2010年12月25日。
「伊達直人」を名乗る30代のサラリーマンの男性から、群馬県中央児童相談所へランドセル10個が送られたことを皮切りに、全国各地の児童養護施設へ複数存在すると思われる「伊達直人」からの寄付行為が相次ぎました。これらの寄付行為は、寄付者の名義である「伊達直人」が、マンガ「タイガーマスク」の主人公で、自らが育った孤児院へ素性を隠して寄付をする人物と同名であることから、「タイガーマスク運動」と呼ばれるようになり、社会現象となりました。
ここで、タイガーマスクと伊達直人を知らない方へ。
梶原一騎さん原作のマンガ・アニメ「タイガーマスク」に登場するひょうきんで軽薄で気弱でキザな男で、孤児達からは「キザ兄ちゃん」と呼ばれました。
元々は、孤児院「ちびっこハウス」で育った孤児でしたが、動物園の虎の檻の前で中学生3人を倒した素質を見込まれて、悪のレスラー養成機関「虎の穴」にスカウトされ、過酷な特訓の果てに「タイガーマスク」となって帰国したヒールレスラーだった。ヒールレスラーでありながらも、「虎の穴」の掟により50%を上納した残りのファイトマネーから、匿名でちびっこハウスへの援助を行っていましたが、窮地に陥ったちびっこハウスを助けるために、上納金までも援助に回す様になった為、「虎の穴」から裏切り者とみなされ、次々送られてくる刺客と戦う事になりました。
「虎の穴」から裏切り者とみなされ、どうせならばせめて孤児院の子供たちに誇れる戦いをしたいと決意し、悪役から正統派へと転向を決意し、必殺技を開発して次々と襲いかかる刺客を返り討ちにしていったが、悪役時代のファイトスタイルが抜けきれずに反則に反則で返す事もあり、悪役スタイルに苦悩する日々を過ごします。
メキシコの英雄・仮面貴族ミル・マスカラスさんの弟、エル・サイケデリコさんから、正統派のイメージにこだわるあまり、ルールで認められた5カウント内の反則まで否定してしまった兄の苦悩を聞かされ、苦悩を振りはらう事に成功して、ようやく虎の穴の呪縛から逃れ、テクニックでも反則技でも一流だったルー・テーズさんの再来を目指すこととなります。
そして、ドリー・ファンク・ジュニアさんとの世界タイトルマッチが実現、ぎりぎりまで追い詰めるものの、日本ではベビーフェイスでも、本国アメリカではヒールであったドリー・ファンク・ジュニアさんが、レフェリーを攻撃して王座を反則防衛した為、大阪で再戦する事になります。
そして運命の再戦当日。会場に向かう途中、ダンプカーにひかれそうになった子どもを助けた伊達直人は、子どもの代わりにダンプカーにひかれてしまい、途切れそうになる意識の中でポケットの中にいれていた、タイガーマスクのマスクを近くの川に投げ入れて死亡しました。
アニメ版では、虎の穴の首領ブラックタイガー、ビッグタイガー、キングタイガーを倒した後に現れたラスボスのタイガー・ザ・グレートとの戦いの中で、机の破片を頭につきたてられそうになり、マスクを外して脱出せざるをえなくなり、伊達直人である事を晒してしまう。反則上等で攻撃を繰り返すタイガー・ザ・グレートに対して怒涛の反則攻撃を繰り出し、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんの静止もふりきってタイガー・ザ・グレートにトドメをさしてしまった。このことを恥じて、キザ兄ちゃんではいられなくなった伊達直人は、国外へと旅立ちました。
さて、2010年12月25日から、もうすぐ6年になろうとする2016年12月7日の夜。
その運動のきっかけを作った男性が、東京都内で開かれた「初代タイガーマスク」の35周年記念イベントで名前や顔を公表しました。男性は群馬県在住の会社員の方で43歳。
この男性は群馬県に住む会社員、河村正剛さんです。
河村さんは初代タイガーマスクの佐山聡さんとリングに上がりました。そして、6年前のクリスマスに群馬県内の児童相談所に伊達直人を名乗ってランドセル10個を届けたことを明らかにしました。河村さんは虐待などで養護施設の子どもたちが増え続ける現実を目の当たりにして、世の中をなんとかしたいと、人気マンガだったタイガーマスクの伊達直人の名前を借りて寄付を始めたということです。
「子どもたちは虐待されるためではなく、抱きしめられるために生まれてきた。涙を流すためでなく、周りを笑顔にするために生まれてきた。その思いを胸にこれからも支援活動を続けていきます」と決意を述べていました。
河村さんは数年前から児童養護施設を訪ねて入所している子どもたちとの交流を重ねていたそうです。河村さんは最初にランドセルが届けられたクリスマスの翌年に施設を訪れて、ランドセルの贈り主だと名乗ったうえで、「イベントがあったらお手伝いしたい」と申し出たということです。その後、施設が行う稲刈りなどの行事にこまめに顔を出したり、入所している子どもたちにプレゼントを配ったりしていたということです。
河村さんは幼い時にお母さんと死別。ランドセルが買えず、手提げ袋で小学校に通ったため「自分のような経験をさせたくない」とランドセルを届けたそうです。その後もお菓子などを贈り続けていましたが、「顔が見える方が子どもの励みになり、支援しているのは『ヒーロー』ではなく私のような『普通の人』と知ってほしい」と感じるようになり、「物を贈る運動からさらに一歩進めたい」との思いもあり、前面に出て支援しようと素性を明かすことにしたそうです。
施設長さんは、「河村さんは折に触れて自分の幼いころの大変な境遇を子どもたちにも伝えていた。そういった境遇で育っても一人前に自立しているんだとアピールしたかったのではないか。子どもたちには常に『夢をもって生きろ』と話していた優しい方です」と話しているそうです。
自分が子どもだった時のつらい思い。そんな思いをする子どもが一人でも少なくなるようにと始めたこと。これを始めたことよりも、続けていくこと自体に頭が下がる思いです。私なんかはまだまだ自分中心なんだなと。
そして、もう一つ。「カジノ法案」も良いでしょうけど、もっと目を向けるべきことがあるでしょう、阿部さん。
俺が何故 勝ち目のない試合に皆を呼んだか?
皆が大きくなって世の中に出た時
いくら全力を尽くしても幸福になれるとは限らない
世の中はそんなに甘くないのだ
しかし それでも全力を尽くすべきだ
何故なら それが人間の生きる道だからだ
その精神を俺が今から見せてやる
たとえ勝ち目がなくても全力を尽くすぞ
死ぬかも知れないが俺はやる
伊達直人/タイガーマスク
偶然にも、先日、ヒマつぶしにPAで買ってあったDVDです。