本名; アンディー・マレー (Andrew Murray)
愛称; アンディ
国籍; イギリス 生年月日; 1987年5月15日
利き手; 右
バックハンド; 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年; 2005年
ツアー通算; 29勝 (シングルス; 27勝、ダブルス; 2勝)
4大大会最シングルス優勝回数; 1回(米1)
ATPランキングシングルス1位(2013年6月24日時点)。 ゲームのやり過ぎが原因で彼女に振られたという残念なエピソードでも有名。
前に出ることも出来、ストロークで粘ることもできるオールラウンドプレーヤー。また両手打ちバックハンドからのストロークのカウンター能力には定評がある。また、フェデラー選手に対しては異様なまでの強さを持っている。
2008年の夏ごろから一気にランキングを上げ、ナダル選手、フェデラー選手、ジョコビッチ選手の3人とあわせて4強と呼ばれるようになったが、なかなかビッグタイトルを獲れず、長らく「四天王の中でも最弱」的ポジションに甘んじてきた。
2012年ウィンブルドンではイギリス人として74年ぶりに決勝に進出。フェデラー選手に3-1で敗れはしたものの、四大大会決勝で初めてセットを奪う。続いて開催されたロンドンオリンピックでも決勝進出。フェデラー選手との再戦となり、今度はストレートで圧倒して金メダルを獲得。
そして、その年の全米オープン。決勝でジョコビッチ選手をフルセットで下し、四大大会5度目の決勝にして遂に初優勝を。イギリス人選手としては1936年フレッド・ペリーさん以来の男子シングルス優勝。
2013年ウィンブルドン。地元での優勝が全英で期待されている。
YouTube: The Best Game Of Tennis Ever?
「このトーナメント、大衆、自分の家族や友人たちはすべて非常に重要である。次にトロフィーを掲げる男に確実になるために、私はかつてないほどに本気だ」
2012年ウィンブルドン男子シングルス決勝戦で地元ファンの声援届かず、惜しくも決勝で敗れた後の言葉。この日、センターコートを包んでいた雨と一緒に涙でイギリス中が濡れていたそうです。
しかし、その数ヵ月後。同じセンターコートでフェデラー選手を破って、ロンドンオリンピックで金メダル。そしてジョコビッチ選手を破っての全米オープン優勝。
この期間での“本気”度はどれほどのものだったのかをうかがい知れますね。悲願を達成するために積み重ねてきたこと。そして、それを実行する精神力です。
「目先のランキングを気にせず、自分の潜在能力を出し尽くすために努力することだ、錦織は理解していると思うけど」
朝日新聞のインタビューで錦織圭へのアドバイスコメントでし、今でもマレー選手自身も自分の潜在能力を引き出すために努力し続けているそうです。
自分自身もそうですが、人の能力の限界なんてものは判りません。まだ、隠されている力はあるのではないかと考えることもあります。でも、そこが限界だと思って、自分でその先へ進むことを諦めてしまっているかも知れません。いいえ、かも、じゃなく、でしょうね。
ですが、子どもたちを見ていると、「おや?」と思わせてくれる場面があります。試合をしながら上手くなっていくとき。
これは、もちろん自分自身が思わぬ力、考えたかを発揮したのであるとともに、それを引き出す場面に遭遇してのことだと考えます。
それを自分が意識し、理解することとともに、本人が使えるようにしてあげることができれば、潜在能力として身についていくことだと考えます。
2013年ウィンブルドン。1936年のフレッド・ペリーさん以来になる、地元男子によるシングルス優勝の期待に向かい、アンディ・マレー選手が1セット1セット前進していきます。この大会、ナダル選手、フェデラー選手、ツォンガ選手が姿を消して行き、運も味方につけてきています。ビッグタイトルを手中に収めるためには、実力だけの強さではなく、運も味方に付けないと難しいですから。
テニスは80%までがメンタルのゲームだと言われています。2012年の全米オープン初優勝までグランドスラムで4度の決勝敗退という試練を乗り越え、地元開催のオリンピックで金メダルを獲得。経験と自信が現在のマレーのプレーの裏づけになってきています。
マレー選手はメンタルについては、こう言っています。
練習では大きなポイントを想定して打つことを繰り返す。そんな練習によって自信が付く、それがここ一番で発揮できる強さになれるということです。
そして、試合では失敗を怖がらずに打つ。
失敗を怖がらずに打つ。
これは何においても言えることです。
「自信の裏付けになるのは、地味だけど練習しかない。
大一番の大きなポイントを想定して繰り返す。
失敗を考えないで打つ。
テニスは攻める気持ちを失えば負ける」