「スクラップ アンド ビルド(scrap and build)で、この国はのし上がってきた。今度も立ち直れる」
映画「シン・ゴジラ」にて、矢口蘭堂(演;長谷川博己さん)がリーダーとなり、対ゴジラの巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)によって立案された「ヤシオリ作戦(ゴジラに対抗するため、自衛隊と米軍、および民間企業の総力を結集して行われた作戦 = 日本神話にてヤマタノオロチを討つ際、酔わせるために用いられた酒「八塩折之酒(やしおりのさけ)」より命名)」が成功し、ゴジラは凍結され、活動を停止する。とりあえずの危機が去った後、矢口と話をする内閣官房長官代理・赤坂秀樹(演;竹野内豊さん)のセリフです。
シン・ゴジラは、2016年7月29日に公開された総監督・脚本を庵野秀明さんが手掛けた映画です。東宝製作のゴジラシリーズの第29作です。
この記事を書いているのは、2021年4月29日の午後です。このシン・ゴジラの映画はBlu-rayや録画してあるビデオなどで何回も観ているのですが、この日はなぜか再び観たくなり、家で観ていました。そして、観ている最中に、「東京都の新型コロナウイルス感染者が新たに1027人と発表」というニュース速報を観ました。東京都で1000人を超えるのは、2021年1月28日以来およそ3ヶ月ぶりです。
さて、シン・ゴジラですが、この映画では人類とゴジラの戦いが主体ではありますが、映画の前半部分では、日本政府が、未だかつて経験したことのない刻々と変化する未曽有の危機に対して、日本の政治組織における意思決定プロセスが描かれており、それが見どころでもあります。
東京湾羽田沖で大量の水蒸気が噴出し、東京湾アクアラインでトンネル崩落事故が発生する。日本政府は海底火山か熱水噴出孔が原因だとして対応を進める。
「結論を急ぎましょう」「そうですな。やはり新たな海底火山か大規模熱水噴出口でしょう。ほかに考えられません」
しかし、ゴジラ(このときはまだ名付けられていない)の尻尾部分がTV中継で報道されたことで、日本政府は認識を改める。そして、上陸は不可能(水生生物で上陸したとしても、自重で潰れるため)と決めつけ、会見で発表している最中、ゴジラは多摩川河口から大田区呑川(のみかわ、のみがわ)を、そ上し、蒲田で上陸し、街を破壊しながら都内に向かって行く。
相手は生物である事、陸上で行動可能である事を前提として捕獲か駆除かを検討する。そして、政府による対処方針は駆除と決定。その大きさや性質が不明な事から生半可な攻撃では駆除は困難であると予想され、無制限に火器を使用できる防衛出動での自衛隊出動を模索。
「今ここで決めるのか!?聞いてないぞ!」
結果、半ば超法規的にではあるが害獣駆除を目的とした戦後初の防衛出動を要請・・・。
なんとなくですが、今の日本を写しているようにも思えます。
シン・ゴジラの映画のキャッチコピーは「現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)」。映画の中での虚構はゴジラのみという設定であり、現実の技術で虚構の存在・ゴジラにどう対応するのかが見所のひとつですが、新型コロナウイルスでは、「現実(ニッポン) 対 現実(新型コロナウイルス)」です。
「現実」を把握することはもっとも大切なことであり、危機管理としては最悪の事態を想定することがもっとも大事なことだと考えます。シン・ゴジラにしても、新型コロナウイルスにしても、最悪の事態を想定せずに、希望的観測でしかいないことです。また、初動体制においても、完全に遅れています。
ゴジラは東京の街を破壊し、日本の戦後の価値観をも破壊しました。映画の中で、「戦後は続くよ、どこまでも」というセリフが出てくるように、ゴジラ以前には、戦後の日本が正しいと思って突き進んでいた価値観に縛られていました。
特に、首都・東京に日本の機能のすべてを集中することでいいのかどうか。これは、ゴジラが蒲田に上陸し、都民を避難させるのに苦戦した状況と、ゴジラへ対して、国連安保理が採決した、多国籍軍(米軍)による熱核攻撃のための全都民が避難疎開するという、人の移動をコントロールするのが、いかに難しいのかを描いています。
状況は異なるものの、現実社会でも同じことがいえると思います。
「スクラップ アンド ビルドで、この国はのしあがってきた。今度も立ち直れる」
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