブス、広岡達朗監督の下でリーグ初優勝したスワローズという状況。戦前予想ではブレーブス圧倒的有利でしたが、最終的にはスワローズが4勝3敗で球団創設初の日本一となりましたが、今でも覚えているのが3勝3敗で迎えた後楽園球場の第7戦です。
先発はスワローズが3度の登板がいずれも勝利に結びついているエース・松岡弘さん、一方のブレーブスは第3戦完封の足立光宏さん。
先取点はスワローズが5回裏にここまで日本シリーズ25イニング連続無失点を続けていた足立さんから、デイヴ・ヒルトンさんの内野安打で先制。
6回裏。1アウトから大杉勝男さんが足立さんからレフトポール際へ大飛球を放つ。レフトの線審は通過した」としてホームランの判定。しかし、ブレーブスのレフトを守っていた簑田浩二さんがファウルと抗議。そして、監督の上田さんもベンチを飛び出して猛抗議。さらには、判定を不服として守っている選手をベンチへ引き上げさせ、審判団が監督をなだめても怒りは収まらない状況。
審判がバックネット前でマイクを握り、「阪急上田監督から抗議がありました。完全に」と説明した瞬間、上田さんは「抗議の内容をいえよ!」と遮り、そのあとの、「ポールの上を通過したホームランでございます」といった声はかき消されてしまう。
審判団とブレーブス首脳陣など協議を続け、いったん上田さんは判定にしたがい試合を再開する条件として線審の交代を主張しますが、ルール上認められないため拒否され、再び態度を硬化。
コミッショナーとブレーブス球団社長まで説得し、ようやく日本シリーズ最長1時間19分(14時54分から16時13分)の中断となりました。
試合再開後、ブレーブスのピッチャーは足立さんから新人の左腕松本正志さんに交代。しかし、チャーリー・マニエルさんがソロソロホームランを放ち3-0。ブレーブスは7回からエース・山田久志さんが登板するものの、8回裏2アウトから大杉さんが2打席連続となるソロホームランを打ち4-0とリードを広げる。スワローズ先発の松岡さんはブレーブス打線を7安打に抑え完封。
第7戦 / 1978年10月22日 後楽園球場 入場者数36359人
ブレーブス000 000 000|0
スワローズ000 012 01X|4
ブレーブス:(敗)足立(1勝1敗)、松本、山田-中沢伸二、宇野輝幸
スワローズ:(勝)松岡(2勝2S)-大矢明彦
ホームラン
スワローズ:大杉3号ソロ(6回足立)、マニエル3号ソロ(6回松本)、大杉4号ソロ(8回山田)
後日談ですが、当時、日刊スポーツの記者が、6回裏の大杉さんのホームラン判定のあとにスタンド取材を行っていたとのことです。そこでは、「打球はバウンドして父親と一緒にいた子どもの左足ふくらはぎのあたりに当たってた。その親子は阪急ファンではなかった。その位置からしてファウルだと思ったね。辺りの人もポールは巻いてないといった。新聞記者がベンチ裏まで入れた時代で、そこまで戻って上田監督に伝えたら『そやろ!』としたり顔になったんだ」とのことでした。
ちなみに、試合のあと、上田さんは辞任を表明。プロ野球史に残る猛抗議による長時間の中断時間と、スワローズ球団創立29年目で球団初の日本一が決定し、ブレーブスの4年連続日本一の夢を絶たれたという試合が、私の子ども心に秋の日の記憶に残っています。
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